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【行政書士試験失敗記】14話 私の親友、ケアレ・スミス。

こっちは自分の人生賭けてやってんだ。邪魔するんじゃねぇ!!

 
 私の親友を紹介しよう。彼の名前はケアレ・スミス。
 彼は私と同じ日、同じ時間に生まれて今日に至るまで生活を共にしてきた。

 普段は影が薄い奴なのであまり気にならないが、私が失敗してしまった時にはどこからか姿を現して私を励ましてくれる。
 
 「大丈夫、大丈夫。ミスは誰にでもあるんだから気にしない、気にしない」
 
 そう言って彼は私の背中を強めに叩いた。彼の笑い声は高らかに響き、私の心は軽くなる。それが私たちのお決まりのルーティーンだった。
 
 彼の笑い声は私を前向きにする。小さなミスなんて気にせず、明日を信じて進み続ける勇気をくれる。
 
 私はミスをしても次頑張ればいいや、という気持ちになった。
 そんな私の背中を、彼は満足そうな笑みを浮かべながら、うんうんと頷いていた。
 
 それからも私とケアレ・スミスは一緒に長い時間を過ごした。
 
 私が電車を乗り間違えた時、彼は笑っていた。私は待ち合わせに遅れないように必死に走った。

 私が仕事の納期を忘れた時、彼は笑っていた。私は上司にこっぴどく怒られてしまった。

 私が模試を受けている時、マークシートを塗り間違えた時も彼は笑っていた。私は間違えなくていい問題を1つ間違えてしまった。

 私が行政書士試験本番を迎え、いつもなら見落とすはずがない文章を見落とした時も彼は笑っていた。そのせいで記述問題を2問も落とした。
 
 いつも彼は笑って、私がミスするのを黙って見ていた。私がミスするのを待つかのように。私のミスを陰でせせら笑うように。

 流石に笑えなかった。
 私が重大なミスをしているのに、彼はただ笑っていただけだ。何がおかしいのか。我慢できなくなった私は
 
 「君もあの場にいたのに、なんで何も言ってくれなかったんだ。私と君は親友だろう!? 君は私を陥れようとしているんじゃないのか!?」
 
 と彼に詰め寄った。私の怒り具合を見ても、彼はどこ吹く風で笑った。
 
 「ミスなんて誰にもあることさ。気にしない、気にしない。ほら、お前も笑えよ。そうすれば楽になるぞ」
 
 そう言う笑う彼を見て、私は思った。
 
 

 それが自分の人生を左右することであってもお前は笑っていられるのか?

 
 
 
 今回の失敗はケアレスミスについてである。いきなりの茶番、困惑されたかと思う。申し訳ない。
 
 ものの本によると、ケアレスミスとは「不注意による失敗。注意していれば防げたミス」とある。いわゆるうっかりミスというやつだ。
 
 模試をそれなりの回数受けていると、予備校から送られてくる結果と、自己採点が合わないことがあった。どうやらマークシートを塗り間違えたらしい。

 本番でも、落ち着いて考えると間違えるはずの無い問題を間違えていることもあった。

 問題文には確かに解くためのヒントが書いてあるはずなのに、見えていない。なぜかすっぽり見落としてしまっている。なんで見落としてしまったのか、説明できない。つまりこれは私のケアレスミスだ。
 
 さて、この時、私も親友と同じような態度を取った。

 「ケアレスミスなんて誰にでも起こることだししょうがない。」
 
 もちろんこれは失敗である。
 
 ケアレスミスは不注意による失敗だ。
 
誰にでも起こりうることではあるが、起こることが分かっていてそのまま放置していいはずがない。
 
 4点、1問分足らずに不合格となった苦い経験を経て、やっと私は重い腰を上げたのである。
 
 あなたは仮にケアレスミスのせいで不合格になった時、「しょうがないよね」なんて感想が出てくるだろうか。ケアレスミスのせいでもう1年勉強しなければならないことが確定した場合、自分自身を許せるだろうか。
 
 私は許せない。自分自身に対して、烈火の如く怒り狂い、大声で自分自身を罵倒し続けるだろうし、事実そうなった。
 
 それから私は二度とケアレスミスを起こさないように徹底的に対策することにした。
 
 ケアレスミスは誰にでも、どんな時でも起こりうる。

 起こりうるが、結果的なところを見てしまうと「ミスをした」という事象しか残らない。だから防ぎようが無いわけで、しょうがないよね、で片付いてしまう。
 
 あなたが仕事上でミスをしたとして
 
 「ミスをしてしまったものはしょうがない。大事なのは次、同じミスをしないことが大事なんだ」
 
 こう言ってくれる上司はあなたの周りにもいるんじゃないだろうか。

 一見してその上司は良い上司であるように見えるが、そう言ってくれる割に具体的にどうしたらいいのかをアドバイスしてくれるわけではない。これでは同じミスを繰り返す。
 これを私は「良い上司風」と呼ぶ。人を不快にさせないが、なんの進展性も見られない。その場しのぎでしかない。
 
