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FFX歌舞伎をスピリチュアル的に語る①

このレポートはFFXクリア済、かつ歌舞伎好きな先天性霊感むきだし男が『新作歌舞伎 FINAL FANTASY X』をスピリチュアル的解釈で語る記事です。FFX歌舞伎に関するネタバレはありません。そして、高額な壺を買わせたり宗教勧誘したりなどはしません(当たり前)。ぼくのことを知っている方も知らない方も、どうぞのんびりと記事をお楽しみください。


ぼくの物語のはじまり


かれこれ20年以上も前のことです。当時浪人生だったぼくはFAINAL FANTASY X(以後FFX)を入手し、およそ半年ほどかけてプレイした経験があります。受験勉強の合間のことでしたから、ゲームの隅々までを網羅することはなく、ただクリアすることだけを目的にじわじわと半年間、召喚士ユウナのガードとしてスピラに滞在しました(受験結果は散々でしたが、無事になんとか大学入学を果たしました)。

スピラとは、FFXの舞台となる架空の世界の名前です。ゲームからすっかり離れた生活をしている2023年にまさかその名前を思い出すことになるとは思いませんでした。今のぼくはゲームよりも、歌舞伎の世界に魅了されている人間です。だからこそ、尾上菊之助さんがFFXで新作歌舞伎をするというニュースを見かけた時は思わず変な声を出してしまいました。人生初めての歌舞伎観劇の日に、ぼくは尾上菊之助という大役者に心底感動したからです。

歌舞伎に詳しいとある友人から、その年の六月に開催予定だった人間国宝の片岡仁左衛門さんと坂東玉三郎さんを観に行こうと誘われたことがきっかけに、ぼくの頭の中は毎日のように歌舞伎だらけになっていました(仁左衛門さん体調不良のため、開催予定だった演目は中止になり、ちょうど今月やってます)。



歌舞伎なんて今までぼくの脳内をかすりもしなかったのに、観たくて観たくてしょうがなくなって六月まで待つことができなくなり、すぐに歌舞伎座で行われている公演をチェックすることにしました。せっかく観るなら、より歌舞伎らしい古典歌舞伎を観に行きたいと思い、ぼくは急遽パートナーと連れ立って東銀座の歌舞伎座へ向かいました。時は2022年5月、ぼくが選んだ演目は『團菊祭五月大歌舞伎』の第二部で行われた歌舞伎十八番の内『しばらく』と『土蜘つちぐも』でした。

その際の『暫』は市川海老蔵(現在は市川團十郎を襲名)さんによる豪快な荒事が魅力の演目でした。花道をのしのし歩いて、舞台の真ん中で強烈に見栄を切る海老蔵さんの姿の、まあなんと華のあること! すっかり有頂天になってのぼせているところで、幕間を挟んで次の演目の『土蜘』が粛々と始まりました。

能が原作の『土蜘』は『暫』よりも芸術性が高い印象でした。序盤に侍女の胡蝶こちょう(中村時蔵さん)が見せる舞はかなり幻想的で、脳がまったく機能しなくなり、ただ体感のみで舞台のありさまを感じることしかできなくなるほどでした。人間国宝、尾上菊五郎さんも流石の貫禄で、源頼光という威厳のあるお役は息を呑むほど素晴らしかったです。

その後、尾上菊之助さん演じる僧智籌ちちゅうが不気味な雰囲気とともに登場します。そこから智籌はおどろおどろしい土蜘の精と化し、舞台はクライマックスに向かっていくのですが、初めての観劇でぼくは菊之助さんの芸の素晴らしさをこれでもかと思い知らされたのです。

それに、太刀持音若を演じた菊之助さんのご子息丑之助うしのすけさんも印象的でした。幼いのにも関わらず、姿勢や発声、身に染みついた芸が歌舞伎初見のぼくでも見て取れたからです。市川海老蔵さんの荒事だけ観られたらと思って臨んだ初観劇でしたが、音羽屋(尾上菊五郎家の屋号)一門の完成度の高い演目まで観られたおかげで、その後のぼくの歌舞伎ライフが今にまで続いていると言っても過言ではありません。

今振り返れば、FFX歌舞伎のメインキャスト、ルールー役の中村梅枝ばいしさん、ブラスカ役の中村錦之助きんのすけさん、23代目オオアカ屋とルッツの二役を演じる中村萬太郎まんたろうさんも『土蜘』に出演なさっていました。もしかすると、その初観劇と今回のFFX歌舞伎はばっちりつながっていたのかもしれませんね(そう信じたいだけかもしれない)。


