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邦楽をフランス語へ


Embrassé, poli, brillant, embrassé à nouveau
Si vous et moi pouvons marcher sur le cercle de Mobius

ミスチルの風と星とメビウスの輪の一文です。

愛と芸術、そして歴史の国フランス。
世界一美しい言語とも言われる、フランス語。

フランス語を話す人口は2億2千万人以上と言われており、将来フランス語を話す人口はもっと増えると言われています。

フランスはドイツと縁が深い国。

長年争ってきたこの2つの国が、なんと共通の歴史教科書を出しました。

『ドイツ・フランス共通歴史教科書』。

長年相争ってきたドイツとフランスが、平和な時代を築こうとさまざまな試みをしてきましたが、その一環として作られた共通歴史教科書。両国の歴史家が、同一内容の教科書をそれぞれの言語で作ろうという画期的な試みです。世界的にも大きな話題となりました。日本語版の出版もその一例と言えるでしょう。

発端は2003年。2006年には第一巻が出版されました。現在では全三巻が刊行されていますが、教育の現場では実際、どのように活用されているのでしょうか。20世紀初頭から始まった共通歴史教科書をつくる運動の歴史と現状を、23日の『ル・モンド』(電子版)が紹介しています。

画期的なアイディアだ。費用も大してかからず、それでいて実にシンボリック。政治家にとっては、願ったり叶ったりだ。「エリゼ条約」(le traité de l’Elysée:戦後のフランス・ドイツの協力を定めた条約)の40周年を祝うため、2003年1月、ベルリンに集まったフランスとドイツの高校生たちが共通歴史教科書の作成を提案したのだった(リセ20校、ギムナジウム16校から、あわせて550名が集まりました)。しかし、教科書の採用はドイツでは16の州がそれぞれ受け入れるかどうかにかかっており、容易な試みとは思えなかったが、当時のシラク大統領(Jacques Chirac)とシュレーダー首相(Gerhard Schröder)が全面的に受け入れを表明した。

過去にも、同じような試みがあった。例えば、1930年代、ドイツの中世史家ケルン(Fritz Kern)とフランスの出版者ドパンジュ(Jean de Pange)が、歴史家のためのフランス・ドイツ関係教材を作ろうとした。しかし、ナチの台頭により、断念した。1951年には、歴史家エッカート(Georg Eckert)とブリュレイ(Edouard Bruley)が試みたが、やはりうまくいかなかった。

21世紀の試みは、フランス大統領とドイツ首相の支援を受けて、日の目を見ることになった。例外的なことだが、ドイツ全16州がそろって高校の歴史プログラムを統一することにした。委員会が設立され、次のような結論を導いた。作るべきは同一の教科書で、フランス・ドイツ史の教科書ではなく、フランス語・ドイツ語による共通「歴史」教科書にすること。全三巻とし、ヨーロッパの歴史に重きを置き、生徒が自習できる内容で、フランス・ドイツ両国にとって有益なものとする。そのために、比較研究、知識の移転、概念・理解・適合の特殊性を生かし、また専門用語の差異などに注意しつつ作成すること。このように、歴史家のフランソワ(Etienne François)は雑誌“Vingtième siècle”(『20世紀』)の中で説明している。

ドイツのクレット(Klett)、フランスのナタン(Nathan)という出版社二社が決まり、歴史家が集められた。多くのテーマにおいて、異なる見解があった。例えば、啓蒙思想はライックな(laïque:脱宗教性の)運動なのか、プロテスタンティズム(le protestantisme)と結びついているのか。ナチズムは他の国々と同じ全体主義なのか。1945年以降のアメリカは、寛大な強国か、帝国主義か。共産主義は、独裁か、抵抗運動か。しかし、そうした差異はすぐに薄れていった。教え方に関する最大の違いは、フランスでは歴史は地理とともに教えられるが、ドイツでは哲学や文学と合わせて教えられるということ。しかしこの点に関しても妥協点が見いだされた。

全三巻が刊行され、ハッピー・エンドを迎えることになるのだろうか。そうはいかない。なぜなら、期待したほどの成功を獲得していないからだ。かなりの地域圏(フランス)や州(ドイツ)が多くの高校に配布したが、それぞれの国で最初の二巻合わせて4万部ほどしか売れなかった。目標の10万部からは遥かに遠い数字だ。しかも、フランスでは、サルコジ大統領の過去との決別が厳しい状況に追い打ちをかけた。サルコジ政権が推し進める高校改革が大きな影響を与えたのだ。理科系クラスの最終学年では、歴史は選択科目でしかなくなった。フランス・ドイツ協会連合が政権に警告を発したが無駄だった。ナタン社は第三巻を7,000部しか印刷しない。初めの二巻の一定部分は高校生ではなく知的関心のある成人が買っていた。第三巻でも同じことを期待している、と出版社のトップは語っている。

ルートヴィヒスブルク(Ludwigsburg)にあるフランス・ドイツ協会の研究者であるセイデンドルフ(Stefan Seidendorf)は、この商業的失敗の原因を見極めようと試みている。両国で打ち合わせをすれば、フランスの高校改革が状況を悪化させたことは分かるが、原因はそれだけではない。フランスでもドイツでも、この教科書は例外はあるにせよ、一般的にはヨーロッパに関する授業でしか使われていない。社会的標識のようなものだとセイデンドルフは言っている。ドイツの多くの州では無料で配布されたが、補助教材としてしか用いられていない。一方、フランス側も、政府による教科書に不信感を抱いている。この教科書を理解し、自分のものとして活用している教員は稀にしかいないとセイデンドルフは語り、「80%のフランス人が、これはドイツの教科書だと言っている。そしてドイツでも同じ状況だ。両国ともに、教員たちはこの手の教科書を使う準備ができていない。ドイツでは、市民として教育すること、そして生徒に質問させることを重視している。一方フランスでは、小論文と知識の体系化が重視されている。フランス・ドイツ関係の重要性を理解している人々だけが、両国の教育の違いは対立するものではなく、補い合うものだということを理解している」と述べている。

この教科書は良いアイディアだが失敗したということなのだろうか。ドイツ側のコーディネーターであるゲイス(Peter Geiss)は、そう思っていない。「まだ緒に就いたばかりだ。歴史教育に関する相互交流をもたらし、政権による歴史に堕すことなくEUの建設に貢献する壮大な実験なのだ」と語っている。試みの最初の果実であるとともに政治に一部を害されている、世界から歓迎されるとともに想定した読者からは顧みられない・・・この教科書はまさにフランス・ドイツ関係のシンボルとも言える。

・・・ということで、世界が称賛した『ドイツ・フランス共通歴史教科書』は、期待されたほどには実用に供されていないようです。お互いの歴史観の違いを認め合うことによって、相互理解が一層進むのではないか。そんな期待もあったのですが、これは相手国の歴史教科書だ、という声が80%にも達するようでは、口で言うほど相互理解は進まないのかもしれません。

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#長年の敵 #領土の奪い合い #国 #教育 #EU建設 #一緒に頑張ろうぜ  

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