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人生には季節がある。今は冬なのかもしれないね


こんな経験はないだろうか?
誰かに言われた何気ない一言が、何年たってもまるで昨日起こったことのように鮮明に思い出されることが。

言葉は不思議だ。
話し手が言葉に込めたメッセージは1つだったとしても、聞き手の置かれている状況・経験・知識など様々な要因で、いかようにも変幻する。

それは時に思わぬ鋭さのあるナイフとなり、時に忘れることのできない救いになる。

今までに何度か「ターニングポイントになった言葉」に出会ってきたが、「救い」という点では、この言葉を越えたものはないかもしれない。

人生には季節がある。今は冬なのかもしれないね

今それを思い出し、ここに吐き出そうと思ったのは、今私の大切な友人が苦しんでいるから。彼女は自分で起き上がったり時に逆戻りしながら、前進しようと戦っている。

私の経験が彼女にとって良い意味を持てるかどうかはまた別次元の話だが、彼女をはげませる方法がなかなか思いつかないので、自分の回復過程をたどりながら思案したいとおもっている。


2016年、どん底到来

2016年、私はどん底だった。
その程度のどん底甘っちょろ!と思われる方もいるかもしれないが、少なくとも私が生きてきた30年の中ではどうも様子が違う1年だった。

『喪』が今年の漢字に選ばれてしまいそうな程、これがしっくり来てしまうような年だった。

物理的な所からいうと
・財布 2回
・携帯
・iPad
・時計(プレゼントで頂いて1週間後の悲劇)

これは、私が2016年のうちに無くしたものトップ4。
他にもこの年は本当によく小物を落とした年だったのだけど。よくもまぁ!こんなに金目のものを次から次へ。10年くらいかけて経験しそうな落し物をが、1年間に凝縮された感じ(笑)

仕事でも経験したことのないトラブルが起こった。
これまで患者様からのクレームが一度もないことは小さな自慢だったのに、初めて大クレームを受けた。それに止まらず、担当変更を命じられた。要は選手交代、クビだ。
私的にはボタンの掛け違いが理由だと思っていたが、担当のDrにもこっぴどく怒られた辺りからすると、きっとそれだけでは無かったのだろう。
他の仕事も、この年はやる気を持って望んでも空回りすることが多かったなぁ。

プライベートでは引きこもりになってしまった。
私は元々超アウトドア。新しい出逢いが大好きで、趣味は常に複数あり、毎週末は1人勝手に忙しくなっているようなタイプだった。そんな私が、外出する気にも新しい友達を作る気にもなれず、1人で家にいることが増えた。
当時の私界隈の中では、付き合い悪い友人ランキング、堂々の1位だったと思う。

追い討ちをかけたのが、最愛の祖母のステージ4末期ガンからの余命数ヶ月宣告。
家族みんなに愛された人で、家族間のバランスをとっていたのはまさに祖母だった。私はその数年前から母との間でギクシャクがあったが、大好きな祖母が間を取り持ってくれ、なんとか関係性が維持できていた。祖母が突然命のリミットを告知され、母は崩れていった。そして私との親子関係もこれまでの膿が隠しきれなくなり、泥沼化していった。

私自身も崩れていった。過去を嫌い、自分を嫌った。
そして、人に対して暴力的な言葉を投げかけるようになった。
その一番の被害者は、当時お付き合いしていた彼だった。相手を傷つける言葉をわざわざ選んでぶつけるようになったり、そうと思えば急に優しくなったり、超メンヘラ女と化していた。今思うと、本当に土下座して謝罪したいくらい。

心の崩れとともに、体調も崩れていった。
私はいつからか、毎日23時になると過覚醒状態になった。
即寝だけが人生の誇りくらい威張っていたのに、どうしたんだい、わたしのからだ。

そして、夜中に起きていていい事なんて一つもなかった。
夜中に送ってしまったメールの最低さと来たら。暴力性の塊だよ、あれは?
朝になる度に後悔し、夜中の自分を呪ったものだ。

人を傷つけると、自分も傷ついていく。
母も彼も、それが大切な人であればある程、自分の苦しみは深くなっていった。

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私はある時から、多くのカウンセリングやコーチングを受けるようになった。コミュニケーションの様々な方略セミナーにもいったし、本も読み焦った。根本は星占術で解決できるもしれないと思い、高額のスピリチュアルな方にすがったりもした。

