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2020/4/10の星の声


菌救事態


星の坊主さまのこじょうゆうやです。最近は田畑しごとにべったりの中で、よくよく野鳥を観察しながら彼らに最近の様子をたずねたりしていますが、

「すこぶる絶好調さ!虫がおいしい!うふふ!!」

という返事がかえってくるだけで、特にいつもの春と変わりないように感じます。とはいえ、人間の世界の変化はどんぶらこっこすっこっこですね。目まぐるしい変化が起きすぎて、逆にその流れが平穏、沈静なのじゃないかと勘違いさせてしまうくらい、あらゆる人のインナータイムラインを眺めているとそう思います。

先日、日本では緊急事態宣言が発令されましたね。大して変わりないというブースカシャウトがあちこちから聞こえてきますが、細かく眺めていくと、ほんとうは日々相当な変化を繰り返していて、しかもその変化があまりにすごすぎて、何日か後にまた同じ景色の場所に戻ってくる、みたいなことも起きているため、感覚が麻痺し始めてきているんだろうなと感じています。

感覚の麻痺はなかなか厄介なことで、「生」を自覚できず、「生」と「死」の間を彷徨うような、無表情状態にもなりかねません。ですから、こういうときこそ、道端の草花や、雲の流れ、月の満ち欠けをひとつひとつ感じてゆくことが、みなさんそれぞれの感覚を活かすことにつながっていく気がします。

激動の日々の中で、身のこなしをできるかぎり意識的に行うと、「あ、腰をかがめたら、なんだかお尻がキュッと上がる気がするわ」などと感じることができて、身体や生命を面白がって生きることにつながるのではないかなと思います。


さて、最近のコロニャンですが、今世界中に存在する「菌」と呼ばれるものたちに挨拶まわりをしているそうで、そのことに菌たちはとっても喜んでいるように感じます。科学的なことはさっぱりわかりませんので、今からとっても適当なことを言いますが、コロニャンはあらゆる菌を活性化させる役割を担っているそうです。

というのも、ここしばらくの地球内では、現代的な人の営みの影響で、さまざまな菌の活動がずいぶん弱まったり偏ったりしていたそうで、そこにコロニャンが現れたことで、菌たちは「やった!」と歓喜して、息を吹き返しているんだとか。つまり、コロニャンは菌救事態のために世界各地に出没していると言っても過言ではないのかなと感じました。

そうなると、コロニャンはこの星の全生命体にとっての、「救世主」の役割を果たしているのかもしれませんね。決して人間に悪事を働いているわけではないため、対コロニャンという構図を作って闘うことは筋違いなのでは、と感じてしまいます。

前々からお伝えしていることですが、ぼくのファンタジーの中では、コロニャンは完全に「愛」と「光」をまとう存在です。コロニャンの出現により、昨今の世界で露わになっている物事を、今一度よくよく感じ取ってみていただけるといいかなと思います。

昨今では、十中八九の人の、本性が露出しているように感じます。

コロニャンどうこうというより、罵詈雑言という殺傷能力の高い武器をつかった人間同士の戦争状態とも言えるでしょう。少々厳しい言い方をしてしまうと、敵を作りたい方々が、コロナだけでなく、自分自身が賛美する世界とは相反する人間をも敵視しているという状況が、露骨に出てしまっているような気がします。

はて。
ぼくたちの身体と生命は、そのような活動をするために在るのでしょうか?


現在の地球の様子、その声



この記事のトップに載せた画像は、先日撮ったスーパームーンです。月は地球の鏡の役割も果たしていますから、今現在の地球はきっと、月から見るとこんな様子なのでしょう。光が膨張していくような状態になってますね。

その声を拾ってみると、先週のキンボでご紹介した、木星の声にとってもよく似ています。というかほどんど同じでしょう。地球のあらゆるところから、響き渡る笑い声が聴こえてきます。そういえば、冒頭の野鳥(セキレイ)も笑ってましたね。絶好調と言って。

現在の地球は腹の底から喜び笑うことで光に包まれた状態になっている、というのが、星の声オタクのぼく個人的な見解です。

となりますと、ぼくたちも腹の底から喜び笑えるようなことに、意識の焦点を当てていけばいいのではないかと感じます。前時代的な社会、情報に同調していくよりも、今現在の地球と同調することの方が、ぼくたちにとってよっぽど幸せなのかもしれません。

