自分の半生を振り返る 大学時代


大学時代

大学も、特にやりたいことがあって入ったわけではなかった。周りが行っているとか、両親に進学を進められたから、とか、そのくらいなもので、積極的な理由なんて何一つない。中学の同級生と同じ大学に行きたくなかったから上京を決意し、色んなことを抽象的に学べそう、かつ興味が続きそうという点で卒業できそうだという理由だけで社会学部を受けた。入学してみると、案外大学の講義はぼくにはあっていたようだ。じっと座っていることが苦手でも、大きな講義室で開催される講義は集中力が切れて外の空気を吸いに行っても目立たなかったし、教授が話していることを頭の中で整理することもそれほど苦にはならなかった。割と早い段階で「最低限このくらい勉強すれば単位はもらえる」という感覚を身に着けることが出来た。
大学時代ぼくを苦しめたのは、勉強というよりも普通の人が無意識に「こなしていること」全般だった。朝しっかり起きて、朝食をとって、講義を受けて、合間にあまり親しくない友だちと中身のない話をして、講義後にバイトをして、夕食を作って、お風呂に入って、眠る。ひとり暮らしをしていたから、部屋の掃除やお金の管理も並行して行わなければならなかった。
「生活をする」ということに疲れ果てて、大学にはほとんど行かなくなった。そんなぼくが唯一学生時代に没頭したことは、サークル活動だった。「400km程度の道のりを徒歩で貧乏旅行する」という冷静に考えるとわけのわからない活動をしていたのだが、サークル活動はぼくにとって救いになっていたのだと思う。自分と似たような人たちが多くて居心地がよかったということが大きいけれど、「大学でしかできないことをしている」という安心感も大きかった。サークルに没頭すればするほど、「生活」にまわす余力はなくなっていった。仕送りとバイト代を足しても、毎月赤字になる。電気やガス、ネットが止められたことも1度や2度ではなかった。

就職浪人時代

目的もなく怠惰な学生生活を送ってきたツケは就職活動で払わされることになる。「どこか内定が出るだろう」と高を括っていたし、社会人になればひとり暮らしも自然とできるようになると簡単に考えていた。就職活動と生活の両立は、ぼくにとってとてつもない重労働だった。なんとなく受けていた企業は当然落とされる。またなんとなく企業にエントリーシートを送る。時間はどんどん削られる。交通費を稼ぐためにバイトを減らすわけにもいかない。もはや「生活」など出来る状態ではなかった。
そんな生活を続けていたある日、ぼくにとって特別な人に内定が出た。だれでも名前を知っている大企業に。ぼくは、その人の自己分析やESの添削など、客観的に観てアドバイスなどをしていた。内定の報せと感謝の連絡を受けたとき、なぜだか全てがどうでもよくなって、ご飯を食べることすらどうでもよくなった。ただ、すべてを投げ出すことなど到底できず、とっくに崩れていた「生活」を見かけ上維持するためだけにバイトは続けた。就職活動も、食事をとることもほとんどやめたのに、バイトはやめないというのも笑えるのだけれど、なぜだかその時はバイトだけは律義に行っていた。そんな生活をひと月、ふた月と続けたところ、体重は10kgほど落ちた。近くに住んでいた高校時代の友だちが心配して訪ねてくれたことをきっかけに、精神科を受診した。いくつか薬を処方されて、2週間おきに通うことと、バイトをやめて落ち着いて生活をしたほうが良い、と医者からは告げられた。免罪符をもらったような気がして、ようやく親に現状を打ち明けることが出来た。積極的に実家に帰りたいわけでもなかったけれど、そこに留まるよりはいくらかいいと思ったし、弱った身体と精神を少しでも元気な状態に戻したかった。

大学5年生時代

 実家で半年ほど静養した後、再度就職活動を始めた。自分なりにやりたいことを考えた結果、「人と人がつながる場を作りたい」と、スケールの大きな仕事、建設業やデベロッパーを中心に就職活動を進めた。4月からは必死に単位を取りにいかないといけなかったこともあって、3か月間必死になって就活に取り組んでいたと思う。4月のはじめころ、無事内定が出た。心の底からほっとしたけれど、まだ「働く」ということについてうすぼんやりとしたイメージしか持てていなかったのだな、と今になって思う。
そこからは、毎日朝早くから暗くなるまで、学校に通い詰めた。空いた時間は、確実に単位を取るために、復習をしたり、先の提出課題の構想を考えたりしていた。はじめは、「卒業するため」という切羽詰まった理由だった勉強が、ある時から急に楽しくなった。人間の営みや考え方の変遷、それに深くかかわる「社会」という名の見えないもの。人間の行動が社会を形作るのか、社会が規定して人間の行動が決まるのか。講義以上に楽しかったのがゼミでの活動だった。ゼミで、他のゼミ生の卒業論文の進捗を聞くことも楽しかったし、研究内容の随所にそれぞれのバックボーンが見えて、「考える」ということの面白さをようやく感じ始めていた。大学に5年間在籍したので、ゼミでの活動は4年間に及んだけれど、人との出会いも含めてゼミ活動はぼくに多くのものをもたらしてくれたと思う。


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