今思えば、その時に得た学びが今の糧になってはいるのだけど、当時は何をやっても欲しい答えが見つからない気がして、心ばかりが疲れていった。

すくい・ゆるし


2017年が明けしばらく経った頃、ひとつの転機が訪れた。

様々な学びの甲斐あってか、少しずつ暴力性回避の方法を自分なりに学び、気持ちを整えられるようになっていた。家族関係も少しずつ整ってきていた。

それでも、祖母の命が危なくなり、2016年にトラブルを積み重ねた結果当時の彼とは少しずつ距離が開いていた。

もっと早く自分が学べていれば。もっと自分が大人だったら。私は1年前の自分がどうしても赦せなかった。

祖母の命にすがったり、彼に全てを受け止めてもらえない反逆として暴力性を発揮したり、母のことを自分と同じくらい赦せなかったり。

どうして、どうして私は。

そう思いながらパーソナルコーチングを受けていたある日。
自分を責め続ける私に、先生はこの言葉を与えてくれた。

人生には季節がある。今は冬なのかもしれないね

最初は突き放されたように感じた。ついに先生からも諦められてしまった、と。でも先生はこう続けた。

「冬の間はどうあがいても冬なんだ。でも冬には終わりが必ずある。春を迎える準備のために、こうやって苦しみを積み重ねなければいけない時もあるんだ。人生はそうやって巡り巡ってるんだよ」

自分を責める気持ちが消えたか?というとそれは違った。
でも、もがくほど状況が悪くなる、そんな経験を散々した2016年は、今思えばあんなにもがく必要がなかったかもしれないとも思う。
まぁもがいたからこそ、後悔とともに学べたのだけど。

もがいてもどうしようもない時期があった、という概念。
それが唯一過去の自分を赦せるきっかけになった。

私にとっては救いの言葉となった。

雪解け

2017年の春。
立て続けにいろんなことが終焉を迎えた。
最愛の祖母は闘病の末亡くなり、その直後に彼とはお別れをした。
母とはしばらく平和的冷戦状態になった。

いろんなものを失ったのだけど、一気に雪解けを味わったような感覚だった。
2016年の苦しみはやはり季節のせいだと思い込める程、私は穏やかに2017年春を迎えることができた。

そもそも私は大きなを勘違いしていたのだろう。
頑張ってどうにかなることもあれば、頑張ってどうにもならないこともある。
特に人の人生のタイミングや、他人と人生を重ねることは、自分1人の力ではどうしようもならない。

それから時期的なもの。
もし本当に人生に季節があると仮定すると、もがいてもどうにもならない事があったのかもしれない。
動物が食料もなく寒さを耐え忍ぶために冬眠するように、じっと待つしかないことがあるのかもしれない。

少しずつだが、心地よい時間が戻り始めていた。
山に出かけたり、旅をしたり、自分に癒しの時間を設けたり、少しずつ自分を整えられるようになった。

そして、夜11時になると眠れるようになっていた。

他人・季節はコントロールできない

あの時に学んだことは私にとって、今も自分の支えになっている。

まずは、他人をコントロールしようとしないこと。
自分でさえコントロール不全なのに、深層心理がわからない他人や他人の人生をコントロールできるわけがなかった。

祖母の人生を終えるタイミングだって、彼の考え方だって、母の元来の性格だって、私には何一つコントロールできるはずがなかった。

そして、私自身の季節。
何をどうやっても動き出せない季節があるのかもしれない。
あんなに引きこもりだったけど、春になれば自然と動き出すことができた。仕事にもプライベートにも前向きに打ち込めるようになった2018年。
春の訪れとはこのことか。

冬はもう2度と経験したくはないけれど、やっぱりこれからも定期的に訪れるのだろう。程度は違えど、誰だって平等に。

でも、冬の乗り越え方を少し学んだ。
冬があったから、大きな学びがあると学んだ。
何度も触れた「人生に無駄なことはひとつもない」という言葉はよく言ったものだ。

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大切なともへ。
あなたの回復力を心から信じている。
でも本当に疲れた時は、「今そういえば冬だったな、休もう、休もう」そう思ってもいいんだよ。またおしゃべりしようね。

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