本日、2020年4月10日金曜日の朝に、地球と交わしたやりとり、ちょこっと載せますね。今日の地球のテンションはいつもよりちょっとハイで、ちょっと木星めいた不思議さを感じました。


「今日はね、キンボの日なので、声を聴き取りにきましたよ。どうですか? あなたの調子は」

『あーっっはっはっは!そうですね、絶好調です!!』

「それはよかった。でも、人間は絶好調じゃない人が多いみたいだけれど、そのあたりはどう感じてますか?」

『あーっはっはっ!うん、みなさん自粛していらっしゃいますし。昨日あなたが書いた文章のように、自分自身のご家族のために、わたしと一体化することを選ぶ人もたくさんいらっしゃいますね』

「あ、読んだんですね。ありがとうございますー。そのあたりのこともいつか聴きたいけれど、いやあ自粛ってなかなかしんどいみたいですね。気持ちが塞ぎ込む人が世界中でいらっしゃるようです」

『わはは!そうですね。自粛することで、喜び笑うことも自粛してしまっている人が多くいらっしゃいますからね。うふふ。でも誰に、何に気を遣って、そのことまでも自粛してしまっているんでしょうね』

「まあ、不謹慎だからって思ってるんじゃないですか?」

『不謹慎!わーーーっはっははっはっは!!日頃から、わたしや宇宙からのギフトをほとんど受け取らずに、慎ましく過ごしていることが多いあなた方が、この機会によりいっそうに慎ましく過ごしているということですね!』

「そっか。そういうことになっちゃいますね」



『ちょおおおっと待ったああああああああああああああああ!!!!!!』



ぼくと地球の会話に割り込んできたのは、シリウスの人でした。どうしてかシリウスの人も、いつもの冷静な感じではなく、ちょっと興奮しちゃっているようです。


「いやいや、どうしたんですか急に」

『どうしたもこうしたも、ない!キミたちは、わたしたちシリウスの努力や苦労をすべて水の泡にする気か!!!』

「いやいや、落ち着いて、落ち着いて。どういうことですか?」

『わたしたちは、この壮大な純愛冒険幻想活劇において、ミラクルかつスペシャルなクライマックスを歓喜と抱腹絶倒で迎えるつもりで、何度も何度も何度も何度も、手取り足取り教えてきたではないか!!それなのに、、、それなのにィィィィィ!!!!!』

「だーから、落ち着いてくださいよ。じゃあ、どうしたらいいんですか?」

『どうするもこうするも、自分で考えろっ!わたしたちはキミたちの道先案内人の役はとっくのとうに終えてるんだから!!プンスカプンスカ!!』

そのことには地球がこたえてくれました。

『わーーーーーーーーーっはっはっっはっはっはっははっはっは!!!!かんたんなことですよ!わたしと一緒に、飲もう!踊ろう!楽しもう!笑おう!喜ぼう!ってことですよっ!!』


受け取って、いいんですって



いわゆるスピリチュアル界隈の中で「受け取る」というキーワードは、ずいぶん昔からありましたね。特に日本人を選んできた特異な魂のみなさんは、もともとかなり受け取り上手な方ばかりで、せっかく地球という「受け取らないこと」もできる星に行くのだから、受け取るという選択肢を忘れるくらいに受け取らないことを選んでいる可能性があります。「結局わたしたち受け取り上手だし☆」みたいな楽観とともに。

ただ、何度も何度も転生を繰り返していると、妙なクセがつきやすくなるようですね。錆び付いて動かすことが難しくなった選択肢レバーを見て、「ああ、この経年劣化の様子が美しいのよね」と達観ぶったことを言って、動かすことをしなくなっている感じです。

でも、そういう場合に限って、「ねえ、どうして思った通りに受け取ることができないのかしら?不思議だと思わない?」みたいなことを口にしていることが多いような気がします。

先ほどご覧いただいた通り、シリウスは憤怒の化身になってしまうんじゃないかというくらいに、激しい憤りを抱えているようです。これは地球内にいるシリウスの方々ではなく、今現時点でシリウスにいらっしゃる方々です。

彼らは、魂のクセを矯正する役割といいますか、物事の本質、真理をしっかりと理解し、幼稚なおままごとをしている(というシリウス的解釈)世界や人間に対して、より素晴らしく、より美しく、より清らかに!という信念のもとに、ひとつの至高例を示してくれる方々ですから、地球上における出来事において「この後に及んでまた繰り返すのか!!」みたいなことに、ちょっと苛立ちを隠せないようですね。絶対的正義を熟知しているという性質があるからこそ、そうなっているのかもしれません。

