【短編小説】春が来てしまう(北都の場合)

 朝。
 おかあさんが、カレンダーをピリピリと剥がしてじっと見つめている。
 隣で見上げる僕の頭をそっと撫でると
「もう3月だって、北都。もっと先のことだと思ってたのにね。」
 と、ちょっと寂しそうに言った。
 外はまだ雪がたくさん積もっていて冬の匂いだけど、少しだけ春のにおいがした。
 
 それから何日か経って。時々雨交じりの雪が降るようになっていて。あんなに積もっていた雪はずいぶん少なくなって。雪に埋もれていた色々が見え出して。春のにおいが濃くなってきた日。
 春休みだからっていつも昼まで寝ているおねえちゃんが、早起きして久しぶりに制服を着ていた。
「卒業式だよ。」
 僕に教えてくれる。
 おねえちゃんは、今日、高校の卒業式。
「行ってきます、北都。いい子でお留守番してね」
 いつもどおり僕の頭を撫でて、いつもよりキレイにしたおかあさんと卒業式に出かけていった。
 
 おねえちゃんは、高校を卒業したら大学生になる。
 大学生になるためにたくさん勉強していた。
 大学生になれるのが決まった日、おとうさんとおかあさんは、おめでとうって言いながら少し寂しそうだった。
 
 おねえちゃんが卒業式から帰ってきた。
 大きな花束を持っていた。後輩にもらったんだって。花束をもらったのは初めてって嬉しそうに僕に見せてくれた。
 嬉しそうなのに、なんとなく悲しそうだったから、僕はおねえちゃんの手をトントンってした。
 おねえちゃんはありがとうって言って、僕をぎゅってしてくれた。
 おねえちゃんからも春の匂いがしていた。
 
 それからのおねえちゃんは忙しそうで。
 遠くに住んでいるじいちゃんとおばあちゃんに会いに行ったり。中学のときの友達と卒業旅行したり。お部屋を片付けたり。
 春の匂いがどんどん濃くなっていくにつれて、おねえちゃんの部屋はおねえちゃんの匂いが薄くなっていく。
 僕はそれが気に入らなくて部屋の隅で拗ねてみせる。
 するとおねえちゃんは、僕のほっぺをむにむにして、ぼくの頭をわしわしして、僕をぎゅってしてくれる。
 おねえちゃんは暖かくていい匂いがするんだ。
 僕はずっとそうしていたいのに。
 
 夜。
 みんなでアルバムを見ている。
 おねえちゃんが
「北都がうちに来たとき覚えてる?」
 と僕に尋ねる。
 もちろん覚えているよ。
 僕はまだ赤ちゃんだったけど、ちゃんと覚えてる。
 赤ちゃんだった僕を、おねえちゃんはすごく慎重に抱きしめてくれて、北都って名前をくれた。
あの日から僕とおねえちゃんはずっと一緒だったのに。
 
 おねえちゃんは、大学生になる。
 大学生になりに、東京へ行く。
 
 道端に少しだけ黒く残った雪ももうなくなりそうで、冬の匂いと春の匂いがすっかり入れ替わった日。
 トラックが、おねえちゃんの荷物を積んで走っていった。
 それを僕は拗ねた顔で見送った。
 おかあさんが僕の頭を撫でてくれている。
 おとうさんは車に大きなバッグを積んでおねえちゃんに声をかける。
「忘れ物はない?」
「たぶん。」
 忘れてるよ。僕を乗せるのを忘れてる。
 そう思って車に乗ろうとしたら、おかあさんに引っ張られた。
 僕はもっと拗ねた顔になる。
 おねえちゃんが僕のほっぺをむにみにして頭をわしわししてぎゅってしてくた。
「じゃあね北都・元気でね」
 僕は悲しくて、くぅーん、と鳴いてしまう。
「行ってらっしゃい。体に気を付けてね。」
「うん。おかあさん。行ってきます。」
 おねえちゃんが行ってしまう。
 
 僕はちゃんと知っている。
 僕はイヌでおねえちゃんはニンゲンだ。
 僕がどんなに叫んでもおねえちゃんには、わおーんとしか聞こえない。
 でも叫ばないでいられないんだ。
 
「行かないで。僕を置いて行かないで。」
 
 おねえちゃんを乗せた車がいってしまった。
 
 春が来てしまった。
 
 
                終わり





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