クレイジーソルトの呪い
18歳で上京して一人暮らしを始めてから、自然と料理をするようになった。最初は母がくれた料理研究家のケンタロウのどんぶりの本を参考して色々つくっていたら、何をどれくらい入れるとどんな風に味が変わっていくのかがわかっていって、それから食事をつくるということに構えがなくなった。
20歳の冬の日、友人たちがぼくのアパートに遊びにきた時のこと。
安酒をたくさんあおって、映画や音楽や女の子について語らっていた深夜1時ごろ、誰からともなく「なんか腹減ったな~」といいあい始める。季節は真冬。この時間には、誰も外に出たくない。
冷蔵庫を開けると、ややくたびれた玉ねぎとピーマンが発掘された。コンロ下の収納には実家から送られてきた乾麺のパスタとかに缶がひとつが入ってる。
オーケー、やってやろうじゃん。
そういう気持ちで、先にレンジでパスタを茹でるための用意をする。レンジでパスタが茹でられるっていうタッパーを買ってみたばかりだった。水を張ってレンジに入れたら、そのあいだにソース。オリーブオイルをフライパンに回し、あたためる前にチューブのにんにくをひり出す。鷹の爪はないから、一味唐辛子でいいや。玉ねぎは粗みじんにして、同じくらいの大きさにピーマンもそろえる。それらを炒め、しんなりしたらかに缶をその水分ごと入れてしまう。煮た立たせたあと、誰かが飲み残していた安い白ワインをさっとまわした。
最後に味をクレイジーソルトで調えた。
これはそのころカルディで発見した優れもので、かければ全部おいしくなる魔法のようなスパイスソルトだ。それをぱっぱとかけてまぜあわせてできたかに缶のペペロンチーノは、友人たちに絶賛された。
まじうめーんだけど、天才かよ、俺はこれ外で食べたら1500円払うね!
酔っ払った男子大学生のいうようなことで、何の説得力もないのだけど、それでもぼくはうれしくて、それから家に友人を呼んで飲みながら何かをつくってみたり、ということをよくするようになった。
大学4年生になって仲間たちと雑誌をつくっていたころ、ある人に取材と打ち合わせをさせてもらうため、ぼくは編集部の女性メンバーと2人で吉祥寺のカフェに出かけた。もともとはセクシーな業界で名を馳せ、そのころ文筆家としても活躍していたその人と会うのに、ぼくはいささか緊張していた。
雑誌づくりをはじめて1年くらいが経っていた。自分たちの雑誌の他に商業誌でもライターをさせてもらいはじめた時期で、インタビュー自体には慣れ始めていた。けれど、今の緊張はそれとはまた別のものだ。
性に関わる仕事をしていた人を、性的な目で見てしまったらどうなるのだろう。そりゃ失礼に値するだろう。いや、ひょっとしたら、性的に見ないほうが失礼だったりするのか? いや、そんなことはないか。いずれにしても、ぼくがおかしな態度をとって空気が乱れたら取材にだって関わるし、何より今隣に座ってる仲間に引かれたりするのもかなりいやだ。気をつけよう。
そう思ってはじまった取材は、緊張に反して穏やかに進み、その人が中高生の時に読んでいた海外文学の作品などにまで話は広がっていった。ぼくは目線を合わせて話しながらも、咄嗟のタイミングで胸など見ないよう、時折足下を向くようにした。中高一貫の男子校で育った人間は、そういうことを無意識にしかねないからだ。テーブルの下にあったその人の足首は、今まで見た女の人のそれの中で、1番細く引き締まっていた。
取材が終わって雑談をしていた時、食べものの話になった。最近食べたおいしいもの、おすすめのお店、家ではどんな料理をするのかなどなど。緊張から解放されたぼくは思わず聞き手の役から降りて「ぼく、料理が趣味なんです!」と勢いよくいい放った。
えーすてき、とその人はいった。すてきといわれてうれしかったので、最近どんなものをつくったのか色々話した。うんうん、と微笑みながら聞いてくれていたその人が、ぼくのターンが終わるタイミングで「でも、クレイジーソルトなんか、使ったらだめね」といった。
「昔、自称料理好きっていう男子といい感じなったことがあったのね。それである時、家に呼ばれたの。何をつくってくれるのかな、って楽しみにしてたら、そいつ得意顔でクレイジーソルトを使ってるわけ。調味料棚をふとみたら、そういう便利なものばっか並んでて、ああこれないわ、って一気に冷めたの」
沈黙。返す言葉がなかった。さーっと血の気が引いていって、それは戻ってこなかった。会計をしてどんな感じで別れて、家に戻ったのか覚えていない。ただ、帰宅してクレイジーソルトをゴミ箱に投げ込んだことだけは、はっきりと覚えている。
それからぼくの頭には、便利な調味料に頼ること=ダサくて美人に嫌われること、と強く刻まれた。なんて短絡的なんだろうと、今は思う。でもその時は必死で、失われてしまった何かを取り返そうとしていた。
