2拠点生活をして半年。困ったこと、よかったこと
私は半年ほど前から毎月前半は大阪、後半は東京という“2拠点生活”をしている。
大阪でも東京でもお仕事をしながら暮らしている。
お陰様で(今のところ)生計も立ち、暮らしにもなれてきた。
私は現在言語聴覚士という「医療職」のお仕事をしているので、この働き方・暮らし方はなんだか相当珍しがられる。
それは、聞いたことのない職業名が世の中に溢れるようになったご時世だけど、医療職は変わらず「定住型の働き方」が主流、だからだ。
昔から変わらず、医療職は病院や施設に勤めることが一般的だ。それは、対象となる患者様は基本的には移動しないから。言語聴覚士も例に漏れず、この形が多い。だから私の働き方は少数派なのだと思う。
ここで、突然だが、私の生活歴をふりかえってみたい。
石川で生誕、18歳まで過ごす→岡山で大学生活→兵庫にて就職→東京でインターンちょびっと→世界一周へ→大阪で再就職→2拠点生活
この10年近くで、もろもろ入れると、5回転居しているという事実(驚
これは、絵に描いたような、落ち着きのない人‥‥?
言語聴覚士が天職!と豪語するほどこの仕事が大好きな私だけど、気づいてしまったのだ。
いや、実を言うと、新卒の時から薄々気づいていた。
言語聴覚士に一般的に求められる働き方が、どうも性に合わないぞ‥‥?
言語聴覚士は続けたい、でもひと所にしばられるのはなぁ。
このギャップに苦しみ、10年が経とうとしていた2019年。ようやくこの課題を解決する方法をみつけたのだ。
「フリーランス言語聴覚士」という仕事を自分で作ってしまおう!!
そのタイミングで、脳裏をかすめた「小児分野の言語聴覚士が不足しまくっている」という事実。私がみていた子どものお母さん達も言語聴覚士探しに相当困っておられた。
じゃあ、どこでも働ける言語聴覚士が増えたら良いのか?
自分の(どうしようもない)気質と、支援をしたい人が重なる奇跡が起こせるかもしれない!!
この時点では大阪だけ、東京だけ、と1拠点にしながら複数社掛け持つという形でも良かった気がするのだけど、あえて2拠点にしたのは、同時に全国で仕事って作れるのかな?と試してみたかったから。
何事も小さく試してみないとね!(なぞ信念)
ということで、2拠点生活をスタート。
現在私は、大阪でも東京でもお仕事をしている。
受け入れてもらえなかった企業・病院もたくさんあったけど、今一緒に働かせてもらえている方々には、本当に感謝しかない。
あいも変わらず前置きが長すぎたのだが、半年間2拠点生活をする中で、実際に困ったこと、よかったことを振り返ってみたいと思う。
ちなみに、私は大阪は自宅があり、東京は知人宅に住まわせてもらっているという有難い状況。知人のお陰で本当に苦労が少なく過ごせている、という前提で。
**困ったこと**
⑴郵便物
半月に1度しか我が家に帰らないわけなので、郵便物はぼちぼち溜まる。
急を要する郵便物は特にないはずなので、これまでは特に困っていなかったが、この間ショックな出来事があった。
東京に滞在中、大阪の自宅に所属学会のお知らせが届き、その中に講習会のお知らせが入っていた。その講習会はずっと待ち望んでいたものだったわけだが。
諸事情ある私が郵便物を開封したのは、講習会の締め切りの翌日。‥‥悲劇。一応問い合わせてみたのだけど。結局、参加はできず。とてもかなしいのよ。なんのための学会年会費だったのか‥。
その他郵便物は、配送時期が送り元に委ねられるメルカリの配送先に迷うくらいのもんです。
⑵化粧品が倍必要
男性にはもしかすると理解して頂けない悩みかもしれないが、女性の化粧品ってすごく重いのだ(出張が多い女性とか大変そう)。化粧水、乳液、美容液、洗顔、メイク道具などなど。美容にさほど関心がない私でも、基本これくらいは持っている。
最初のうちは、化粧品ごと大移動させていたのだが、もうね、重い。割れても嫌だしね。
だから同じものを2倍買うことにしたのです。初期経費が痛かったのは言うまでもない(笑)
⑶名前を覚えるのが大変
現在6箇所の会社と契約を結んでいるので、前職と比べ、関わらせてもらう子どもの数もスタッフの数も6倍!名前を覚えるのに、最初はメモ魔になっていたよ。
***
絞り出したのだけど、意外となかった(笑)
本当に東京の知人様様で、私は頭が上がらないなぁ。
ちなみに、移動大変じゃない?とよく聞かれるのだが、実は私は1ヶ月に1往復しかしていない。出張で飛び回る人よりもずっと滞在型なのだ。私は以前からよく旅にでる方だったので、移動頻度としてはほとんど変わっておらず、さほど困っていないかな。
**よかったこと**
⑴講習会は東京開催でも大阪でも行ける
以前は、行きたい講習会が東京しかない!行けない!みたいなことが多かった。それがなくなったのは純粋に嬉しい!逆に日程が縛られるので、いけないこともあるのだけど。
⑵東京、大阪の2大都市の医療福祉事情を学べる
当然住む場所が違うわけなので、医療福祉事情も異なる。自分が当たり前だと思っていた制度がなかったり、また親御さんの意識なども違っていておもしろい。
⑶意外とどこでも働いていけることを知った
この謎生活も意外と成り立つことがわかったのが、一番の収穫かと思う。自分で仕事が作れる時代に生まれた恩恵を存分に受けている!ただ業界が業界なだけに、面接やプレゼンに行ったときは、まず一旦引かれてる(悲 それでも、「これからの時代は福原さんみたいな子がいっぱい出てくるよね〜」と言ってくださる企業も意外と多くて、とても嬉しかった。
とこんな感じ。
今後も常に「微調整」をしながら、様々なお仕事に挑戦していきたいなぁと思う次第です。
そして、こんな私を受け入れてくれた現場の方々への「感謝」をいつまでも忘れずに2020年も過ごしたいものです!(溢れ出る年末感)