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敬意ってなにかね?

Chu!しつこくてごめん!社内報の話です。これで最後です。

有志の社内報作成メンバーに立候補して少し後悔しつつも

同じように有志で参加したはずの人のやる気のなさに憤ってタンカを切った私だったが

自分の担当パートはタンカ通りページ数を増やして締切の4日前に再提出した。自分のやることはきっちりやったわけだ。
文字組とかページデザインは制作会社さんがやってくれることになっていたが、文字数や写真の点数を決めるため入稿データには仮のつもりでタイトルをあしらい、写真もキャプションをつけながら配置して、それっぽくレイアウトを整えた。「文章の中身以外、写真の配置もタイトルのあしらいも、とりあえず作っただけで全くこだわりないので自由にデザインしてください」と申し添えて。
一応、メンバーみんなが見られるようにチャット内に原稿を投稿したが、誰からも特に反応はなかった。自分がやると言ったことをやり切っただけなので、私も反応の有無は気にしなかった。

で、ようやくやる気のない人の原稿もできあがったと同じチャット内に報告があった。その人はアクセス権が限られているフォルダに原稿をアップしたようで私は中身を見られなかったが、原稿を取りまとめるDさんなどは見られるようなので、まぁ別にいいかと思っていた。

2日後、制作会社への提出日当日。制作会社との窓口になっているDさんからのメッセージがチャットに浮かんだ。
どうやら、やる気のない人から出てきた原稿に対して若干の修正をかけた様子。Dさんは気をまわしてくれて、全員が見られるチャット内に修正後の原稿をアップしてくれた。せっかく見られる状態にしてもらったので、どれどれ、と覗いてみることにした。ファイルを開いて絶句した。


レイアウトが、私の作った原稿丸パクリ(※使ってる色味だけ変更済)だった。


……え?「自由にデザインして」って前置きした適当なレイアウトなのに、なんでそのまま使ってるの?
いや、『適当なレイアウト』って言ったから?”仮”で”何でもいい”としたものをパクられたと腹立てる私がおかしいのか?
いや、でも、依頼者から雰囲気が揃った原稿出されたら、デザイナーさんは『こういう感じがいいんだな』って汲み取っちゃうのでは?それは、ぜんぜん望んでいないのだが?
そもそも。そもそも、『適当だからこだわらない』とは言ったけど。……言ったけど!私の時間を使って、私の頭で考えて、私の手で作ったものぞ?私が原稿を投稿したときに一切反応しないで、見たのか見てないのかすら分からない状態から、それ、やる?


ここまで思いを巡らせて、自分の心が狭いだけで他の人だったらそこまでムカつくことじゃないのかもしれない、という疑問はまだ残っているけど、自分が何に拒否反応を起こしているか、は理解した。

締切を破るという行為も、締切を把握していないという意識も、人の作ったデータをそのまま流用するという考えも、すべて根源は一緒で。この人は相手の「手間」とか「工数」とか「コスト」を考えていない。
「手間」も「工数」も「コスト」もすなわち「時間」で、「時間」ってのは「寿命」で「命」そのものだと、私は考えている。なので、私にとってこの人は「人の命を軽んじている」としか思えない。

人の命を軽んじてるということはすなわち、「敬意」がないのだ。「敬意」っていうのは相手を思いやらないと生まれない。そして、思いやりは『自分だったらどう思うかな』とか、『相手はどう感じるかな』と想像するところから生まれる。要するに、この人には想像力がまったくない。

こういう人はだいたい自分のこともぞんざいに扱っている。想像力がなければ目の前に見えているものしか見ないから。自分のことは自分の目で見られないから。自分を大事にする方法どころか、そういう視点すら得られないのは気の毒ではある。


でも心のメーターが『嫌い』に振り切れたので私はもう無理です。

twitterの人に「ブログでやれ」って言われないようにアカウント作りました。違うブログで台湾旅行や入院や手術に関してお役立ち情報書いてます。よかったら見てください。 http://www.ribbons-and-laces-and-sweet-pretty-faces.site