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今さら聞けない保険の成り立ちと歴史

曲突徙薪(きょくとつししん)
→ 災難を未然に防ぐことのたとえ。

転ばぬ先の杖ということわざがあるが、まさに保険をかけるといったところだろうか。

人は不安なことがあったり、知らないものがあると、保険をかけようとする。

なにかあったときに取り返そうとするという保守的な考え方が働くということだ。

今の時代は様々なものに保険をかけることができる。

では、保険とはどのようにして人類の文化に溶け込んでいったのか。

その歴史を紹介していこう。

保険の成り立ち

古代には現在の保険のようなシステムは当然なかったのだが、保険に似た相互救済という考え方は、人類が共同生活を始めたころからあったとされている。

記録に残っているものでは、紀元前2250年頃のバビロン王ハムラビの時代に隊商、つまりキャラバンの間に保険と似たような申し合わせがあった。

その内容は、盗賊による損害を受けた隊商があった場合には、その損害を隊商全体で負担するというものだ。

この盗賊による損害を隊商全体で分担するという考え方が、加入者全体で被害者を救済するという現代の保険の考え方に反映されているという。

その後、紀元前300年頃に登場したのが、冒険貸借だ。

この冒険賃借は、地中海の貿易で活躍する商人たちにより展開された。

その内容は、まず船や積み荷の持ち主がそれを担保に金融業者からお金を借り入れる。

そして、もし船や積み荷にトラブルがなく交易を終えることができたなら、利息を付けて返済するという制度だ。

一方で、船や積み荷がトラブルに合って無事でなければ、返済は免除されるという条件が付いていた。

つまり、現在の保険により近いものであり、海上保険の原型だとされる。

損害保険は海上から始まり、海上貿易と共に発展していくのである。

様々な保険が生まれたきっかけ

海上保険だけだった損害保険が火災による被害まで補償するようになったのは、とあるきっかけがあった。

それは、1666年9月に起きたロンドン大火である。

パン屋のかまどから燃え広がったといわれる炎は4日間にわたって燃え続け、ロンドン市内の家屋のおよそ85%が焼失したという。

このロンドン大火は、ローマ大火、明暦の大火と併せて世界三大大火といわれるほど大規模なものだった。

そして、ほとんどの家屋が焼け落ちてしまったために、火災によって財産を失った場合を想定して火災保険が登場することになる。

1681年に世界初の火災保険会社ファイア・オフィスがニコラス・バーボンという医者によって設立されるのである。

その内容は、設立当初は保険金を給付して補償するのではなく、焼け落ちた建物の再建することで補償していた。

また、この頃、ロンドンの港近くにあるエドワード・ロイドが経営するコーヒーハウスに船主など海上輸送の関係者が立ち寄って情報交換をしていた。

そこへ保険引受業者も多くやって来るようになり、保険取引もこのコーヒーハウスで頻繁に行われるようになった。

そのコーヒーハウスの名は、ロイズ・コーヒー・ハウスだ。

そう、ここで形成されたのが国際的な保険組織である、ロイズなのである。

日本での保険の始まり

日本においても、災害にあったときにお互いに救済しあう制度は古くからあった。

奈良・平安朝時代には、凶作の年に農作物を窮民に分け与える制度である義倉や、室町時代以降に盛んになった、無尽や頼母子講(たのもしこう)もその1つだ。

損害保険の歴史も海外同様に海上から始まった。

江戸時代に活躍した朱印船には、海難事故などの危険が高かったため、抛金(なげかね)という制度が考え出された。

1航海につき金融業者が証文に基づいて金を貸し、航海が無事に終われば利子をつけて元金を返済する。

ただし、船が難破した場合は利子も元金も払わなくていいというもので、まさに現在の損害保険のベースとなったといわれている。

近代的な保険制度の始まりは、1859年に横浜に損害保険業が外国保険会社によってもたらされたことがきっかけだとされる。

それから、1867年に福沢諭吉が著書の西洋旅案内で、西洋の近代的な保険についての知識を紹介したことも大きく影響を与えた。

その後、1879年に日本最初の海上保険会社となる東京海上保険(現・東京海上日動火災保険)が営業を開始。

1888年には最初の火災保険会社となる東京火災保険会社(現・損害保険ジャパン日本興亜)が営業を開始した。

四半世紀前までは各社が同じ保険を扱っていた事実

1998年に自動車保険等の主要商品について保険料率が自由化された。

これを保険の自由化というのだが、実は四半世紀前(約25年前)まで損害保険会社はみな同じ料率で販売していたという歴史がある。

保険が自由化されるまでは、損害保険料率算出機構という料率算出団体が自動車保険や火災保険の料率を決めていたのである。

料率とは保険金に対する保険料の割合のことで、簡単にいうと保険商品の値段が決められていたということだ。

現在は、各保険会社が独自の保険商品を開発し料率を設定することで、保険会社間の競争が進み、消費者の保険商品の選択肢が拡がったというわけだ。

まとめ

現代の保険は、人工衛星、航空機などの宇宙規模の壮大な世界に対する保険から、介護が必要になったときに補償される介護保険、愛犬が怪我をした時に治療費を補償するペット保険など多くある。

そして、今後も新しく保険が生み出され続けることは間違いない。

保険はなにかリスクを感じるものがあれば成り立つものだからである。

ただし、あまりにも世の中に起こりすぎる事故や損害ではビジネスモデルとして成り立たないため、絶妙な割合で事故や損害が発生する必要がある。

そんな保険は、個人的にはネガティブなものとして捉えているが、ビジネスとしてはまた別の話だ。

実はstak社も保険に絡ませたビジネスモデルを1つ考えており、実行する可能性が出てきている。

このあたりの話は非常に面白くなると思うので、話せるようになったら、そのときにできるだけわかりやすくビジネスモデルの解説をしてみようと思っている。

くり返しになるが、これだけはもう一度書いておこう。

保険は不安や知らないことや不確かな未来に対して、大きな力を発揮する。

そして、その根底にあるものは確率論でもエビデンスでもなく、人の感情であるということは忘れてはならない。


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株式会社stakは機能拡張・モジュール型IoTデバイス「stak(すたっく)」の企画開発・販売・運営をしている会社。 そのCEOである植田 振一郎のハッタリと嘘の狭間にある本音を届けます。