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ヒエラルキーの最上位にある行動できる人

呉越同舟(ごえつどうしゅう)
→ 仲の悪い者同士が行動をともにすること。

昨日の敵は今日の友という言葉がある。

昨日までは敵だった者たちでも、事情が変わって今日は味方同士になることを意味している。

人の心や運命がうつろいやすく、あてにならないものであることのたとえでもあるのだが、仲が悪くても案外良い結果を生むこともあると思っている。

というのも、目的や目標を持っていて、それに向けて必死に動いている人は全て正しいからである。

誰しもが正しいという原点

あなたが行動をするときを考えて欲しい。

細かいところまで考えていないかもしれないが、少なくとも自分自身が間違っているとは思っていないはずだ。

つまり、自分が行動を起こしているときは、潜在的に正しいという概念が根本にあるということだ。

性善説にも少々繋がる部分があるかもしれないが、基本的にはほとんどの人が悪いことをしようと思って行動を起こすことはない。

それぞれに理由があれど、そこには善も悪もない。

その人のいる環境によって、その人の考えに基づいて行動を起こすわけで、誰しもが正しいということだ。

例えば、家族や恋人がお腹を空かしているだろうと料理を作るという行動を起こしたとしよう。

当然、料理を作った人は相手のことを想って作ったわけで、そこに悪意はない。

一方で、料理を作っているなんて思ってもいない家族や恋人が外食をして帰宅したとしよう。

帰宅すると料理が作ってある状況に対して、様々な対応ができるはずだ。

外で食べてきたからと正直にお腹がいっぱいであることを伝え食事を断る人もいるだろうし、せっかく作ってくれたので外食してきたことを内緒にして食べるという人もいるだろう。

そのどちらも間違っていなくて正しい。

それにも関わらず、正直にお腹がいっぱいだということを伝えると作った側の相手は気持ち良くはないので気まずくなったり、本来は思いやりで作った側が逆ギレをするという人もいるだろう。

あるいは、外食してきたことを内緒にして無理して食べた側も決して気分は良くないだろう。

けれども、相手を想って取った行動は間違っていない。

くり返し述べておくが、誰しもが正しさの上に行動を起こしている。

仲が悪いという概念

冷静に考えて欲しい。

そもそも、仲が悪いというのはどういった概念なのだろうか。

あなたは、仲が悪いという関係の人がいるだろうか。

私はどうかと言われると、正直パッと思いつかないのである。

かといって、私だって人間なので相手の好き嫌いはある。

とはいえ、嫌いという人は仲が悪いという関係ではないと言い切れる。

なぜなら、嫌いな人は別に付き合わなければいいだけで、そもそも交友関係がない。

つまり、仲が悪いというというのは、大前提として交友関係があるということになる。

となると、個の場面や一対一の場面では仲が悪いという状況は起こらないと考えている。

なにが言いたいのかというと、仲が悪いという概念は複数人でいる状況でなければ起こらず、自分主体で決める概念ではないということだ。

複数人がいる環境で、他人が勝手に仲が悪いという概念を決めつけるものだということだ。

人間は噂話が大好きだ。

それも、ネガティブな噂話が拡がるスピードは本当にはやい。

人の不幸は蜜の味という言葉があるとおり、悪口のようなマイナスに関わる噂話は本当にあっという間に拡がる。

その中には、あの人とあの人って仲が悪いらしいよというものも含まれる。

人生において、そんな会話を一度は聞いたことがあるはずだ。

仲が良い人とケンカすることくらいあるだろう。

それを聞きつけた第三者が、勝手にあの2人仲が悪いらしいよと何気なく拡めてしまうというパターンだ。

たちが悪いのは、その噂がきっかけで、そもそもそんなに大したケンカではなかったのに後に引けなくなるということもあり得るということだ。

私の主張をまとめると、仲が悪いという概念は自分発信ではなく、第三者が勝手に決めてしまうパターンがほとんどだということだ。

そして、一対一の場面で仲が悪くなるということよりも、複数人いる場面で誰かが勝手に拡めてしまうというのが、仲が悪いという概念の根本にあると思っている。

人間関係をややこしくする感情

仲が悪いという概念について私なりの理論を書いてきたが、なにも仲が悪いという概念だけがややこしいわけではない。

なぜなら、人間には感情というものがある。

人間関係をややこしくしている根本にあるものが、この感情である。

喜怒哀楽という四字熟語に象徴されるように、様々な感情が人間にはある。

そして、ある人にとっては喜びであっても、別の人からすると哀しみであったりと個人に感情は依存する。

それから、この感情というものは、なにもしなくても沸き起こるから、さらにややこしさを増すのである。

要するに、ジッとしていても感情は沸き起こる。

その感情はなんの根拠がなくても、人間である以上、なにかしらの感情が沸き起こる。

人間として生まれてきた以上、いつなんどきでも、誰にでも平等に与えられているのが感情だ。

そして、だからこそ人間関係を最もややこしくするのが感情であることを改めて認識しておいた方がいい。

ヒエラルキーの最上位にあるもの

ややこしくなってきたので、これまでの話をまとめていこう。

まず、人間の行動の根本には誰しもが正しいという大前提がある。

悪いことをしようと思って行動を起こすということは、通常は考えにくいというわけだ。

基本的には性善説の上で成り立っているのが人間社会で、ただし、仲が悪いという概念もある。

けれども、その仲が悪いというのは、自分から決めるものではないし、一対一の場面では起こりにくい。

あくまで複数人いる状況で、第三者が仲が悪いと吹聴するというパターンが一般的だというわけだ。

こういった状況になるのには理由があって、それは人間として生まれてきた以上、誰にも平等に感情というものがあるからである。

とはいえ、こういったややこしい状況のヒエラルキーの最上位にあるものがある。

それが、冒頭に書いた、目的や目標を持っていて、それに向けて必死に動いている人だ。

こういった人々は正しいと書いたが、根本にある正しさとはまた別の正しさがある。

それは、周りの人をも正しいという自分の世界に取り込むことができる正しさを持っているからである。

上述したが、感情はなにもしなくても沸き起こるのが人間だ。

けれども、信念を持って行動している人に備わっている感情とはレベルが違うということだ。

新年を持って行動する人は本当に少ない。

だからこそ、ヒエラルキーの最上位に位置することができるというわけだ。

まとめ

今回のテーマとなった呉越同舟(ごえつどうしゅう)は、 仲の悪い者同士が行動をともにするこという意味だ。

改めてこの意味を因数分解すると、まず仲の悪いという概念は第三者がつくりだすものであるので、実は仲が悪いということはないということも十分にあり得る。

となると、勝手に誰かが仲が悪い者同士が行動をともにしていると言っているだけで、実際は仲の良い者同士の可能性もあるということだ。

そして、なによりも大切なことは、行動を起こしているということになる。

湧き出てくる感情を述べているだけではなく、実際に行動を起こしているということは、ヒエラルキーの最上位にある行為をしているかもしれない。

なによりも大切なことは、行動を起こすということで、その環境や相手がどんな立場であってもいい。

物事はそんなにキレイにばかり進むことはない。

いろいろな状況が重なって、上手くいく瞬間というものがある。

それは再現性がないもので、だからこそ行動を起こすこと、手数を多く出すことが重要になるということだ。

さあ、動け。

これでもかというくらい、とにかく上手くいくまで動き回れ。


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植田 振一郎 Twitter

株式会社stakは機能拡張・モジュール型IoTデバイス「stak(すたっく)」の企画開発・販売・運営をしている会社。 そのCEOである植田 振一郎のハッタリと嘘の狭間にある本音を届けます。