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死神一族がやって来ます



こんにちは。こじょうゆうやです。

兼ねてからそこかしこで「死神到来」についておはなしして参りましたが、来月1日に配信予定の『星の行方』でお伝えしようとするとどうも遅くなる感じがありますため、死神に関しては前倒しで記事を書くことにしました。できる限り丁寧に書くため、ちょっと長いおはなしになるかもしれません。

お時間に余裕のある時にご覧ください。あと、このおはなしは怖くありません。あくまでもぼくの超個人的な感覚による観察のご報告になるため、鵜呑みにすることなく、読み流す程度でご覧いただければ、きっと頭で理解する「納得」ではなく、感覚的に感じ分ける「感知」ができるのではないかと思います。ご覧いただくすべての方にお楽しみいただけたら幸いです。


死神について


死神はあちら(死や無、虚の世界)とこちら(生や有、実の世界)の境目に存在していて、人間というよりはむしろ天狗とか河童とかそういう類の存在(妖精、精霊的な)だと個人的には感じています。 もしかすると、神と同じような存在なのかもしれません。彼らが自らを神と語ることはないため、推測しかできませんが、彼らの凄まじい精度による観察は、静かにあちらとこちらの境目で行われています。

ただ、世間一般に根づく死神のイメージはネガティブなものばかりです。不気味、恐怖、死などを連想させる存在として疎まれているからでしょう。確かに、彼らから放たれる独特の響きや香りを感じようとすると、寒気が立つくらいに不穏な感じがします。視覚的なイメージでは、ドス黒い大きな雲が湿度をたっぷり含んでこちらに向かってくる、夕立前のあの不穏さと似ています。

死神たちがその手に持つ鎌は、どんなものでも一振りで断ち切ってしまう斬れ味です。いつ何時でも即座に断ち切れるように手入れが行き届いている証拠でしょう。刃物を使う職人さんたちはその斬れ味が落ちないようにこまめに研ぎ石を使ってメンテナンスをしていますが、彼らもまた同じです。自らの活動をはっきりと自覚しているため、その営みは職人と呼ばれる人たちとほとんど変わりありません。彼らの観察眼についても目を見張るものがあります。

彼らは生と死の境目を熟知しています。人間が境目を越えるか越えないか、そこだけをただじっと見つめ続けているのです。そんな死神の様子を観察していると、審判を下すようにして鎌を振り落とすその対象は生命だけではないことがわかりました。

人間の思考(価値観、先入観、クセなど)、欲求、心境など、ぼくたち人間に内在する目に見えないものだけでなく、目に見えるありとあらゆる物質までもがその対象であるようなのです。

物質についてはイメージがしやすいと思います。車とか家とか本とか服とか、そういったものです。他にも物質的なものを挙げると、人間関係もその中に含まれるようです。

目に見えないもの、非物質的なものについては、想像するだけでも物質以上に多岐にわたります。そう感じると、彼らの目的のほとんどは、目に見えないありとあらゆるものに対する厳粛な審判なのかもしれません。彼らは感情を持ち合わせていませんから、 彼らの目で見て、「死」や「無」に値するものは容赦なく消え去ってしまいます。



死神到来について



7月下旬のある日、「 どういうわけか待ったなし感がすごいなあ。先延ばしとかできなそうだなあ」などと感じていたところ、昼過ぎに20分の仮眠をとって目覚めた後に急に星の声が降ってきたのです。流れ星のように。


「2022年秋分以降に、死神が到来します。大群で(にっこり)」


あらまぁと思ったぼくはわりとすぐにインスタライブやTwitterなどを通して、そのあたりのことをみなさまに共有させていただきましたが、お盆が明けた今、9月23日秋分まで残り1カ月ほどですが、もうすでに多くの死神が押し寄せて来ています。

彼らが1ヶ月も早く到来したということは、70億人以上存在する人類が持つ1ヶ月分のパラレルワールド(同時並行で無数に存在している世界で、ぼくたちの選択次第でひとつにまとまっていくようです)をバッサリ斬り捨てて、時間を加速させてしまったように感じます。

そんなことが可能なのか、と思えることができるのが死神たる所以なのかもしれませんね。

早々に地球に訪れた彼らは、まず彼らの観点で不要とみなした「人間同士の約束事」をすっぱり斬ることから始めています。それによって喧嘩が起こる可能性はありません。彼らが斬り落とすものは、痛みや苦しみなどはおろか余韻すら全く残らないからです。言い換えれば、斬り落とされていることに本人たちが気づかないのです。

