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『流れ星のゆりかご』 制作秘話 #1



こんにちは。こじょうゆうやです。
2021年はこの物語の執筆に掛かり切りでした。

うまのはなむけさんとの作品展『流れ星のゆりかご』
告知に至ることができて、とてもホッとしています。

では! せっかくなので!

開催の前祝いとして、会期が始まる11月24日水曜日までnoteで制作秘話(ネタバレなし)をおはなししていきたいと思います。





2021年は海との親和性が深まったら・・・



ぼくは2020年3月20日春分から今年の3月19日まで、毎週金曜日にnoteで「金曜日の星の坊主さま(通称キンボ)」という記事を書いていました。

キンボは、毎週金曜日の朝一番に感じた星の声を脚色なく言語化してお届けするというコンテンツでした。連載中の金曜日は丸一日かけて星々と向き合って、その声を無濾過抽出してきたのですが、2020年の10月の終わりに地球上の海に暮らすあるクジラと接点が持てるようになりました。




ここで登場したのが(つまり、星の声を聴くことで浮かび上がってきたのが)、ラッタンという子どものクジラです。この目で出会ったことがないのではっきりしたことは言えませんが、ラッタンはおそらくマッコウクジラで、日本列島のちょうど真南の海域で暮らしています。

この記事を書いている今も、そのあたりにいるはずです。

一年前にキンボを書いた時と比べたら、今はもっと大人になっているでしょうけれど、好奇心旺盛なクジラのようで、陸上に興味を持って頻繁にコンタクトをとろうとしている様子が感じられます。

もし、ここまで読んで「こじょうくん、何言ってるの?」という言葉が頭をよぎった方は、最近書いた下記の記事を読んでから、もう一度この記事にお越しいただけたら面白いと思います。有料記事ですが、半分くらいまで無料で読めます。頭の中のホワイトボードを一度真っ白にしてからお楽しみください。




ぼくは幼少期から目に見えない世界を感じ続けてきた人間の一人です。それって別に特別なことではないし、変なことでもありません。目に見える世界よりも膨大なレイヤーが存在している目に見えない世界では、インターネットや本では手に入れることのできない知識や情報が山のように存在しています。

ですから、ぼくが暮らす長野から遠く離れた海で生きるラッタンを捉えることは、ピントさえ合ってしまえば比較的難しいことではないんです。
(新しいラジオのチャンネルを発見したような感じ)

そう言ったわけで、ぼくはキンボを事細かに時間をかけて書いたことによって、ラッタンチャンネルに周波数の焦点をピタッと合わせることができるようになりました。

そんな風にして海との親和性が少しずつ深まり始めた2020年12月、ぼくは素潜りのギネス記録を2つも持つ、水族表現家の二木あいさんと出会いました。

彼女は海の生き物たちのように、海中を自由自在に泳ぎ回り、時には撮影者として、時には被写体として表現活動を続けるアーティストです。酸素ボンベを背負わず身ひとつで泳いでいるため、"水族"の一人として海の生き物たちから認められているのでしょう。

二木さんは感じ取った海の声を陸上で生きるぼくたち人間に伝えるメッセンジャーとしても10年以上にわたって活躍されています。




そんな二木さんが海の香りや気配をたっぷりと纏っているからなのでしょう。少しの時間おはなしさせていただいただけで、

「あ、ぼく海に呼ばれてるのかも」

と感じてしまったほど、海から一番離れたエリアに暮らす山男のぼくでも、海との親和性がどんどんどんどん深くなったのです。

そんな折、うまのはなむけさんからひとつの木彫りが届きました。
それが、この記事の最初に載せたタツノオトシゴでした。





きっかけは、不躾な一言から



遡ると、2019年の夏の終わりに(ちょうど「星から聴いた物語」というおはなし会のファイナルツアー直前だったと思います)、KOUSAGISHA GALLERYの加藤智哉さんから次のようなおはなしをいただきました。


うちのギャラリーで、こじょうさんが書いた龍のおはなしの世界を、うまのはなむけさんの木彫りで描くのはどうですか?


