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2021.05.26

いつのまにか天気予報アプリの花粉注意マークが紫外線や洗濯のそれに変わっていた。各項目に5つ並んだアイコンは該当レベルまで色が塗られ、横に「バスタオルも乾きます」などと一文添えられている。1つだけ塗られたアイスの「濃厚アイスで気分リフレッシュ!」は予報というよりほとんど占いだ。

Twitterのトレンドにスーパームーンが上がっていて今日がそうだと知る。外の世界=Twitterの日がたまにある。特に平日。今日も一歩も外に出なかったので見逃したも何もないんだけど、見逃したなーと思いながらADDICTIONのスーパームーンを足の爪に塗った。
ゴールドだけどラメが細かくて少しピンクっぽいのも混ざっているからか、光の受け方が上品でキラキラというよりシャラシャラ。もっと言うならシャラララという感じ。わたしは手も足も大きいため必然的に爪の面積も広く彩度の高い元気な色はうるさくなりがちなのだが、これは派手すぎないのに気分が上がってとてもいい。

気付けば日記を書き出してもう10年以上になる。毎日ではなかったけど高校生の時には既に書いていたはず。
当時というか少し前までは書いた文章を知り合いに読まれるなんて考えられないくらい恥ずかしかったのに最近はそうでもなくなってきている。自分が思うほど周りは気にしてないというのがまず一つ、もう一つは「書いてあること=自分」ではないからだ。あくまでその時点での自分の一部にすぎないし、上手く(写実的に)書けているとも思えない。そもそもそのまま書いたものがそのまま伝わるわけではない。

少し話がずれるけど、そのまま伝えるにはそのまま伝えるための言葉選びや言い回しが必要になる。どういう調整の仕方かはまだ掴めていないが、おそらく実感を書くのとはまた別の筋肉がいる。ありのままを書くのもまだ不十分だし考えるのはもう少し先でいいんだろうけど、このままいけばいつか絶対に出くわす問題だ。

今はまだ自分のためだけに、楽しいからって理由だけで演奏してる時のような気分で書いている。誰かが足を止めてそれを聴いてくれたら嬉しいし、感想を抱いてくれたり伝えてもらえたりした時には飛び上がって喜ぶ。だけど誰も足を止めなくても昨日より少しでもスムーズに鳴らしたくて、少しでも自分がのれるフレーズを知りたくて、上手くいかないのも含めて楽しくてガードレールの下の縁石に腰掛けてギターを覗き込むようにしてずっと触っている。ひとりになってもきっと続ける。というか今だってひとりなんだった。
でもたまに、誰かというか恋人や家族がいて人と会うのを好むタイプだったらここまで書くことに固執しただろうかとも考える。書くのと話すのは勝手が違うけど外に出すという点では同じで、誰かに話を聞いてもらえないからこんなにぶつぶつ書き続けているんじゃないだろうかと。わかりっこないけどね。でももし外向きなタイプだったら、あんまり考えたくないけど相手に固執していたんじゃないかな。どうだろうな。


結局のところ不安を取り除くため、もとい少しの間でも忘れるためには知ると考えるを行き来するしかなく、現時点では読む書く話す歩くあたりがその手段になっている。これって人によってかなり違うんだろうな。他の人の話を聞いてみたい。歩かなくても書かなくても平気な人なんて沢山いるだろうし。そもそも漠然とした不安をあまり感じない人や、感じてても認めない人もいるのかな。

いなくなった人のことを思い出す。残された人のことを考える。男だったら合格する点数で不合格になった受験生の悔しさを想う。女だったら不合格だったと知った在学生の戸惑いを想像する。
目を逸らしている方が楽だけど、逸らしていたと気付いた時にもっと苦しくなるからこれでいいのだと言い聞かせる。それに私はどうしてもやっぱり空というか器でしかないから、こうすることでしか外側と接点を持てない。そう思い込んでるだけかもしれないけど。

匿名じゃない誰かとの関係の中でかっこ悪いくらい必死になったり感情を爆発させたりすることってこの先あるんだろうか。変な話、今日道ですれ違った人に対しても長年の友人に対しても、出来ることっておんなじような気がしていて。もちろん想いは違うけど直接関与出来る範囲ってあんまり変わらないんじゃないかということを考えていた。

ああそうか、だから書いているのか。大前提として自分のためにしか書いてないけれど、その上で直接関われない誰かにどこかに届いてほしいのだ。自分自身より自分が書いた文章の方をずっと信用しているし、何より表現の可能性を信じている。

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