見出し画像

親切とお節介の境界線

いつだったかのあるYouTubeの動画で見た内容に

若手社員を育てる方法

を実業家の方に聞いている方がいらっしゃいました
私もこの手の相談とか質問とかよく受けてきた1人

その人自身の答えは

育てたことないから分からない

育てなきゃいけない環境が良くないんじゃないか?

というような答えだったんだよね
ようは、とりあえず人を入れて、その人を育てて1人前になっていってもらう今の企業のスタンス自体がおかしいのでは?という考え方をのべていらっしゃって。

私もすごくそれに納得した

この話を広げてしまうと残念ながら今日の本題に入れないので、また別でこの話も書きたいなと思いますが。

親御さんの子どもに対するご相談とかに乗っていても、最近では

してある

してあげる

状態が当たり前のために、

自分でしなければ

と思っていなかったり

工夫すればどうにかなる

という考え自体がない子が多いのかもしれないなぁと思ったりします。
便利になった故の不具合とでもいうのでしょうか。

まぁ、「してある」ものがもうあるんだったら、それを一からする必要は無くなったととらえてもいいかもしれないけど
「してあげる」事についてが、ちょっと疑問なんだよね

そこで、今日の本題

親切とお節介の境界線はどこだ?

です。

スピリチュアルな事をやっていると耳にするのが、「高次の存在」は何かを勝手にやってくれることはほぼないということがある。
頼まれなければ、しないし。
むしろ、頼まれたからと言って、必ずしもするわけじゃない。

高次の存在って人が言う聖人に近いものだと考えれば
聖人でさえ、そうなんですよ。
ここがすごく大事な事だと思うわけ。

親切=良い事
親切してあげる事=良い人と思われる

これが、なんだかよくよく考えると、今の「不具合」を作り出しているよね?という話を今日はしてみようかと思う。

私は、親切なつもりで言ってあげたのに。してあげたのに。
なのに、何故か人からそれを嫌がられて不安になっている人。
ぜひ、考えてみるきっかけにしてもらえると嬉しいなと思います。


ここからは有料記事です
マガジン「コラム」に掲載している記事になります。
マガジン購読なら初回のみのお支払いでこれからの記事も含めて全部読めるからお得!応援してくれると嬉しいな♪

ここから先は

2,392字
この記事のみ ¥ 1,000
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

これからの活動の励みになります。応援していただけたら嬉しいです♪よろしくお願いします!