豊洲ピラの謎


さあ、このあたりからは独自のスピリチュアル解釈を挟んでいきますよ。怖い話は一切ありません。あくまでも先天的に霊感発動している人間の個人的な見解ですから、「ふうん」程度に聞き流してください。

豊洲ピラに到着する前、タクシーの中から豊洲の街並みを眺めていた時に、不思議な感覚を覚えました。銀座から築地を抜ける頃くらいに、はっきりと街並みが変わると、海の中から天に向かってのびるようにタワーマンションがあちこちに建っていて、都心部の街並みとはまるで異なる風景を望むことができるようになります。

豊洲界隈は海風が吹いているからか、表面的には綺麗さっぱりしていて、淀みのない住んだ景色を見渡すことができるのですが、その一方でなんだかおびただしい数の何かが入り混じった複雑なレイヤーが豊洲のどこかに存在しているような気がしました。まるで夢やまぼろしの中の景色のようで、生活感が感じられないのです。それに人が住んでいるようで住んでいないような、生き物の気配よりも、目には見えない別の気配をたくさん感じました。

FFX歌舞伎観劇後もその感触はしばらくの間続いてとても不思議でした。もしかすると、豊洲という土地の成り立ちに何か関係があるのではと思い調べてみると。豊洲は関東大震災の際の瓦礫処理のために埋め立てられた土地だったことがわかりました。少し霊的な観点で話をすると、基本的に物には人の想念や感情が念写されやすい、という特徴があります。きっと未曾有の大災害の際に瞬間的に発せられた人々の強い感情が、瓦礫という瓦礫に刻みつけられていて、その瓦礫をベースにした土地だからこそ、豊洲には目に見えない複雑なレイヤーが存在しているように感じたのでしょう。

こんな風に言うと、豊洲が気味の悪いところのように感じる人もいるかもしれませんが、決してそうではありません。くれぐれもそうは思わないでくださいね。むしろ、今後ほんとうに夢のような素敵な土地になる可能性が相当高いように感じるのです。

例えば京都という歴史の古い土地にも、そういった目に見えないレイヤーが地中だけでなく、京都水盆と呼ばれる水の溜まり場にも存在しています。京都の歴史はかなり古いですから、そのレイヤーは尋常ではないボリュームです。FFX的に言えば「聖ベベル宮」と言えばわかりやすいでしょうか。

京都は豊洲と違って、その目に見えないレイヤーと同じくらいに多様なレイヤーを含む古い建築物や人の生活(京料理や祇園祭などの伝統に沿った在り方)が今もなお地上(表面)に残り続けているため、ある意味、表も裏もぴったりと相応に、特に違和感なくあの文化的な場所が形成されているのだと思います。

その点、豊洲は表面的にはすっきりとした現代風の街並み、裏面は約100年前(2023年9月1日でちょうど100年です)に被災された人々や復興を目指す人々の思いが瓦礫に刻まれて、圧縮凝縮されている土地です。一見すると、すっきりとどっしりで相当に不均衡なように思えます。ただ、地上にはたくさんの人々が暮らしを営むことができるタワーマンションや、新設された豊洲市場やさまざまな公共施設があることで、人々が行き交うための街づくりが積極的に行われています。

ぼくはその街づくりを「時空を超えた浄化作業」のように感じました。過去に刻まれた人々の思いは、たとえどんなに重苦しい情念であったとしても、今現在に行き交う人の流れ、その生活とともに少しずつ風化していきます。豊洲に生きるすべての人々は、それぞれの考え方や価値観に関わらず、無意識的に過去を乗り越えようとする人間の歴史の先頭に立っているのかもしれません。

そんな絶妙な場所で、今回のFFX歌舞伎は行われているのです。やはり豊洲は豊洲ピラなのでしょう。ぼくたちは、FFX歌舞伎を観るために、全国各地から豊洲へ集っていますが、その一方で「時空を超えた浄化作業」に参加している感覚があります。まるで、召喚士とガードがシン(人間の罪=人間の歴史)を倒す(超える)ための旅に出るように。FFXをプレイしたことがある方なら、なんとなく今お伝えしたことが感覚的に理解できるのではないでしょうか?

