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設立の挨拶 続き

あれから24時間経とうとしております。
皆様いかがお過ごしでしょうか?
鈴木です。

さてさて、無事にカナダはバンクーバーへ入国できた俺ですがここから人生でもランキング上位に入るくらいの濃ゆい時間を過ごすことになります。
彼女できました。ネットの解約(電話で)できるくらいの英語力が身につきました。友達できました。ハーレー乗りました。そして…

英語の上達は当たり前です。だって半年も学校に通ったんですもん。しかも人より長い時間(夕方くらいまで)。みんなは15時くらいには授業終えて、カフェとかでゆったりLIFEでしたが、俺は17時過ぎまで授業でその後も復讐と予習に明け暮れていました。
あっちってカフェ閉まるの早いんですよね。大体18時くらいには閉まっちゃう。チェーン店は別として、結構個人でやってるとこが好きだったりするんですが、そういうとこは特に早く閉まっちゃう。チーズケーキが美味しいあの店、また行きたいな。

ガーーーーーっと話は進んで約1年後の10月。前々から計画していたアメリカ旅を実行に移すことに。
スタートゴールはラスベガス。そこを起点に1週間でアメリカを周れるだけ周ろうっていう計画性があるのかないのかの旅。
宿の予約は初日と最終日の2日のみ。あとは行きあたりバッタリのそんな感じ。
ラスベガスに降り立った俺は思った。
「さすがカジノの街。空港にもスロットがあるのか。」

夕方のついたその日は観光がてらラスベガス泊に決めていた。なんせ1人。時間だけはあった。俺だけじゃないのかな?ラスベガスの端から端まで歩いたのって。
ちょこちょこバスが走ってるからみんなはそれに乗って移動してた。
もちろんカジノに入る。フリーで配られるシャンパン。上を見上げるとセクシーな女性が踊っている。これぞ…と本場を味わっている俺。ここでも俺だけじゃないの?ということが起きる。

”ラスベガスで1ドルも使っていない”

ギャンブルには全く興味のない俺。だとしてもちょっとくらいはやれよとお思いだろう。俺が心配したことは

”大当たりしちゃったらどうしよう”
だった。

ここでジャックポットなんてなって数百万ドルなんて手に入れたらそれこそ命が危ない。そんな心配を胸に俺はそそくさとカジノを後にする。
ホテルへ戻る前にマックへ寄った。オーダーは慣れたもんだ。チーズバーガー2個とポテトL、シェイクを買ってホテルへ。
キングサイズのベッドの上にマックを広げ、貪るように食った。
もちろんポテトはシェイクにつけて(これみんなやってみて)。

そのあとはささっと翌日のスケジュールを確認。といっても予定なんてないのだが。
その晩は気づいたら寝ていた。

翌朝、チェックアウトを済ませ空港のレンタカーショップへ。
スタッフ「無料でアップグレードできますがいかがですか?」
俺「え!もちろん!」
形から入るタイプの俺は迷わずジープを選択していた。だってアメリカトリップで俺といったらジープでしょ?(いつか皆さんにお会いできる日があれば約束しよう。あ、この人ならジープ一択だなと思わせる風貌をしている。)

ジープからアップグレードか!ルンルンと受け渡しの駐車場へ向かう。
そこへ俺の車がやってきた。
「ん?」
目の前に停められたのはクラウン。そうあの高級車クラウン。
確かにアップグレードはされてる。スタッフに嘘はない。でもこれで1週間砂漠走るの?結論、乗り心地は最高だった。ただ運転には相当気を配った。

まずはガソリンスタンドへ。地図を買うためだ。そこでスタッフに聞く。
「ここまではどう行ったらいい?」
そう、この度の醍醐味は人と話すこと。スマホ調べれば済むことだが、そこはあえて人に聞く。知ってても聞く。これがしたかったのだ。

