エペソ人への手紙4章1~12節「教会は多様性を楽しむ」
エペソ人への手紙では教会の一致、ひとつであることの大切さが強調されています。
しかしキリスト教全体の歴史に目を向けるならば、
必ずしも一致を保つことができなかったことも事実です。
プロテスタントやカトリックだけでなく、
ギリシヤ・ロシア正教や聖公会など、教会は様々に枝分かれしてきました。
礼拝形式や会堂の設計思想などが様々に異なり、
初めてミサなどに参加するならば物珍しく感じることもあるかもしれません。
しかし、ここもまたキリストを愛し、
主として礼拝している場所であるのだとわかるなら、
自分たちが慣れ親しんでいる礼拝や信仰のスタイルがただ一つのベストではなく、
たくさんあるなかのより良い形の一つなのだと、
キリスト教世界における多様性を楽しむことができるのではないでしょうか。
キリストのからだを建て上げるための賜物が
それぞれに与えられています(4:7,11)。
パウロ自身が与えられていた賜物は異邦人に福音を伝えることでした。
パウロはこの使命に自身がふさわしく、
キリストの囚人として(キリストに捕らえられ、またキリストの故に実際に捕えられたという二重の意味)と表現し(3:1,4:1)、
歩んでいることを強調しています。
そして読み手である私たちにも
「召しにふさわしく歩みなさい」
と勧めているのです。
ふさわしく歩むとは、一致を保つことです。
神は教会をすでに一つとしてくださいました。
望み、からだ、御霊、主、信仰、バプテスマ、父である神が
それぞれ一つであるからです。
私たちに求められているのは、この一致を保つための熱心な努力です。
謙遜と柔和の「限りを尽くし」、寛容を「示し」、
愛をもって「互いに忍びあう」ことです。
これは自分らしさの追求とは真逆をいく姿勢かもしれません。
しかし、キリストがまず仕えるものとして低いところに降られ、
死にまでも従われ、父が彼を高く上げられたことを思い出す時、
自分が計画して獲得した自分ではなく、
他者を通して変えられたところに、本当の自分を見出すことができるのです。
私たちを、神の御子に対する信仰と知識において一つとし、
そしてキリストの満ち満ちた身丈にまで私たちを成長させるのは、
このような交わりを通してです。
それは三位一体という神の性質を表す交わりだからです。
神のうちに多様性があります。
父・子・聖霊はそれぞれ独自性を持ちながらも交わりにおいて一つです。
教会もそのような場所でありますように。
交わりを通してキリストについて
さらに豊かに教えられながら成長へと進んでいきましょう。
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