そんな彼らのことはさておき、ぼくたちはいよいよ「受け取る」ことを選ぶ、最高の機会が訪れたことを、よくよく自覚するといいのかもしれません。

ではどうやって、受け取るか。これはもちろん人それぞれですから、ぼくが明示することはできません。無限に近い数で、やり方があると思います。このキンボでは、地球から教えてもらった一例を紹介させていただきますね。



ミラクルジャックポット(超大当たり)を受け取る

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いつだったか、愛車の軽トラックを走らせていたら、すすすと7が揃い始めたことに気付いて、これは!!と思い、ばっちりのタイミングで車を停めた時の画像です。

先々週のキンボは、多次元化している地球の中で、どんな次元をも選んでいい状態が訪れている人間にとって、その様子はスロットマシンの絵札をピッピッピと揃える感覚に近いというおはなしをしましたが、ぼくたちはそれぞれが望むミラクルジャックポット(超大当たり)を選ぶ局面に来ています。

何を受け取ろうと、その人の自由ですから、別にミラクルジャックポットを選ばなくてもいいと思います。ただ、ぼくはどうせなら、この地球上で生きている間に、ミラクルジャックポットの末に出来上がる世界や社会をどうしても見たいという超絶欲求がありますため、ミラクルジャックポットを迎える準備として、この章を書き綴りたいと思います。

今現段階で感じてみるに、ミラクルジャックポットを迎えるために、全人類に共通する点が、いくつかある気がしています。

ぼくは今のところ、ひとつしかわかりませんが、そのひとつが、今現在の地球の様子と同調することだと感じています。

地球は現在、腹の底から喜び笑っている、という感じ方は、ぼくというフィルターを通じて感じ取っていることですが、これはきっとみなさんの感覚でもそのように捉えられると感じています。


冒頭でも少しおはなししましたが、みなさんそれぞれの感覚を活かすことが、地球との同調につながるのです。


絶えず地球と同調し続けている自然の風景は、どこを切り取っても、ほんとうに美しく、生命の尊さを感じるものばかりです。
たとえば、青空も、曇り空も、雨や雪の降る様も、あらゆる美しさを内包しています。その地球の美しさに焦点を当て、その美しさに感動したときには、その人の感性が「美」を見出すことに、活かされている状態になります。

そうすると、自動的に、その人のミラクルジャックポットには「美」という要素が追加されるようです。もし別の誰かの感性が、地球(自然)の中から「純粋さ」を見出すと、「純粋さ」の要素が、その方のミラクルジャックポットに追加されることになる、ということですね。

おそらく、ぼくというフィルターが捉えるに、地球が今現在、ぼくたちに受け取ってほしいと用意しているものは「喜び」と「笑い」です。

「喜び」を受け取り、「喜び」を発すること。
「笑い」を受け取り、「笑い」を発すること。

閉塞感漂う世界において、「喜び」と「笑い」を求めることは難しいかと思うかもしれませんが、意外とそんなことはありません。もうすでに、様々な方が、様々なやり方で、ありとあらゆる「喜び」や「笑い」を用意してくださっています。

たとえば、大好きなミュージシャンが、ライブの様子を無料配信して、ご自身の好きな音がご自身がいる空間、身体に響き渡るとしたら、それは「喜び」につながると思います。「笑い」に関しても、同じことが言えるでしょう。

ただ、受け取りっぱなしだと、その時間が薄らいだときに、急に空っぽな自分を感じかねません。楽しかったけれど、今はもうなんにもないなあ、という風に。

「喜び」や「笑い」に限らず、みなさんがご自身の感性で受け取るものの多くはエネルギーです。

そのエネルギーは循環することで、より大きく膨れ上がり、無尽蔵に近いエネルギーが仕上がってくる感覚があります。

みなさんが受け取った「喜び」や「笑い」は、ありとあらゆる形で、自分の内側から外側に発信するといいでしょう。

「このライブ、すっごく良かった!みなさんも、良ければ聴いてみて!」
という風に、SNSなどでシェアするだけで全然違います。

ただそこに善意や期待を込めてしまうと、いいねの数が少ないと感じて裏切られたような気持ちになったり、自分の発信力なんて……と落ち込んでみたり、地球のシーソーシステムにつかまって、善意とは真逆の情報に出会うことになったりと、不本意なループに捕まりかねません。

