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2024年7月の星の行方


隣のクラスのナミと文通を始めたのは夏休みを迎える直前だった。期末テストが終わった日の放課後、部活に向かう僕を呼び止めたナミはていねいに四つ折りされたルーズリーフを渡してきた。

「なにこれ?」

僕がそう言うとナミは真面目な顔をして言った。

「宇宙の秘密。家に帰ったら読んで」

僕は数学の教科書の間にその手紙を挟んで、急いでグラウンドへ向かった。ナミは幼稚園の頃からの幼馴染だ。親同士はよくお茶を飲んだり出かけたり仲が良いけれど、体育会系の僕と文化系のナミには学校以外の接点がないから仲が良いとは言えない。だから、同級生から男女の関係を疑われることもないし、比較的楽な付き合いだった。でも、ナミから受け取った四つ折りのルーズリーフは、ひょっとするとほんとうに秘密にしなければならないことが書いてあるかもしれないから迂闊に開けなかった。

自慢じゃないけれど、僕は隠し事ができない。ババ抜きをしてもすぐ顔に出て、何度となく負けてきたタイプの人間だ。僕は少しだけ怖かった。ナミとの安全な距離感が壊れてしまうかもしれない。仲が悪くなったところでお互いの親は気にしないにしても、仮に仲が深まったとしたらいよいよ家族ぐるみの付き合いが本格化しかねない。

部活から帰って、シャワーを浴びて、夕飯を食べて、テレビを見て、スマホでゲームをして、歯を磨いて、いよいよあとは寝るだけというところでナミから渡されたルーズリーフを広げた。そこには丁寧な筆跡でこう書かれていた。


貴彦へ

この手紙を読み終わったらすぐに返事を書いて。
LINEやメールはだめ。必ず、紙に書いて返事して。

どうしてLINEやメールじゃだめなのかわかる?
本当に何かを伝えたい時には音が必要なの。
鉛筆やペンで字を書くと、紙とこすれて音が生まれるでしょ?

特に大切なのはひらがな。
丸みのある文字を書くと、水が流れるような音がするの。
カタカナや漢字、アルファベットは、少しとがったような音がするはず。
まずはその音を聴き比べてみて。

貴彦の名前は、漢字で書く音よりも、ひらがなの音のほうが本当の音なの。
私の名前もそう。永海じゃなくて、なみのほうが本当の音。
でも、漢字やカタカナ、アルファベットが必要ないわけじゃないの。
それらが持つ音はあくまでも補助的なもので、肉付けしているだけ。
料理の調味料みたいなものね。
素材そのものの良さを持っているのが、ひらがなのもつ音なの。

私たちから口から発する言葉も、ひらがなの音と同じ。
だから、ひらがなが大切なの。

これはね、昨日(期末テスト最終日の前夜)夢で教わったの。
誰に教わったかはまだ言っちゃいけないんだけど、
一人にだけ内容を話していいって言われたから、貴彦に話そうと思ったの。


永海


最後に書かれたナミの名前を見たらため息が出た。予想していた内容とはかけ離れていた。安堵と落胆の気持ちがごちゃ混ぜにあった。何に対して安堵と落胆があったのかはよくわかっていなかった。でも、はっきりさせようとしてしまうと、どうにかなりそうな気がしてしまってそれ以上は踏み出せなかった。釈然としない気持ちのまま、部屋の電気を消して布団に潜り込んだはいいけれど、頭が冴えてしまって夢の世界への扉は完全に閉ざされてしまっていた。

僕は布団から這い出て、部屋の電気をつけた。0時はとっくに過ぎてしまっていた。机の上は期末テストの悪あがきの跡が残っていて、片付ける気にもならない。もう使う予定のないプリントの裏にボールペンを走らせた。


永海へ

全部読んだよ。よくわかんないけど、なんでオレに言うんだよ。
おかげで眠れないよ。今、夜中の0時30分くらい。

音なんて気にしたことなかった。
でもテストの時って、みんなが書き込む音がすごいよな。
自分が答えあぐねてるときにあの音を聞くとあせるから、
問題用紙にテキトーに鉛ぴつをこすらせることもあるよ。