ローカルの地図をもとにハイウェイをとばす俺。ラジオはカントリーミュージックの流れるチャンネルで。
めちゃくちゃ気持ちがいい。ずっと変わらないが、ずっと最高の景色が広がっていた。日が暮れ始めるとそこから宿を探す。これもいい。事前に予約なんかしない。知らないところでハイウェイを降りて給油がてら宿も探す。
買った地図の端っこまで来たらその手前の町で地図を買い足す。そこからまた端まで行ったら…の繰り返し。

何日か後の宿探しで降りた町(”街”より”町”の方がしっくりくる感じわかる?)。そこで給油のためにスタンドへ。海外のスタンドは日本と違って車を停めたら一旦店内に入って”〇〇番でどれくらい入れます”ってのを申告するスタイル。何回目とかだから慣れたもんだったけどあえて隣で給油してるおっちゃんに聞く。
「これ、どうやって使うの?」
「先に店内で支払ってくるんだよ。そしたら入れられるから。」
「ありがとう。」
レジには大勢の人が並んでいた。車はさほど止まっていなかったから、地元の人がスーパーがわりに使ってるのかな?と思った。

列の最後尾に並ぶ俺。その時だ。前に並んだ人たちが一斉に振り返り俺をみた。
珍しかったのだろう。世界の歩き方やるるぶには絶対載ってない、ローカルもローカルな町、いや村?観光客は絶対に来ないであろうそんなところに突如現れたアジア人。しかもちょっと顰めっ面。俺は瞬時に命の危険を感じた。
なぜか?白人ならそうはならない。そこに並んでいるのは皆先住民インディアン系の方達だったからだ。斧でも飛んでくるのか?そんなことを思いながら平然を装って並んだ。
もちろん無事に給油は完了。皆ただもの珍しかったんだろう。

有名どころは周った、グランドキャニオン、アンテロープキャニオン、国立公園などなど。アンテロープキャニオンなんて決まった人(先住民か神聖な場所だから許可を得てる人)が一緒にいかないとダメだなんてそこで初めて知った。夕方の日暮間際。なんとか交渉して俺1人の貸切ガイドツアーが始まった。車を乗り換え目的地へ。あの映像で見た。写真で見た景色が目の前に広がる。
ガイドさんはカメラマンも兼任してくれた。慣れた手つきで設定を変え、撮ってくれた。普通はなんグルーかでくるもんだと、ここでもラッキーマンだった。
帰りはルート66を走る。時間は何倍もかかるがここを走らない奴はいない。

遠くの方にラスベガスのあかりが見えてくる。面白い。周りは砂漠でそこだけが光々と光っているのだから。帰りは目的地が見えている分ほとんどノンストップで走った。何か安心感を感じたのを覚えてる。

車返却日前日の夜、なんとかラスベガスに戻ってきた。近くのモーテルにチェックイン。翌朝早朝、綺麗な状態で返そうと思い洗車をすることに。
申し訳ない。モーテルのバスタオルをお借りした。

車体を見て唖然とした。事故ってないので大きな傷はないものの、小石が跳ねたような細かーーーい傷がいくつもあった。
(あぁぁぁ…)
それ以外はピッカピカにしてガソリンも満タンにして返却。
何事もなく無事に返却完了。
最後の車体点検(日本でもよくある紙に傷のチェック入れていくあれ)で明らかに傷増えてるのに何もなかったように終わった。

そこからバンクーバーへ戻る。それまでの1週間が夢のように一瞬で過ぎていったが、10年以上経った今でもこんなに鮮明に覚えているのは嬉しい。

それこそお土産はないが、立ち寄った町で日本へ手紙を送っていた。その時の状況や心情を連ねたハガキは全部無事に日本へ届けられた。

その数日後、日本へ帰国。
留学の思い出によく友人といったピザ屋へハロウィンで店名を掘ったかぼちゃを持って取った写真をプレゼントしてきた。「PIZZA2001」というお店。もしいく機会あったらまだあるか見てきてほしい。図書館の方にも新しく店舗ができたみたいだが、俺らがよく行ってたのはウォーターフロント駅の近く、角にある店舗。

おっとこんな時間だ。
続きはまた。

大丈夫です。しっかり起業につながってきますから。

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