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おはよう 7日目 "やさしさ"

わたしが何者でもなくなって、とうとう一週間が経ちました。(もともと何者でもなかったんですが)わたしの中に変化は特にないです。毎日ご飯を食べられるし眠れるし、それだけでありがたいです。

今年の年末年始はそれはもう酷い状況で。
ご飯も食べれず、眠れず、胃が荒れに荒れてたのでキャベジンとカモミールティーばかり飲んでました。夜になっても寝れなくて寝ようとしてあれこれすると窓の外が明るくなっていて絶望するなんてことが何度もありました。

毎日友達が泊まりにきてくれて、遠くにいる友達は電話に付き合ってくれたりして
わたしは何があってもこの子たちの傍にいようと思えるひとたちばかりで
この先報えるように大成しなきゃいけないなあと思うのです。


わたしはキリスト教でもなんでもなく、むしろ宗教とはあまり縁のない人生なのですが

隣人愛ということばだけは信用しています。

“愛は与えることからはじまる”とは一寸の隙もない完璧な論理で、こうも簡潔に一言で言い表されるともう夕べにでも死んでいいんじゃないかと。(笑)

こういう発言をすると博愛主義のちょっと脳みその足りないひとみたいに思われるかもしれませんが、
愛情を感じられるセンサを持っていることって時折不幸だけど、とってもしあわせなことだと思うんですね。


やさしさってなんだと思いますか?

わたしは愛情の近似値だとおもっています。


人によってやさしさの受け取り方は違いますが、
世の中の半分くらいの人がそれを、気を遣えること、周りを気にすること、ひとを傷つけないことと認識している気がします。
それらもやさしさの一部かもしれませんが、わたしは見せかけのやさしさを提供されるとギョッとしてしまう。多少なりとも血の通ったものでないとやさしさとして受け取ることができないのです。一見やさしさに見えないことの方が血の通っていることの方が多い。血の通っているとはつまり愛情が含まれているかいないかなんです。

与えることはむずかしいです、とっても。

わたしはわたしにたくさん与えてくれる人がいたから、貰ってばかりじゃだめだと思いました。

わたしがそのひとたちを大事にすることはもちろん、そういう存在がいたからわたしは変われた。じゃあわたしは次にどうしたらいいんだろう、と思ったときに自分から与えることしか思いつきませんでした。


負の連鎖はつづきますが、正の連鎖もつづきます。
どうせ作用するなら正の連鎖のほうが良くないですか?


人と関わることの作用はプラスかマイナスのどちらかです。接触してしまった時点でもう作用することは決定してるんですね。どうせなら、やさしさを与えてやさしさが返ってきたほうが自身に還元されるし世界が丸くなると思う。

(無造作にやさしさを振り撒くことのリスクも勿論あって、それを調整することの方が難しいのですが。)


わたしには今年84になるすてきな友人がいるのですが、彼女はいつも愛情に満ち溢れています。彼女の人生のなにが彼女をそうさせているかわからないけど、わたしは彼女といるといつもあったかい気持ちになります。お花の名前を教えてくれたり、土地の名前の由来や、日本史でしか習ったことのないような時代のことをたくさん教えてくれます。おいしいご飯のお店をたくさん知っていて、どれも1つも外した試しがありません。彼女が80年余り生きてきたことを私にできるだけ教えてkれようとします。

彼女を大事にすることは勿論、わたしが彼女みたいになれたらなと思うのです。



わたしのやさしくつつまれたいときのプレイリストに入っている一曲が
Taylor swiftの”Never grow up”です。
いまではポップクイーンのイメージが定着したTaylorですが、初期はカントリーの新星という形でデビューしたんですよね。ちょうどポップ路線に向かう途中のたしか2ndアルバムに収録されていた曲だったかと思います。
アコースティックギター一本でひとりの女の子の成長していく様子を、お母さんの目線で綴っている曲です。
この曲をはじめて聞いた時なんてやさしい曲なんだろうと思いました。歌詞の意味が理解できるようになってからVerseの”Don’t you ever grow up.”の重さが痛いほどわかりました。
たぶん当時今のわたしくらいの年だったTaylorがどうしてこんな歌詞をかけるんだろう、と。

やさしさのはじまりを思い出させてくれる曲です。

ぜひ聞いてみてください。




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