みなさんが最高!と感じたものは、誰が何と言おうと間違いなく最高です。
その発信に、自信や勇気などの調味料は一切必要ありません。その素材の豊かさをまっすぐに活かしていただくことをオススメします。

ちなみに、今のタイミングでは、「苦しみ」「不安」「怒り」のエネルギーを受け取り、上手に「苦しみ」「不安」「怒り」のエネルギーを発信して、そのエネルギーを巡らせている方も、ほんとうに多く見かけます。

ある意味、エネルギーの法則を熟知しているようにも感じますが、せっかくなら、心から望むエネルギーを巡らせてみるのはいかがでしょうか?

ミラクルジャックポットは、ほんの少しの意識があればどなたでも十分に受け取れるものだと思います。ぼくも鋭意実践中です。

ほんの少しの意識を通して、溢れ出るものを感じとり(受け取り)、それをできる限り精確に(つまり、みなさんご自身がチョイスしたあらゆる表現で)、世に放つだけで、確実にエネルギーの巡りはぐるぐると起こります。


「Youtubeでさあ、マーマーチャンネルの動画見たんだけど、ほんとうに面白かったよー!わたし、すっごく気分が楽になったー!なんかニヤニヤしちゃったし!暇なとき見てみてー☆」


たとえば、この場合は、自分の気分が楽になってニヤニヤしたという体感(受け取ったもの)を、わたしはこう感じましたよー、あなたの自由だけどもしよければいかがーという風に、発信(表現)したことで、
「楽になってニヤニヤする」というエネルギーが巡り始めるようになって、実生活の中で、そのような体験が起こりやすくなるはずです。


今世界に溢れる情報は、気が滅入るようなものばかりだ、とそういう声がとても聞こえます。ですが、地球にはシーソーシステムがありますからね、そういう情報と真逆の情報も、ほんとうはものすごくたくさんあると思います。

みなさんに訪れるミラクルジャックポットライフは、どんな要素が入り混じった人生でしょうか。遠慮なく欲張ってくださると地球も張り合いがあると思います。


アフターコロニャンワールドに向けて



さまざまな記事であれこれとお伝えしましたが、月の人々、順調に帰郷が始まっているそうです。とはいえ、まずは自分たちの暮らしの環境を整えることが優先らしく、露骨な出現はもう少し先になるかもしれませんね。

彼らが一番最初に着手するのは、次世代(特に0〜20歳まで)だそうです。このタイミングで新しい命の到来も増えてきている気がします。東日本大震災のあたりでは、わかりやすいほどに新しい命が地球にやってきましたが、そのときと同じような流れが世界規模で起き始めているのを感じます。

彼らは、アフターコロニャンワールドの創造を担う重要な世代です。もはや光り輝きすぎていて、ぼくの次元では正直捉えようがありません。ひとつ特徴的だなと感じるのは、太陽の要素がふんだんに入っている魂が多いということです。

純粋な太陽由来の魂というより、新しい地球の周波数と太陽の周波数を帯びた子たちが、わぁぁぁぁと押し寄せているようなイメージです。新しい地球の周波数をもつ魂たちは、ただでさえ異次元感満載ですが、太陽の要素が加わることでよりいっそう愛と光が強い子たちになるのかもしれません。


最近よく使う言葉ですが、ほんとうに「いよいよ」なんです。何がどうなるかを目撃するには、ぼくたち自身がどのような意識で生きていくかによる気がしています。

国や世界の在り方は、あくまでもぼくたちの選択のための目印です。
その目印をもとに、自分はどこに行きたいのかを明確にすることをオススメします。

配布されるマスクの数を気にしたり、給付されるお金のことを気にしたりするよりも何よりも、まずは、自分の行きたい方向、生きたい方向をより細かく見極めることに意識を置いていくのに、とっても適したタイミングだということが、なんとなく感じられますでしょうか?

