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YouTubeを見まくったことで独り言が増えた?

私は、自閉症スペクトラムなどの発達障害児の言語発達支援をする言語聴覚士という仕事をしている。先日の仕事中、1人の子どもの異変に気付いた。

小学校低学年の児は

「今日は◯◯していきましょう、まずはじめに△△‥‥」

と、長い長い文章をまるで自身が何かの進行役かのように話し続けていた。これだけ聞くと何が異変?と思う人もいるだろう。

実は、これ「独り言」なのだ。まるで何かのYouTubeのオープニングをなぞっているような語り口。

ただし、児の場合は目の前の誰かに話しかけるわけではない。もちろん、児がマイクを握って司会者になる必要もない状況だ。ひたすらウロウロと教室中を歩き回り、時に床に顔を伏せてうずくまりながら、独り言を繰り返している。

「ちょ、自分の脳内で反芻する言葉が外に漏れてるよー!」と教えてあげたくなる程度に独り言がある子だった。

いつもと違うのは、大人やお友達が話しかけても振り向きもしないこと。それくらい自分の世界に没頭している形だった。

常駐する先生に最近のその子の様子について尋ねてみた。

◯最近自分専用のスマホを買ってもらい、家でずっとYouTubeをみてる
◯早くおうちでYouTubeみたい!帰る!と泣き叫ぶ日が増えた

とのこと。もう少し家や学校についての聞き取りは必要だが(様々な理由が複雑に絡むケースは多々ある)、児の語り口が完全にYouTube流なことから、独り言とYouTubeの関係性を否定できないなぁ‥と思ってしまった。

自閉症児の言葉の発達特性×YouTubeの影響

実はこの児、「自閉症スペクトラム」の特性を持つ。社会性(関係性)の発達が定型発達とは多少異なっているので、以下のようなことが起こっている。

◯好きな遊びへの関心は高いが、人に対してほどんど興味を示さない
◯自分が人に要求がある時以外は、基本的には人と距離をとって接する

このような状況ではあったが、「独り言が異様に増えたこと」「人からの話かけに応じなくなったこと」が大きな変化。

実はこの現象、自閉傾向を持つ子ども達にとっては陥りやすい。

定型発達児は、初期に言葉を発する場合以下のような場合が多い⇩

①大人と共有したい物がある時
「まんま」→ご飯たべてるね!と教えてくれている(共通認識)
②大人に要求を伝えたい時
「まんま」→ご飯食べたい!

一方、自閉傾向のある子は以下のようなパターンを示す子がいる⇩

①自己完結する言葉
「うーあーあああ(誰に向けられたわけでもなく繰り返す)」
②環境音
「ガタンガタン(電車の音)」

言葉=相手に要求を伝えるもの、目に見えない何かをシェアするもの、という認識がつきづらい。

そして、発達年齢があがっていくと、言葉の意味や用途は置いておいて、ことばの並びだけに注目する現象が出てきやすい。

例えば
訓練室の玄関先で、子ども自らがコートを脱ぎながら、「ママにコートぬいでちょうだいね」と言う。これは、完全に大人が言っていたセリフを意味がわからず完全コピーして使っているのため、状況にあわせた発話になっていない。(本来は「ママにコート渡すね」などが適当だろう)

今回の児も、意味や用途は一旦置いておいて、自分の頭の中に強く記憶されているものが、形式的に溢れ出ている状態だ。児の場合はあまりに記憶が脳内を席巻しすぎて、無自覚的に外にダダ漏れしている。

実は、YouTubeのように、誰かとの対話なしに、一方的に情報を受け取るものは、児にとっては接しやすいものの一つ。なので、余計に情報として得やすくなる。

発達障害×依存

発達障害を抱える人は、定型発達児に比べて刺激に弱く流されやすい性質があると言われる。実際に、発達障害の人の多くの人がネット依存に苦しんでいるという。

年齢が幼い程、情報の取捨選択をする判断力が低く、必要な情報だけでなく不必要な情報や刺激にも流されやすくなるだろう。

ましてや、関係性の発達に課題があり、対人の中でコミュニケーションエラーの修正が難しい児にとって、YouTubeの刺激は言葉の唯一の学習ツールに成りかねず、言葉の学習が偏っていく可能性をはらんでいるのだ。

ただ、YouTubeによって言葉の学習を図れるケースも否定はできない。
社会性(関係性)の発達に課題がある子がYouTubeをみたことで、今まで興味のなかった世界を知ることができたという事例を私自身経験した。悪いことばかりではないのはわかっている。

ただ、画面対自分の関係性にとどまる危険性。元々苦手な対人関係がもっと億劫になってしまう事実は否定できないだろう。

様々な事情があるのだろうし、何がよくて悪いのかはこの事態だけで私が判断できない。

しかし、人と双方向にコミュニケーションを取ることへのコツというのは経験をしないと身につかないものだ。ネットとだけ対峙していては、身につかない。

だからこそ、ネットの中だけで完結してしまう一方的なコミュニケーションに関しては、多少の量の制限が必要、それが私の個人的な見解だ。

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