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『障害があるってことは障害者なのよね?!』

障害があること と 障害者 であることは同義ではないです。
障害がある ≠ 障害者 』ということです。

非常に曖昧な基準でもあるため、「そうは思わない」と言う方もいらっしゃるかと思います。
しかし今回は、『障害』と『障害者』について触れていきます。

介護する側の捉え方が変わり、ストレスのない生活作りに役立ち、障害で悩む本人のためにもなれば尚の事幸いです。

まず今回の話の対象は、脳に損傷を受けて起きる障害(脳血管障害)。たとえば身体麻痺、言語障害、高次脳機能障害、嚥下障害、発達障害です。(今回は身体障害、精神障害について私が詳しくないため除外します)
私の専門分野でもある高齢者+脳血管障害がメインになります。
いわゆる「高齢者と脳障害」の問題です。

最初に「障害者」とは何か、を考えていきます。
障害者基本法に記されている定義は以下の通りです。

第一章 第二条の一,
「身体障害、知的障害、精神障害その他心身の機能の障害がある者であって、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」


つまり、障害者とは日常を送る上で自分の持つ障害によって生活に困っている人のこと。

ただ、それだけだと解釈が物足りない気が私にはします。
『周りに心的な被害がでている』かどうかという側面で私は判断します。

人間は一人だけで生活できないです。いろんなところで人と関わってしまいます。
なので、本人が困っているのかどうかよりも「周りが困っている」かどうかがとても重要な要素として含まれています。

なぜなら、本人は困っていない(脳の病気によって自覚がない)ことが多いからです。あったとしても本人は障害者であることに困っているのではなく、障害があることに困っているのです。
リハビリを希望されるケースには、周りが困っているのでSOS発信していることが非常に多いです。

障害がある(持っている)ことは些細なことです。それによって誰かに被害がでているかどうかが「障害者」として扱われてしまうかの分かれ道になると考えています。

たとえば
障害は明らかにあったとしても
本人が必要な場面で助けを求めることができ
周りは本人だけで解決できない場面があるときに援助できる心構えがある。結果、周りには心的な被害は生じない。
そんな関係性が続けば、
それが二人にとって「あたりまえ」の日常になりませんか?
そしてそれってもはや「普通の人」と同じではないですか?

本人が助けを求めて解決できるなら、それでいい。
本人がだめでも周りで解決できるなら、それでもいい。
でも周りに被害が出るときだけは「障害者」と呼ばれる存在になり得ます。
被害を出さないために貴方は「援助」の準備ができていますか?
それさえあれば、世界が変わる。

だから、
『障害をもつことと、障害者は同じではない』
と言える。

以上、言語聴覚士が医療と介護と福祉の世界で感じた世界観でした!
それではまた!

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余談です。

脳の損傷による障害で恐ろしいのは、完全な元の状態に戻ることが難しいかことです。

もちろん一見すると生活するのになんら問題ないと判断してしまうほど回復される方もいます。
ただし、現状は周りがそう見えているだけです。
本人からは「たったこれしきのことを何故こんなにも集中しないとできないのか」「これ以上スムーズには到底ならない」と苦しんでいるお悩みをお聞きします。
その方々は「障害者」という言葉に非常に敏感です。

明るく生きている人の特徴をご存知でしょうか。彼らや彼女らはただ「障害を持っている」だけで、「障害者」として誰一人生きていないのです。

貴方の大切な人が「障害者」という言葉で悩んでいるのなら伝えてあげて下さい。

『 障害 ≠ 障害者 』であることを。
そして心的な被害が周りに出ないように、必要なら貴方から手助けしてあげて下さい。

もしサポートしてくれたら、その数の分だけ私の自信になります! でも、ホントは いいね!やフォローだけで十分嬉しいです(*^^*)