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ルカの福音書5章1〜11節「イエス様とともに、もう一度深みへ。」 守谷キリスト教会礼拝説教 2022.11.20

「でも…」という言葉、
私たちはどんなときに使うことがありますか?


励まされ促されたとき、
やるべきことに気がついたとき、

そこにやらない理由を見つけて

「でも…」

と言う時があります。

しかし、イエス様のそばにいるとき、
私たちにはいつもとは正反対の方向の「でも…」が与えられるのです。


「私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。」

釣りの素人の言葉ではありません。

プロの漁師たちがそう言ったのです。
経験に基づいて
今日は釣れるだろうと計画を立て、
仲間を集め、最善を尽くしました。

それでも結果を出すことができず、
徒労感だけが残る朝を迎えました。

イエス様が来られたのはそういう朝でした。

イエス様は舟を借りて、
その上から群衆に神の国について話をされました。

そして話終わると、その舟に一緒に乗っていたシモンに言われました。

「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」


夜通し働き、徒労感に包まれて網を洗い、
さぁ帰るぞと思っていたところにイエス様が来られて話すのを手伝わされ、
そして今度は
日中に魚を捕りに行きなさいと言われたのです。

ここで、イエス様の一番近くで御言葉を聞いていたシモンには、
希望の方向への「でも」が与えられました。

「私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。
でも、お言葉通り網を下ろしてみましょう。」

すると、2艘の舟で引き上げても沈みそうになるほどの
たくさんの魚が捕れたのです。

そのように、聞いて従い、
その御言葉が本当だったことを体験し
神の臨在を受け取るとき、

私たちに湧き上がるのは

自分への全能感ではなく、

神への恐れです。

「私から離れてください」と懇願するシモン・ペテロを、
イエス様は「恐れることはない」と、さらなる深みへと招かれました。

神について親しく知れば知るほど、
私たちは神の大きさを体験するのです。

私たちの夜通しの労苦も、

人に言えないような手抜きも、

神は全てを知り、

それでもなお
今日もあなたに声をかけてくださっています。

あなたにしか網をおろすことのできない場所、
イエス様がすでに見つけておられる祝福があるのです。

本日の説教を振り返るために

① 繰り返し挑戦し、徒労に終わっていることはありますか?

② 今、あなたがイエス様に従うために、手を離すよう促されているものは何ですか?


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