ぼくたちがいつまでもそれを自覚せずにいると、世界創造大工さんたちは、草原に寝そべって大あくびをかきながら、「ああ、あの雲がわたあめに見えるよ」みたいなことを言って、自分たちの本来の役割を見失いかねません。


生きている自分の身体、命をどのように活かすか。

「どのように活かしてもらってもかまいやしません!」と大声で笑う地球の胸の奥には、「みんなといっしょに愛の世界で生きていきたい」という強い思いがある気がしています。


今、ぼくたちにできることは、ほんとうのほんとうの自分の望みに耳を傾けて、そのために命を活かし、生きることです。


地球が創出するたっぷりの空気の中で、深い呼吸とともに過ごし、彩り豊かな自然の様子を感じ、お腹が空いたら食べたいものを食べ、休みたいだけとことん休んで、ほんとうに触れたいものを見極めて、誰にも何にも拘束されない自由な意識とともに、柔軟に、軽やかに、自分しか想像できないような夢を描いて、その創造に向けて今できることを、ただただ、たんたんと繰り返していくと、

気がついたら、今まで見たことも聞いたこともない世界や風景の中で、ほんとうに愛せる誰かや何かとともに、心置きなく日々を謳歌することができるようになるのかもしれません。

びっくりするような変化や、「これまで」が一切通用しなくなる今、に翻弄されることは人間としてよくよくあることです。立ち止まらざるを得ないなら、立ち止まりましょう。無理して、無茶して変化を意図しても、これだけ強い風が吹いている時代の流れに沿っていなければ、何もかもが形を失うことにつながりかねません。

今は、春の訪れを喜び、虫や鳥たちが活発にその小さな生命を惜しみなく活かしている風景を眺めてのんびり過ごしてもいいときです。家から出られない状況下にあって、都会の真ん中では見たい風景がないと言う方は、ソファに寝っ転がって、映画を見たり、小説を読んだりして、出会いたい風景に出会いに行くのもいいでしょう。

インドアライフも、様々な工夫のもとで楽しめるはずです。ただそれは、あくまでも慎ましい自粛生活ではなく、絶えず自らを喜ばせ祝うような自祝生活を意識する方が楽しいかもしれませんよ。

世界全体がうなだれているような現在に、ご自身のマインドで、制限をつくらないようにだけお気をつけくださいね。ちょっと増幅する可能性もある気がします。制限の中から生まれる素晴らしい発明や芸術もありますが、今年ばかりはありとあらゆる制限は一度取っ払ってしまって、今一度、ご自身という存在の素晴らしさ、美しさを、自分なりに感じてみる時間をとことんとってみるのはいかがでしょうか?

地球から聴いた声をそのまま、ぼくの意見とさせていただきますが、
みなさんお一人お一人の生命は、かけがえのない光を放つ、とびっきりの存在です。世の中で様々な他者とともに生きていると、誰かに否定されたり、ご自分で自身を否定してみたりして、自分が極上の存在であるということをどうも忘れてしまいがちになりますが、間違いなく、みなさんは一人残らず素敵な星の子です。

その類稀な魅力を持つ生命を、まずはご自身のために、存分に活かしてみてください。

それは、毎日水の冷たさを感じることや、火の温もりを感じること、風に乗って漂う草木花の香りをかぐことなどから始まります。


アフターコロニャンワールドは、小さな世界かもしれませんが、まず間違いなく、愛に溢れ、喜びに満ちた笑顔が一面に広がる光景のものとなるでしょう。

そんな世界の訪れを、一緒になってお祝いする準備が、今このときです。
祝宴の際には、みなさまと飲んだくれて、踊り明かしたいと思います。

とはいえ、今は急がずに「ぼちぼち」と動く感じがちょうどいいかもしれません。


あらためて、誰かや何かに軸足を置くのではなく、ご自身にしっかりと軸足を置いて、素敵すぎるほどのご自身を取り戻し、なおかつご自身の素敵さを発信、表現する一週間にしていただけると、面白そうです。

こんな状況下でも、わたし、こーんなに素敵です!(ドヤッ☆)
という表現が満ち溢れること、とってもとっても楽しみにしております。

ぼく自身は、noteに放言を書き込み、試作の詩作を繰り返し、田畑しごとをくたびれない程度にちらちらと行い、その中でも、ぼく自身の素敵さを「ほーれほれ」と解き放てるよう、自分自身を遺憾無く、遠慮無く活かして生きたいと思います。

そんなこんなで、みなさま実り多き週末をお過ごしくださいませ。



今週は、そんなキンボです。




こじょうゆうや

あたたかいサポートのおかげで、のびのびと執筆できております。 よりよい作品を通して、御礼をさせていただきますね。 心からの感謝と愛をぎゅうぎゅう詰めにこめて。