FFX歌舞伎を観劇した人は誰もが間違いなく豊洲ピラの住人なのです。


ファイナルファンタジーと歌舞伎


歌舞伎は、伝統芸能、古典というわりと堅苦しめな言葉の象徴のひとつでもあります。そのため、どうしても敷居が高いように思われるかもしれませんが、決してそうではないことを今回のFFX歌舞伎を通じて感じ取ることができるでしょう。

過去から脈々と受け継がれてきた芸の数々もまた、「時空を超えた浄化作業」のひとつです。そもそも演劇は「神事」でもある、とぼくは感じています。役の性根を掴み、舞台上で自分という個人の色を大切に役を演じ続ける俳優は皆、巫女のような役割を担っています。演劇が悲劇を形に(現実化、物質化)するのは、演者よりも多くの数の観客が悲劇の擬似体験を通して、二度とそのような悲劇を味わわないようにするためでもあるのかもしれません。同じように喜劇は、ぼくたちの人生の豊かさを、ぼくたちひとりひとりがひとつひとつ見直すためにあるのではないでしょうか。

そんな演劇の中でも歌舞伎は、日本人の誰もが血で記憶している表現のひとつです。しかもそれが堅苦しく重苦しい神事ではなく、限りなく大衆の娯楽のために存在している神事だからこそ、何百年も存在し続けられているのでしょう(歌舞伎の重要性を認めるためには、能の存在が欠かせませんが、話がかなり逸れて目的地に辿り着かなくなるかもしれませんのでここでは割愛します)。

おそらく歌舞伎役者の皆様は、意識的になのか無意識的なのかわかりませんが、そのあたりのことをよく自覚していらっしゃると感じています。特に今回のFFX歌舞伎を企画した尾上菊之助さんは、歌舞伎役者としての視点においても、歌舞伎を観劇する人の視点においても、日本という国だけでなく世界にとって歌舞伎の重要性を深く理解なさっているような気がします。

多くの演劇がそうであるのですけれど、特に歌舞伎に関わる方々は俳優さんのみならず裏方さんの職人仕事が欠かせません。衣装、カツラ、大道具、小道具、舞台装置、照明、音響など、数多くの職人さんが毎日のように(FFX歌舞伎では週六日!)その徹底した仕事を細部にまで表現した上で舞台に関わっています。

それだけでなく、事前にその舞台の実現を目指し、集客や売り上げなどの大人の事情をクリアするためにあちこち奔走する方もいれば、いかにひとつひとつの芝居の魅力をわかりやすく伝えるかを苦心なさっている方もたくさんいらっしゃいます。一目では把握できないほどに数えきれない人が関わっているものなのです。

本来このような仕組みは国や会社などの組織でも見られますし、さらに言えば家族という小さな単位でも見られるでしょう。しかし、歌舞伎の凄みはまさにここにあると思うのです。その証拠に、今回のFFX歌舞伎の実現のために、数多くのプロフェッショナル(職人)が、『新作歌舞伎 ファイナルファンタジーX』の公式Youtubeで紹介されています。


ここでご紹介するのは公開されているごく一部です。集団で物作りをする上で当たり前のことだとしても、ここまでしっかりと紹介するのは、このFFX歌舞伎を機会に歌舞伎をより深く認識してもらうためだと感じています。本人たちが当たり前のようにしていることだとしても、周囲が当たり前として捉えることができない、当たり前と捉えてはならないような個性と技術が詰まりに詰まった映像です。

歌舞伎がFFXというロールプレイングゲームとどれだけ深く共鳴するかは、実際に観ていただいた方なら肌で実感なさったと思いますし、まだ観ていない方は必ずすぐに理解できると思います。深い共鳴の実現のために、それぞれの職人の技術が結集され、役になりきるのではなく、自分自身と役を深く共鳴させた役者さんたちの芸を昼夜に渡って浴び続けられるはずです。


自分の心で感じたままに物語を動かす時



尾上菊之助さんがFFX歌舞伎の実現に向けて走り始めたのは、2020年の初めから全世界中に広まったコロナという感染症がきっかけだとご本人がお話しくださっています。

おそらく多くの方がこの二、三年の間に、大きく変化しようとしている何かを感じ取っていると思います。「これまでに通用していたことのほとんどが、一切通用しなくなった」のが、コロナ禍の世界でした。それなのに、今は世界中が何とかして元に戻ろうとしています。

しかし、本当に元に戻ることはできるのでしょうか?