料理が好きだと人前でいえなくなった。化学調味料、ダメ。合わせ調味料、NG。できるだけ、最初から自分でつくること。ハーブやスパイス類が増えていく。クックドゥなんてもってのほか。ああいうのを使うのは、利便性に負けた味音痴。麻婆豆腐をつくることが、大変になった。甜麺醤、豆板醤、豆豉、紹興酒、そういうものを買ってきてがんばってあわせる。花椒も当然必須。苦労してつくった麻婆豆腐はとてもおいしい。これが本来の料理なのだ。っていうか、これでもまだまだ全然甘いのだ。もっとすごい人たちがいて、それが本当の「料理好き」なのだ。油断しちゃいけない。
キッチンに立つのに、構えが必要になった。
それでも料理をする楽しみとか、それが生活につながっていくことのよろこびだとか、そういうものをなんとかことばにしたくって、自分たちの雑誌にコラムを書いてみたりもした。自分なりにいいものになったと思ったけど、男友達から飲みの場で「武田はほら、あれだよな。ていねいな暮らし、とかが好きだからさ」と薄ら笑いとともにいわれるようになって嫌だった。それを嫌だっていうことは、もっとダサいことに思えたから、ただ、へへへ、と笑っていた。20代前半の男子は、何をするにしても家の中より家の外のことの方が好きみたいだった。だからぼくもそれに習った。
その頃の忙しさもあいまって、だんだんと自炊から遠ざかっていった。
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それから10年以上経った今、やっとぼくからクレイジーソルトの呪いが解け始めている。きっかけは、はじめての子どもが生まれたこと。はじめてのことばかりだから、すべてのタスクを戸惑いとともに行うことになるわけで、するとこれまで以上に家のことにかけられる時間がない。けど、赤ちゃんのためにも妻には、栄養のあるものを食べてもらいたい。でも、今までみたいに「ちゃんと」料理ができない。
そんな時、新生児期にサポートに来てくれていた母から、これ使ってみたらおいしいしめちゃ便利だったよ、とある調味料を手渡された。パッケージを見てひるんだ。クレイジーガーリックと書いてある。あの、クレイジーソルトの兄弟じゃん。手首を返して原材料を見てみると、にんにくを中心に、岩塩、オニオン、ブラックペッパー、セロリシード、タイム、オレガノが入ってる。
なるほどね。
使ってみたらとてもよかった。気をつけないと全部同じ味になってしまうので、最後にぱらりとかけるというよりは、下味に使うといいということがわかる。よくやるのは鶏ハム。これをぜんたいにまとまわせた鳥胸肉を一昼夜冷蔵庫で寝かせて、あとはジップロックに入れて低温調理器(「ちゃんと料理」時代に買っていたもの)にかけておくだけ。これで、とても鳥胸だと思えないしっとりジューシーな鶏ハムができあがる。
呪いから解放されたぼくはそれをいいことに、興味から色んな便利調味料に今、手を出している。あの忌まわしき味の素が、サトウキビからできていたなんて知らなかった。これは卵にとてもあうもの。調べたら料亭の吉兆がかなり早くから使っていた、なんてインタビュー記事が見つかった。
そして顆粒だし、なんて便利なんだ! 少し鰹のうま味を足したいときに、とてもいい。出汁入りのお味噌。これは静岡のSAに寄ったときに海老のだし入りと書いてあったものを買ってみた。めちゃくちゃおいしい。海老の出汁は気合いを入れて、海老で何かつくろうとした時の殻を使わないととれないから、この味噌があれば、気楽に味わえるじゃないか。そして何より、ママーのパスタ。4分でゆであがる? きみは最高のプロダクト。
思えばあの人が、クレイジーソルトなんて、といったのは、男女の一大イベントの食事の場にそれがふさわしくない、ということだったのだと、今になって気がついた。ハレの食事の場に、利便性にまつわるものはあまりにもセクシーじゃない。取り替えの効かない、効かないように思える一回性の魔法が欲しい。
でも料理や食事のうち、そのほとんどが実際はケのそれである。慌ただしい生活の中で、そこまで手をかける時間のない中で、それでも自分で作ったおいしいものを食べたい。その時、利便性は大げさではなく、救いになる。
子どもが生まれてから、また毎日キッチンに立つようになった。今日は何をつくろうかな、と考えるとき、最初に頭に浮かぶのは手軽で簡単である、ということ。そうやって気楽に料理をしてゆくのが、今とても楽しい。
構えず、突き詰めず、こだわりすぎず。そうやって様々の余白を残してつくったものを、口にする。食べ終わっても、力が残っている。洗いものがあまり出ないように考えたから、後片付けも楽だ。シンクに向かい、皿を洗った。洗いかごにそれらを移し替えながら、今度は何をつくろうかな、と考える。明日に、その楽しみの続きを残すようにして。
最後までありがとうございます。また読んでね。