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人間だけが行動できる 世界で一番やさしいスタニスラフスキー・システム⑬

犬に行動できるのか?


「あの…例えば、犬には行動できるように思えます…」

「確かに、例えば盲導犬たちや忠犬ハチ公の物語には、彼らの意志を感じざるを得ません」

「はい、彼らの健気な行動に感動さえします」

「そうですね!しかし、盲導犬は自分で選んで盲導犬になったのでしょうか?ハチ公は自分の素晴らしい性格を自分で獲得したのでしょうか?あるいは彼らは別の人生を選ぶことも場合によっては可能なのでしょうか?」

「?」

「結果的に彼らの存在は素晴らしいです、そこに議論の余地はありません。しかし、残念ながら彼らに選択の余地は無いのです。彼らの行動は彼らがどんな環境に育ったか、何を調教されたかに完全に依存しています」

「確かにそうかもしれません…」

「ところが、私たちは、人間だけが持つ4つの能力のお陰で、自分に何が調教されているのかを自覚し、自分に何を調教するべきかを選べる自由さを持っているのです。その自由さの中で行われてこその行動なのです」

「人間しか持たない4つの能力とは何でしょう?」


人間だけが持つ4つの能力


「自覚する能力、想像力、良心、自由意思です」

先生は1つ1つをホワイトボードに書いてくれた

「例えば、私たちは自分の状態を自覚できますね」

「はい」

「今、自分はサラリーマンだ、とか、それに不満足を感じているなとか、不自由を感じているな…と」

「ええ」

「そして、私たちには想像力があります。もし、サラリーマンを辞めて、俳優になれたらどれだけ楽しいだろうとか、自由だろう…と。その感情を想像の中で前もって味わうことさえできます…」

「わかります」

「しかし、良心も兼ね備えてますので自分をいましめるかもしれません。「いや、いや、家族を支えるために好き勝手はできない!」と」

「…」

「しかし、自分の行動を自分で選択できる自由意思を持っています。「いや、キチンと話せば私の想いを理解してもらえるかも、期間限定で夢に挑戦させてもらえないか話をしてみようと…」

「粘り強く説得できれば理解は得られるかもしれませんね…」

「そうです。こうして、自覚、想像力、良心、自由意思があるお陰で人間は自らの目的を自分で設定できる自由な存在のはずなのです。このサイクルを回すことで、なりたい自分になれるはずなのです」

「自分で自分の目的を決められると言うのは、こうして聞いてみると凄いことなのですね」

「目的の設定次第で理想とする人物の自然な反応も存在感も生み出せるのですから神様ですよね」

「なるほど」

「ところが、私たちのほとんどは独立に憧れながら、いつまでも会社を辞められなかったり、この夏こそはと言いながら3日坊主のダイエットを毎年のように繰り返したりするのです」

「耳が痛いです」

「私たちは本当に自由な存在なのか?それとも環境の奴隷なのか?と問いたくなる特殊な存在です」

「私も環境のせいにして自分を不自由にしているかもしれません」

「広大な宇宙の中でただ人間だけが苦しんでいるように見えませんか?動物たちは自然と完全に調和しており、自分の今を受け入れ自覚や想像力を持たないがために苦しみません」

「確かに、明日を思い煩う猫も、昨日の失敗に落ち込んでいる犬も見たことがありません。近所の池のオシドリはときどき激しい争いをしても次の瞬間すでに何事も無かったかのように毛づくろいしながら水面を漂ってます…」

「しかし、多くの人間は4つの能力のような神にも似た力を与えられているにも関わらず、それを自在に操れないがために、自分で自分を苦しめるような動物以下の苦しみを味わっているのです。果たして人間は自由に行動できるのか、それとも出来ないのか?

私はヴァーニャ伯父さんやロパーヒンの事とともに核兵器や公害の事を思っていた…

数千年、繰り返されるドラマの主題


「この主題はギリシャ悲劇の2千年も前から繰り返し語られているわけです。人間は神(the Creator)なのか?それとも動物(creature)以下なのか…」

「多くのギリシャ悲劇の主題は人間が自由に選択したつもりの行動も、実は神によってあらかじめ定められていたのだ、人間など運命の慰み者に過ぎないのだと言いたげな結末です。しかし、その裏には本来人間は自由なはずなのにという主題が隠れているのではないでしょうか」

「なるほど…」

「ギリシャ悲劇の昔から現在にいたるまでドラマ芸術は同じ形式を繰り返してきています」

「今もですか…」

「そうです。主人公が事件に巻き込まれ、今までとは違う新たな目的を持つにいたる」

「はい」
自分の事を思い出していた…

「旅に出る決断をする。様々な敵との戦いを通して改めてアイデンティティを認識する、私は案外強かったんだとか、こんな弱さがあったのかと…」

思い切ってメールを送信し、エレベーター故障中の張り紙にひるみながらも、暗い階段を登り始めた私を…

「そして、長い旅を経て、あと一歩でようやくゴールにたどり着くというそんな時に限って必ず最強の難敵、ラスボスに出会うわけです」

「はい…」

「そして、そのラスボスはいつも、いつも同じ奴なのです」

「いつも同じ奴?」

「はい、それは、これが自分だと信じていた、それまでの自分なのです」

「自分だと信じていた自分…」

「ゴールに到達したければ主人公は必ず今までの自分を乗り越えなければなりません。もっと素直にならなければならないのかもしれない、もっと強くならないといけないのかもしれない、と」

「なるほど…」

「自分を新たにする能力を本当に発揮できるのかという主題が遅くとも数千年前のギリシャ時代から今に至るまで相も変わらず人間の関心であり続けているのです」

「…」

「行動をギリシャ語でなんというか知っていますか?」

「分かりません…」

先生は、行動=ドラマ とホワイトボードに書き足した。

「ドラマというのです」

「!」

「ドラマ芸術とは人間が本当に行動しうる存在なのかどうかを扱っています。今まであなたが見た全ての映画演劇ドラマで心に残るものは全てこの主題を扱っているはずです」

「観客が行動に関心を寄せるのは、登場人物たちの究極の行動の行方を目の当たりしたいからではないでしょうか?」

「究極の行動?」

「はい、つまり見事に今までの自分を超えられたという行動を」

自分を超えられた主人公たち、超えられなかった主人公たちが何人か頭に思い浮かんだ…デッドマンウォーキングのマシュー・ポンスレット、みんな我が子のケラー、ガラスの動物園のアマンダ

私はどうなるのだろう…

ただ、そうした人間存在の理不尽さ、滑稽さ、残忍さを描きながらも、私は人間の愛おしさを丸ごと描きたいな…と感じていた。

「では、今まで学んだことを実際の演技にどう活かすのかを探っていきましょう。先ずは無意識を操作する秘訣を学んでいただきたいと思います」

これまでの学びを実践できる事に心が躍るとともに少し得体のしれない恐怖も感じていた…無意識を操作する…どういうことだろう?



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