「死神到来」についての星の声を聴いた際は、70億人以上存在する人類ひとりひとりに対して死神がつくのかなと想像していたのですが、実際のところそんな規模の話じゃありませんでした。夥しいという言葉はまさに今の彼らにピッタリです。数にして世界人口の100倍以上いる感覚があります。しっくりくる数は「1兆」なのですが、そこまで来ると詳しいことはさっぱりわかりません。ただ、死神の一族が余白という余白に佇んでいる様子が浮かびました。死神の芋洗い状態です。

想像が及びにくいかもしれませんが、彼らの態度は極めて紳士的です。ですから、家の中に勝手に上がり込んでくることはないようです。彼らが存在するとしたら家の外で、家の周り、玄関の前、庭のそこかしこ、まるで厳重に警護する警備員のようにいるかもしれません。

でも、家の中には入らないとしても、職場とかお店の中とかには普通に入るそうです。そのあたりはみなさんで死神という存在がどういう存在なのかを感じていただく手がかりにしていただけたらと思います。ぼくはなんとなくですが「なるほど。よくわからんけどいいヤツじゃん」と思いました(笑)

さて、前倒しになった到来によって消え去ることがほぼ確実だと思われるのは、先ほどお伝えしたように個人や全体にとって「選ばれる可能性が少ない」パラレルワールドだけでなく、この世界という構造体のなんらかのシステムです。 それはまあ見事に、痛みもなくすんなりと、消え去るでしょう。
そんなふうに大鎌が扱えるのは死神くらいです。

そんな死神のために決して解釈を誤らないでいただきたいことがあります。彼らは「破壊」とは無縁ということです。例えば自然災害が起こって、街がめちゃくちゃになって、たくさんの方の命が失われる出来事があったとします。その時、彼らが何をしているか。ぼくの中で見えているヴィジョンをそのままお伝えします。

仮にそのような天災が起きたら、彼らは人間ひとりひとりの様子、状態を普段以上によく観察します。あちら(死や無、虚の世界)とこちら(生や有、実の世界)の境目をあらん限りの精度で見極めているそうです。

その境目でどちらに傾くでもなく揺れる状態は、人間からすると、生と死のはざまを漂っている状態で、この際人間は痛みを覚えたり、苦しみに苛まれたりするはずです。

人間の進む先が死や無の方に少しでも向けば、大鎌を振り落とすだけですから死神にとって造作ないのですが、その役割上、助けるために手を差し伸べることだけはできないのです。

先ほどもお伝えした通り、死神は苦しみや痛みをもたらす存在ではありません。むしろ、苦しみや痛みから即時解放するために存在しているのです。彼らは人間が境目のどちらに進むのかを尊重します。

彼らが生と死のはざまを見定めるという営みが、いかに大切で重要なことなのか、彼らがそこに注ぐ本気度から推しはかることができます。

ですから、死神という存在は実はまったく怖くないんです。容姿や佇まいがあんな風ですから、勘違いされやすいことは間違いありません。ただ死神たちは相当に深い愛を根っこにおいて、自分たちができること(人間の意志を尊重し、痛みや苦痛を与えないこと)を愚直なまでにやり通しているのではないかと、ぼくは感じています。



どうなる? ロマンティックサマー


ロマンティックサマーというのは、ぼくが毎月1日に更新している『星の行方』でご紹介した星の声です。2022年の夏をひとことで表すとそう言い切ることができます。どちらかと言えば、それ以外にどういう言葉で表現したらいいかがわからなかったという方が正しいかもしれません。

詳しくは↓をご覧ください。


みなさまはこれまでにどのようなロマンティックサマーを歩んで来られましたでしょうか?

「ロマンティックがなかなか来ない」と仰る方の声が意外と多く寄せられていますが、ロマンティックは基本的に受け身では訪れません。能動的、つまり、自分から積極的に選び、進んでいった先に、不意に突然現れるのがロマンティックです。

「ロマンティックがなかなか来ない」という言葉が出てくるということは、「受け身」とか「待ち」の姿勢なのではないか、という感じがしています。もれなくすべての方にそう言い切れるわけではありませんけれども、終盤戦に突入したロマンティックサマーをお楽しみいただく上で、日常生活をより能動的にシフトしてみていただくのはオススメです。

当初、ロマンティックサマー(の流れ)は9月23日の秋分前後まで、とお伝えしていたのですが、死神一族が1ヶ月分以上の時間(パラレルワールドなど)をバッサリ斬り落としてしまったことで、ロマンティックサマーが短縮されてしまったのではないか、とぼく自身少し心配になりました。