 また、あなたがミスをした時、
 
 「なに!? ミスをした!? なんでこんなミスをしたんだ!!」
 
 と顔を真っ赤にして叱責する上司もいたりするんじゃないだろうか。これは議論に値しないだろう。

 今の立場になったから言えるが、これの返しとしては「こっちが聞きたい」が最適解だと個人的には思っている。
 
 大体、ミスをした理由を明確に分かっているのであれば、人はミスなんかしない。ミスすること自体が無駄でしかないからだ。
 詰まるところ、ミスをしたくてする奴なんかこの世に存在しないし、説教を受けたい奴なんていない(特殊な人は除くが)。

 ミスに対して、まるでゆでだこの様に真っ赤になった上司には

 「誰があんたの長ったらしく、感情的で生産性の無い説教を好き好んで受け続けようと思うのか」と言ってやりたいと思ってもなにも不思議なことは無い。
 
 多くの人間が「怒られる」なんて経験したくないはずなのだ。だからこそ、人はミスしないようにする。しかし、それでもミスは起きてしまう。
 
 しかしながら、ミスについて全く考えないのも問題である。

 私のように「ミスは起こりうるものなんだから、起きても仕方ない」というケセラセラな考えだと、最悪のタイミングでミスは起きる。

 悲しいかな、こういうものは大抵最悪なタイミングでしか起きないものなのだ。
 
 ではどうすべきか。
 
 まず、「自分は間違えない」という考えを捨てるのだ。
 
 なぜだか人間は、自分に限っては絶対に間違えないという考えの下、この世の中で無意識に呼吸し、心臓を動かし、活動している。
 
 まずその考えを捨てなければならない。
 
 自分は間違えるし、自分は誰にも説明できないようなミスをする生き物であると自覚しなければならない。その自覚の下「チェックする」「確認をする」という概念が生まれる。
 
 自分が絶対に間違えない人間であれば、チェックなんて概念は生まれないはずだ。チェックするという行為は全て、「自分が間違えるかもしれない」という前提があった上での行為だからである。
 
 自分が間違えるはずがないと思っている人間にとって無駄な時間でしかない。
 
 仕事の現場ではミスを無くすために「ダブルチェックをしよう」と繰り返し言われていることがある。
 ダブルチェックとは文字通り、複数回チェックを行うことで、個人で複数回チェックすることもあれば、複数人で行うこともある。
 
 しかし、そういう対策をしたとしてもミスは起こる。なぜか。
 
 チェックする人間自身が「自分は間違えない」と潜在的に思っているからである。そういった潜在的意識が、人を盲目にさせるのだ。

 チェックするという行為の意義を理解せず、上から指示されただけではそうなるのも無理は無い。人はできる限り余計なことをしたくないものだ。無駄なことにエネルギーを使いたくないというのが本音だろう。
 
 人は誰でもミスをする生き物だ。そこを認めなければならない。しかしそれはミスをしていい理由にはならない。
 
 そのことを私は痛い目に遭うまで分からないのだから、愚か者だ。
 
 ミスしてもしょうがない、は言い訳でしかないのだ。
 
 
 私は最終的に、試験中にマークシートの塗り間違えが無いか、記述問題の漢字間違えが無いかを2回、確認する時間を設けた。1回目は一般知識問題以外が全て解けたタイミングで。2回目は全ての問題が解けたタイミングで行っていた。
 
 これにより、結果的にマークミスや漢字間違えは無くなったと言っていいレベルで減ったのだ。
 
 しかし、それでも試験時間中にヒヤリとするようなミスを発見したりする。

 それはチェックしたからこそ発見できたのであり、それが無ければ間違いに気が付かないまま、残念な結果に終わっていたことは間違いない。

 あー、ケアレスミス、ケアレスミス。
 そんな言い訳が本試験では通用しないのは当然である。
 
 説明できないミスで点を落とすことほど、悲しいものは無い。
 
 なんで不合格だったんだ! と自分を責めるときに「こっちが聞きたい」と自分に言い返すことはとても虚しい。
 
 ケアレ・スミスはいつも我々の背中にいて、我々が間違える瞬間を見て笑っている。
 
 我々は彼と友達になることもできる。ミスを受け入れ、一緒に自分が犯したミスを笑うこともできる。なんて間抜けなんだと手を叩き、彼と肩を組みながら家路につくことだってできる。
 
 私の人生は今まで彼と親友として生きてきた。
 だから失敗したのだ。
 
 ケアレ・スミスは我々のミスの責任を取ることは決して無い。我々のミスの代償は我々自身が責任を取ることになる。
 
 それが嫌なら、今すぐ振り返り、彼に向かって利き手の逆の拳(利き手は勉強に使うべきなので)を叩き込み、こう言えばいい。
 
 

こっちは自分の人生賭けてやってんだ! 邪魔するんじゃねぇ!


 ミスは仕方のないことだ。

 しかし、それはミスがあっていい理由にはならない。

 特に自分の人生の重要局面であればなおさらだ。

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