表面的に元に戻ったとしても、おそらくこの二、三年を過ごしたひとりひとりの中に起きた大小さまざまな変化は、きっと元に戻れなくなっているはずです。一切通用しなくなった可能性が一度現れたにも関わらず、元に戻そうとする行為は、「これまでに通用していたこと」を変える気はない、変えなくてもいいという態度の表れにつながってしまう可能性を含んでいるように感じます。

FFXの世界で特徴的なのは、スピラという世界にいる多くの人がエボン教という唯一無二の信仰を持っていること、そして人間の罪の象徴である「シン」という歯が立たない怪物が滅びずに現れ続けることです。どうして「シン」が現れたのか、どうして滅びずに人々を襲い続けるのかは、エボン教の在り方と大きく関わっています。そのあたりは物語をよく感じていただければわかると思いますが、このままではぼくたちが暮らすこの世界でも再びシンが現れることになる予感がします。

シンが現れないナギ節と呼ばれる束の間の10年のようなものがたとえ訪れたとしても、そのループのままではこの先にシンが現れることは明白です。シンが感染症なのか自然災害なのか何なのかはわかりませんが、誰も太刀打ちできない強大な怪物として物質化に至ってしまうでしょう。

尾上菊之助さんの意図とは違うかもしれませんが、ぼくはこのタイミングでFFX歌舞伎が豊洲ピラで行われていることは偶然だと思えません。FFXに出てくるアーロンというキャラクターのセリフを借りて言えば、物語の序盤に出てくるこのセリフが重要だと感じています。

覚悟を決めろ 他の誰でもない、これはお前の物語だ!

FINAL FANTASY X

さあ どうする! 今こそ決断する時だ!(中略)
自分の心で感じたままに物語を動かす時だ!

FINAL FANTASY X


ぼくはぼくの物語の主人公ですし、この記事を読んでくださっているみなさんひとりひとりは、それぞれの物語の主人公です。これからの世界は確実に、ひとりひとりの主人公たちの個性や輝きが結集していく必要があるように感じています。

これまでの世界は、自分自身が主人公であることを非常に感じにくい世界だったと思います。むしろ、主人公として生きない方が、生きやすいんじゃないかと勘違いしてしまうような世界だったでしょう。しかし、その世界はいったん2020年で終わりました。

ここからはまさに、アーロンの言葉通りです。そして、これからの世界をより自分らしく生きていくために、自分の個性や輝きをあちこちで見つける旅が始まるはずです。そんなときに、このFFXというゲームと歌舞伎が融合したFFX歌舞伎は確実に訪れる人ひとりひとりにとって、自分自身の物語を主人公として生きていくためのヒントが詰まりに詰まった舞台となるでしょう。

その舞台を実現させるために、それぞれの物語の主人公たちの力が結集した最高の表現を、老若男女、誰もが触れやすい大衆娯楽としてぜひぜひお楽しみください。

『新作歌舞伎 FINAL FANTASY X』は、4月12日(水)まで開催しています。豊洲ピラにある会場のIHIステージアラウンド東京は、FFX歌舞伎の公演が終了した後に取り壊しが決まっているようです。

観客席全体が回転し、360度に渡って広がる舞台、巨大なスクリーンに映し出される映像とともに観られるFFX歌舞伎、もう二度と同じ演出、配役で観ることはできないでしょう。もし今後FFX歌舞伎がDVDやBlu-rayになったとしても、劇場で体感する内容とは全く異なるはずです。

この記事を見て少しでも興味を持った方が、豊洲ピラを訪れてくださることを願います。チケットサイトなどを観る限りまだまだ良席が残っているようです。もし一日でも仕事が休めるなら、スケジュールを空けることができるのなら、ぜひチケットをゲットしてみてください。どんな席でも必ずお楽しみいただけると思います。

次回(を書く予定ですが)『FFX歌舞伎をスピリチュアル的に語る②』については、4月12日の千穐楽を拝見した後に、長々と書かせていただきます。


ここまで読んでくださったみなさま、本当にありがとうございます。
豊洲ピラでお会いしましょう。


こじょうゆうや

あたたかいサポートのおかげで、のびのびと執筆できております。 よりよい作品を通して、御礼をさせていただきますね。 心からの感謝と愛をぎゅうぎゅう詰めにこめて。