でも、そうではありませんでした。死神の観点で不要とみなしたパラレルワールドの斬り落とし作業は、ロマンティックサマーの短縮ではなく濃縮をもたらすようです。

そもそもパラレルワールドが無数に存在する常日頃の状態がどういうものかをぼくなりの感覚でご案内いたします。単刀直入にお伝えすると、人間ひとりひとりの常日頃は、寄り道先がふんだんに用意されている状態、あらゆる選択肢が存在している状態を指します。

ぼくたちはこの宇宙に生きる生命体として「自由意志」が誰しも平等に与えられています。何を選ぼうと、何をしようと、基本的にはその人の自由ということです。その自由意志を実現するために用意されているように存在しているのが同時並行世界、パラレルワールドです。

少し極端な例え話をします。

YESとNOのふたつの選択肢が目の前に現れたとします。選択肢を選ぶ直前には、YESと選んだ後の世界とNOと選んだ後の世界が同時並行で存在しています。そこで、どちらか一方を選んだら、その人は選んだ方の世界にしか足を運べなくなるのですが、もしYESの世界を歩むことになったとしても、引き続きNOの世界は存在し続けている、とまあそんな感じです。

パラレルワールド同士は接点を持っていることがよくあるため、一度YESの世界を選んだとしても、ゆくゆくはNOの世界を選ぶ機会が訪れて、NOの世界を進んでいくこともできるのです。

これは極端な例なので、すべてがそうであるとは言い切れませんけれども、大雑把にお伝えするとそんな感じなんです。

もう少しだけ付け加えます。

人間がどちらかの世界を選ぶ際は、自由意志だけでなく、宇宙の流れ、地球の流れ、その人それぞれに関係している星の流れなど、実にさまざまな要素が入り混じります。その時のその人の気分とか、身体の状態とか、環境の様子とか、そういったものも選択の際の要素になります。

そのため、パラレルワールドが存在しているとはいえ、人間ひとりひとりを宇宙規模で俯瞰している存在たちからすると、次にどちらの世界を選ぶか、ということは大方わかってしまうのだそうです。

先ほどの例をもう一度持ち出しますと、「今のこの人の状態や、いろいろな宇宙の流れを考えたら、YESの世界を選ぶ可能性は70%、NOの世界に至っては20%にも満たないな。他の選択肢を選ぶ可能性も10%ちょっとくらいあるな」とか、そんな風にわかってしまうようです。

この地上に生きている人の中でも未来予知をできる人は結構いると思いますけれど、彼らが感じているのはそういった俯瞰を通しているのだと思います。これは俯瞰の領域があることを認識してしまえば誰でもできることです。人間は感情や思考に苛まれて目の前のことで手一杯になっているケースが多いため、そんな認識を持つ機会がないだけなのかもしれません。

人間の誰しもができるわけですから、死神一族にとっては実に容易いことなのでしょう。

彼らは人間ひとりひとりに存在するパラレルワールドのすべての可能性を確実に知っています。ですから、人間が選ぶ(もしくは立ち会う)可能性が0%のパラレルワールドは簡単に見分けることができるはずなのです。

普段なら、その可能性0%の世界までもが存在しているのですが、今回死神が1ヶ月分を斬り落として早々に到来したということは、可能性0%の世界はすべて消し去ってしまったのでしょう。もし1%でも可能性があれば、彼らは残すはずです。でももしかすると、0.1%や0.01%くらいのものは斬り落としちゃったかもしれませんね。そのあたりは「地球に生きる人々の自由意志を最大限に尊重するために干渉しないこと」をルールのようにして据えている宇宙の存在(死神も含む)ですから、精妙に見分けたのだと思います。

死神が斬り落としたパラレルワールドが、ぼくたちひとりひとりにどのような影響を与えるか、平たく言うと、寄り道の多い人生を歩んできた人にとっては、寄り道先が失われた可能性が高いです。

その結果、これまではジグザグに進んでいた道がすっきりとした一本道に変わって、目的地までの歩みが加速することが考えられます。 その期間は、おそらく2022年12月22日の冬至頃までの間です。その短期間の内に、ぼくたち一人だけでは実現困難だった、環境の変化、癖の改善、思考や意識の転換などが起こるような感じがしています。

「あとのお楽しみ」という形で、夢のまた夢にしていたようなことを、このロマンティックサマーの期間中にも同じようにしておいたら、おそらく死神の大鎌によってその実現はゼロ(と言い切っていい)になってしまうでしょう。

死神はぼくたち人間の生命に限りがあることはよくわかっています。ですから、「今」選ばずに後回しにするようなものは、その人にとって「不要なもの」とみなされる可能性が高いわけです。そのあたりは実に精妙でおごそかな判定を下すのでしょうけれど、ぼくたちはそのあたりについて気をつけなければならない感覚がプンプンしています。

