虐待をしてしまう親

虐待をする親が問題になることがよくある。

それに対する論調は、
子どもに虐待するなんて信じられない。
罪のない子ども、かわいい子ども。
天使のような子ども。
母親失格、父親失格。
人間じゃない。
・・・・
というものが多い。


虐待をしてしまい苦しむ親

もちろん虐待をする親に怒りを感じる。しかし虐待をする人たちは、みんな鬼のような人たちというわけではない。

虐待をついしてしまい、虐待を止めることができずに苦しんでいる人たちを診察の場面で見ることも多くある。そういった人たちは、殆どの場合は、子どものことがかわいくて仕方ないと思っている。

しかし、
気分と感情が不安定。
衝動が強くコントロール出来ない。
自分自身も親から虐待されていた。
自己評価が低い。
という特徴を持っている人は、

普段は子どものことを心から愛しかわいがっているものの、時折精神的に不安定となり、子どもの面倒が見れなくなり、突発的にわき起こる怒り、イライラの衝動を押さえることができず虐待をしてしまう。落ち着くと、深く深く後悔し、自己嫌悪に陥り、もうしないと誓い、子どもに接するもまた同じ状態が繰り返されてしまう。


助けを求めない

普段は子どもを愛し、大切に思い、宝物と思っているため、周りがいくら説得しても、子どもを施設に預けることを拒否する。「もうしないから」「大丈夫だから」と懇願したり、怒り出したりする。そういう人たちをどう支援し、子どもを虐待から守るかが問題となる。


虐待されている子どもと虐待してしまう親を守る

虐待されている子どもを守ることは絶対に必要である。

一方虐待してしまう親を守ることも必要である。

ひどい親だ、母親失格だ、罰を与えろ、同じ目に合わせてやれ、と非難するばかりでは何も変わらない。ますます密室の世界に入っていくだけである。また、すべて女性に押し付ける男性社会が悪いと主張する人たちもいるものの、ある意味正しい主張ではあるものの、現在 起きている虐待には無力である。

本人を必要以上に批判せず、周りからの支援を増やす、一方で、支援する人たちの強制力や権限を強くし、子どもを守るために親や子どもの”人権”を一時的に制限することを可能にするように法律を変更していく必要がある。

「心配だから相談して」「頑張っているね」「辛くなる時もあるよね」と優しく接する一方で、「子どもに会わせてください。様子を見せてくれないなら 強制的に保護するしか無い」「この指示に従ってくれなければ 保護します」と限界を明確にすることが必要である。


子どもは常にかわいく天使 なわけがない

「子供はかわいいく、天使みたい」
「虐待する人の気持ちが全くわからない」
と言う人たちがいる。

・子どもを育てたことがない人の幻想
・子育てしたときの苦労を完全に忘れて、楽しいことの記憶しか残ってない幸せな人
・本当に子どもが手のかからない子だった
どれかだと思う。

子育ては、大きな楽しみ・喜びを与えてくれるとともに、非常にストレスの多い仕事である。もちろんトータルとしては、圧倒的に楽しみや喜びの方が、ストレスや怒りより大きいものの、一時的に大きなストレスを感じることは良く有り、特に1人で子どもと接する時間が長くなったときには、このストレスは極限までに高まり、子どもが悪魔にしか見えない瞬間がある。

全く寝ないでずーーーーと夜泣きを続ける子どもを見ながら、「ちょっとこの睡眠薬飲ませようか・・・」と思ったことは一度や二度ではない(さすがに思いとどまった)。

子どもは天使の時間と悪魔の時間がある。

このことを、周りの人が理解することが、子どもをかわいく思っているのに、虐待をしてしまう人たちを救うことに繋がると思う。


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