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「あなたの祈りを忘れない神様」 ルカの福音書1章1〜25節 2022.12.11 守谷キリスト教会礼拝

1年の終わりの時期に、
主を待ち望むアドベントがあることに、
私たちは感謝しましょう。

この時期だからこそ、
1年を振り返って恵みを数え、
そして私たちが祈り続けている事柄も
やがて実現することを期待し待ち望むアドベントとなるからです。


ルカはイエスの誕生について記す前に、
その前触れであるバプテスマのヨハネの誕生を伝えています。

彼には救い主の訪れの前触れであり、
「荒野で叫ぶ者の声」としての役割が与えられていました。

ヨハネの両親は
ザカリヤとエリサベツという祭司の夫婦です。

彼らは神の前に誇りを持って、
そして丁寧に歩んできた人たちでした。

しかしザカリヤは、
長年自身が祈ってきたであろう
子どもの誕生という喜びの知らせを
御使いから聞かされると、

「この私は年寄りです」

と答えました。


ここで彼はἐγὼ γάρ εἰμι(エゴー・ガル・エイミ)と言っています。

直訳は「私は、〜〜の故に、私なのです」。

ἐγὼ εἰμιはイエスがご自分について
神であると宣言される時に使われる表現で、
とても強い自意識を表します。

そしてγάρは性質などの由来を示します。

ザカリヤは非常に強い自意識をもって
「私は年をとっているが故に、私なのです」と答えたのです。

それに対して御使いは
「あなたは口がきけなくなる」と告げました。

この直訳は「沈黙」です。

イエスが嵐の湖に言われた

「黙れ、静まれ」(マルコ4:39)

と同じ言葉が使われています。


私たちには、
長年かけて身にまとってきた
性質や経験があります。

それらはもはや
自分自身と切り離すことができないほどに
一体化していることがあります。


「私はこのことのゆえに、私だ!」


嵐のように叫ぶ私たちに、
しかし聖霊は「黙れ、静まれ」と言われることがあります。

その頑なさを手放す沈黙には、
しばしば痛みが伴います。

しかしそこにこそ、

私たちの想像やこだわりをすべて超えて働かれる

「万軍の主の熱心さ」を受け取ることへの招きがあるのです。

神は、あなたの本当の祈りを覚えておられ、
その祝福を与えるために、
今日も待っていてくださいます。

本日の説教を振り返るために

① この一年、積み上げてきた経験や思いにはどのようなものがありますか?

② あなたが関わってきたことで、一旦沈黙することを促されているように思うことはありますか?


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