たしか、こんなようなお誘いだったと思いますが、もう少しざっくりしていた気がします(笑)そのアイディアを加藤さんに伝えてくれたのがうまのはなむけさんでした。

うまのはなむけさんと言ったら、あまりにも美しい世界観の木彫作品をつくる人気作家ですから、どうしてそんな神々しい御方がこじょうお前に? と思われる方も中にはいらっしゃるかもしれませんから、ここでしっかり種明かしをしましょう。


2020年の夏至、6月22日にぼくはうまのはなむけさんとお会いする機会がありました。彼女の作品をこの目で見たことはありませんでしたが、Instagramの画像を拝見するだけで何度も鳥肌が立ったことがあったので、隙を見て、ぼくはうまのはなむけさんにこんなお話をさせていただきました。


「ぼくが書いた龍の世界のおはなしを、うまのはなむけさんの木彫りで表現していただいたらさぞかし素晴らしいことになると思うんです」


今考えたら、あまりにも不躾な一言です。

かの人気作家さんに、田舎の百姓おじさんがナンパするなんて10000年早かったのは百も承知だったのですが、気がついたらぼくのエアリーすぎる口はそんなことを口走っていました。

その時、うまのはなむけさんがぽわんと笑っていたことだけは覚えていますが、まさかその時に雑にまいた小さすぎる種がこんなにも早く芽を出すだなんて夢にも思いませんでした。

こうして「2021年の11月あたりに」、というこれまたざっくりとしたスケジューリングで、まぼろしのように不確かな作品展が決まったのです。




ワクワクしすぎた2020年



そんな予定が、たとえ仮にでも決まったら、ワクワクするに決まってます。世界はコロナで大騒ぎでしたが、そんなことはまったく関係ありません。とにかくワクワクでした。何にも物語を書いていないのにワクワクばかりしていました。

しばらくして、ワクワクしすぎたぼくは次のような連絡をうまのはなむけさんにします。2020年7月の終わりのことでした。




どのような来年になるかがまだ全然わからない、今このあたりから、来年をたぐるような共作をひとつできないかと夢想しております。

ちいさなものでもおおきなものでもどのようなものでも、来年のテーマを感じた何かを、自由におおらかに掘っていただいて、そこから来年のテーマにつながるような作品を書き上げてみたい、というもよおしがあるのです。

もちろん逆でもいいのですが、なんだか先にうまのはなむけさんにお願いした方が面白いなあと勝手に感じております。

どのような造形でもだいじょうぶです。既存のものでも、椅子でも扉でも、箱でも、龍でも、ほんとうに、なんでも。

龍と共に過ごしたあの頃にかえって、少しずつ形を浮かび上がらせていけたらと考えております。

ではでは、カメのようなはやさでまいりましょう。



不躾だけでなく、図々しさまで垣間見えるメールですね。

でも、物腰柔らかなうまのはなむけさんはこの提案を快く引き受けてくださって、ご自身の夏の展示会が終わった後から、少しずつ制作を続けてくださいました。

そうして、2020年12月に届いたのが、タツノオトシゴの木彫りでした。あまりにも尊い佇まいに声を失ったほどです。繊細なのに底知れぬ力強さを感じました。もしかしたら使用した材が関係していたのかもしれません。

ぼくは深呼吸を繰り返して心身の調子を整えると、その木彫りから声を聴き取ろうとしました。一時だけではなく、何度も何度も。2020年が終わって2021年に入ってからも、ずーっとタツノオトシゴの声に耳をすませる日々を送っていました。

するとしばらくして、ようやく言語化に成功した言葉が物語のタイトルとなる『流れ星のゆりかご』でした。

その言葉を起点に執筆が始まったのですが、そんなぼくをお手伝いしてくれたのが、マッコウクジラのラッタンだったのです。



(続)

あたたかいサポートのおかげで、のびのびと執筆できております。 よりよい作品を通して、御礼をさせていただきますね。 心からの感謝と愛をぎゅうぎゅう詰めにこめて。