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心は気の凝りとは?

日本語の語源を調べた古書によると
心には気の凝りという意味があるそう

気が凝るって面白い表現だけれど
なんとなく分かる気がする

だからチベット密教では
心を水晶のように透明で何でも
そのまま映し出せる状態に
しておきなさいと言うし

仏陀の無心の微笑みや
タオの無心の流れは気の滞りなく
生命の大いなる波と共に流れている状態から
生まれてくるのだろう

自分が自分がという心を手放し
この生命の大いなる流れという
偉大なる何かに身を任せて 
自分はその助手に徹する在り方は
人間の潜在的な可能性を開いてくれる

因果応報と二元論に縛られた
自我意識に君はアシスタントでいいんだから
もっと気を楽にしてと言ってあげよう

分からない事は分からないんだし
怖いものは怖いんだし
痛いものは痛いでいい

それでも偉大なる何かが
いつもあなたの側にいるから
あなたが目の前の状況を
何とかしなくちゃと握りしめている
自分の手を離してサレンダーする事で
あなたの代わりにうまくやってくれるのだ

その偉大なる何かを神という人もいれば
グレートスピリットと呼ぶ人もいる
阿弥陀様やラーマという人もいるだろう

宇宙的自己とも言えるし
それこそが本当の自分
アイアムなのかもしれない

ラーマクリシュナが
再三 真我に到達するには
まず 私が私がという思いを捨てて
私を神様に雇ってもらえと言ってるのは
そういうことなんだろう

頭に比重が行き過ぎている現代人の
私が私が を止めるには
まずは 全部自分でやらなきゃという 
肩の重荷を降ろし 気の凝りを解き
私はサムシンググレイトのアシスタント役に
徹するという立ち位置から始めるのが
いいのだと改めて思っている








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