ロマンティックサマーは9月23日秋分までは続くはずです。それは宇宙の大いなる流れと地球の成長速度がしっかりと噛み合った期間だからでしょう。

その中で死神一族が不要なものを一切合切斬り落として、その貴重な期間を濃縮してくれているわけですから、 夢のまた夢を実現しない夢にしてしまうのではなく、無理せず無茶せずできることから真っ先に(優先順位高く)その夢につながる一歩を踏み出すことがオススメです。

それが各人のロマンティックを表出させるのにつながる行動となるでしょう。

一度、Twitterでもつぶやきましたが、ぼくたち人間は(今のところ)死を内包する生命体です。1年後、5年後、10年後に確実に生きていると保証できる人は誰もおりません。「今やらずに、いつやるの?」という素朴な疑問は、星々からだけではなく、ご自身の内側に存在するほんとうの自分自身も、きっとそのように言って来ているはずです。

これからは、身近な人が突然病に倒れたり、死の宣告を受けたり、あっという間にこの星を離れてしまったりと、そんな出来事が続いていきます。 むしろ、それはこの地球の中ではごくごく普通のことなんです(急かしたり焦らせたりしているわけではありませんからね♡)。

死神一族の行動を感じ取ると、これからのぼくたちが、いかに事細かに自分自身を見直すか、日常生活のあらゆる行動がほんとうに自身の内的な要求と一致しているか、そのあたりをよくよく確かめる必要があるように思います。

内的要求と外的行動の精度(一致)を高めれば高めるほど、ロマンティックサマーは本領発揮するでしょう。 そこには、Love Myselfも欠かせません。今回の「死神到来」における「ロマンティックサマーの濃縮」は、ぼくたちにとってチャンスでしかないように感じます。




異色タッグ



今現時点(8月17日現在)でお伝えできることがあるとしたら、死神一族の活動を支え手助けする存在が結構いる、ということです。

これまでお伝えしてきた死神の能力や行動は超特化型で、決して万能ではないようです。境目の観察や、境目を越えたものに対して振り落とす大鎌の精度は極めて優秀なのですけれど、死神も死神で生活があるようで、彼らの生活自体はまったくもってお粗末極まりないのだそうです。

それを人間の生活で例えたら、こんな感じです。

掃除をしない。洗濯もしない。お風呂にも入らない。もちろん歯なんて磨かない。寝食を忘れるほど、大鎌の研磨と、境目の観察に没頭している。職人気質と言いますか、研究者気質と言いますか、そんな感じの存在のようです。そんな彼らが1兆という規模感でやって来ているわけですから、彼らの仕事を支える存在が不可欠です。

そこで、同じく大挙して集まっているのが、観音様や菩薩様のようです。ぼくはそもそも宗教に詳しくないので、あまり雑なことは申し上げられませんが、感覚的に耳にした声だけを拾って集めていくと、死神一族と、観音様菩薩様たちは旧知の仲で、今回死神一族の到来を真っ先に喜んだのは彼らだったそうです。

「あなたたち(死神一族)のお役目、しっかりとお手伝いします」

死神は移動がそんなに得意ではないそうです。歩いたり走ったりすることは不得手で、できる限り楽ちんに移動したいそうなのです。そこで菩薩様たちは雲を使うことにしました。雲の手配には龍が欠かせませんから、龍に頼んで雲を呼び、死神を雲に乗せて飛翔させようと思いついたのです。

ところが雲を連れて来た龍のそばには、並ぶようにして鳳凰がいて、「これからしばらくの間、(鳳凰と)一緒に行動しなければならない」と龍が言うものですから、結局、菩薩様、観音様、龍、鳳凰と総出で死神を雲で運ぶことになったのだそうです。

その流れはちょうど先のお盆の頃から始まりました。

この記事を書いている本日8月17日(水)現在、日本の空模様は雲や雨の地域が多いそうです。十中八九と言ってもいいかもしれませんが、おそらく死神をたっぷり乗せた雲や雨だと思われます。そうして然るべきポジショニングが組まれるのでしょう。観音様は特に千手観音が大活躍している感覚です。あれだけ手がありますからね、活躍せざるを得ない感じだと思います。

今現段階で、死神到来についておはなしできることはここまでです。

彼らの活動に注目するのはお遊び程度にしておいて、できる限り、自分自身の内側から湧き上がるさまざまな気配に集中するように心がけて、Love Myself の呼吸とともに、ロマンティックサマーを最後まで堪能しましょう




こじょうゆうや

あたたかいサポートのおかげで、のびのびと執筆できております。 よりよい作品を通して、御礼をさせていただきますね。 心からの感謝と愛をぎゅうぎゅう詰めにこめて。