それにしても今回のテストはやばかった。手ごたえなさすぎ。
この調子じゃ志望校に推せんなんて無理だな。

永海はもう志望校決まった?
オレはサッカーが強いところがいいなあと思ってる。
でも、サッカー続けたいのか自分でもよくわからない。

また夢の話教えてな。


貴彦


ここまで書いたら、急に夢の世界への扉が開いた音がした。僕は椅子から転げ落ちるように布団の中に入って、部屋の電気をつけたまま眠りについた。


次の日の登校中、ちょうど校門前でナミに会った。僕はポケットに入れておいた手紙を渡した。雑にたたんだプリントは、紙ごみみたいに見えた。僕からすると好都合だったけれど、ナミは明らかに不満気な様子でブレザーのポケットに突っ込んだ。下駄箱の前で上履きに履き替える時に渡せたから周囲にはバレなかったようだ。僕はミッションをひとつクリアしたような気になって、足取り軽やかに教室へ向かった。

その日から少しずつ答案が返された。案の定、テストの点は良くなかった。でも、悪くもなかった。周りの反応からすると、今回のテストは難しかったようだ。いつも学年トップのデキスギくんというあだ名をもつ杉村でさえも、表情は暗かった。そう思えば、僕の点数はやはり悪くなかったようだ。

部活のない日は、真っ直ぐに帰宅と決めていた。サッカー部の多くは、学区外の大きな公園に行ってサッカーをするらしいけれど、休みの日までサッカーをするつもりはない。僕は家路を急いだ。すると、後ろから誰かが小走りでやって来た。ナミだ。僕の横で止まるのかと思ったら、そのまま一声残して走っていってしまった。

「またね」

僕はナミの後ろ姿を目で追った。すると、ナミはこちらを振り返って、左の腰のあたりをポンと叩いた。何かと思って自分の左の腰を見ると、ブレザーのポケットに四つ折りのルーズリーフが引っかかっていた。そのルーズリーフを手にとって前を向いた時には、角を曲がったナミの姿は見えなかった。

帰宅してすぐ、僕は制服姿のまま二枚のルーズリーフを開いた。


貴彦へ


せっかく返事を書いてくれたのはうれしいけど、プリントの裏って。
しかもゴミみたいにしわくちゃ。渡されるほうの身にもなってよ。

ねえ、知ってた?
世の中は10月から郵便料金が30%くらい値上がりするんだって。
手紙を書く人が少なくなっちゃうね。
全部メールやLINEになっちゃうのかな?
文字が持つ音って大切なのに、メールやLINEじゃ文字の持つ音が響かなくなるよ。

たしかに便利だから使う時は使うけれど、
大切なことは、こうやってしっかりと紙に書いていきたい。
ううん。きっと、書いていくほうがいいんだと思う。

昨日も夢を見たよ。最近同じ人しか出てこない。
でも、いろいろ教えてくれるから飽きないの。
教わったことを教えてあげる。

昨日はお金のことを教わったの。
お金は、本当に払いたいところに払うといいんだって。
そうすると、お金で困ることはなくなるみたい。
払いたくないところに払うときは、うんと感謝をすると、
もうそこに払わなくってよくなるんだって。

あとね、さっきの郵便料金の話じゃないけれど、
値上げって、お金を払う人にとっては嫌な情報でしょ?
でも、そういうところにこそお金をしっかり使うのがいいんだって。

私、たまにお母さんの買い物に付き合ってスーパーに行くの。
でも「あれが高くなった。この量が少なくなった」ってことばかり言ってるの。
だから、お母さんに教えてあげようと思う。

貴彦の家はお金に困っていないでしょう?
もしかしたら、貴彦の家はそういうお金の使い方をしてるんじゃないかな?

何かわかったら教えて。


永海

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