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「魔笛」のアリアはいつの時代も「愛」を歌う。


中学生になってビートルズの「レット・イット・ビー」で道を踏み外すまで、僕はずっとクラシック一辺倒だった。

と言ってもたかが福岡の片田舎の小学生だ。同じ趣味を持つ奴はひとりもいないし、そもそもそんなことを口走ったら仲間外れになるに決まっている。少ない小遣いで「音楽の友」や「レコード芸術」を買い、FМ放送をエアチェックする毎日。

そんな僕の一大イベントが、年に二度訪れる小倉・ヤマハ店での「レコードショッピング」だった。

だいたいお盆明けと正月明けに、たまったお小遣いを握りしめてヤマハに行く。なにを買うかは半年かけて研究している。でも、いくら研究を重ねても高々と飾ってある本物の魔力にはかなわない。結局僕の小遣いは多くの場合、「ジャケット買い」で消えていった。

ベームが指揮するモーツァルトの「魔笛」全曲盤がまさにそうだった。

魔笛ジャケット

色鮮やかなパパゲーノのイラストに目を奪われた。定評のあるベームのモーツァルトなら間違いないだろう。「序曲」とパパゲーノのアリアしか知らなかったが、僕は大枚五千円を払ってその三枚組のボックスを持ち帰った。

学校から帰るとステレオの前に陣取り、日本語の対訳を広げて一字一句追いながら耳を澄ませた。おかげで全曲、ほぼ暗譜している。なんとかわいげのない小学生だったことか。

ドギモを抜かれたのは、夜の女王の二曲のアリアだった。

コロラトゥーラという技法を知らなかったので、そのアクロバテッィクな高音の跳躍に胸が躍った。ロバータ・ピータースというアメリカのソプラノ歌手の歌声も磨き抜かれたクリスタルのようだった。

他にはやはりタミーノ役のフリッツ・ヴンダーリッヒ、パパゲーノ役のディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウが群を抜いていた。特にヴンダーリッヒは三十五歳で亡くなる二年前の録音という貴重盤。タミーノは彼の当たり役だっただけに、長くお手本となった歴史的歌唱と言える。

「魔笛」はセリフと音楽が混在する「歌芝居」(ドイツ語で「ジングシュピール」という)だから、このレコードではヴンダーリッヒとディスカウの絶妙なやり取りも録音されていて、それもすごく楽しい。ディスカウの演技力もよくわかる。

ちなみにクレンペラー盤はセリフ部分がすべてカットされていて、それはそれで純粋に音楽を楽しめる。どちらを選ぶかはその人の好みだろう。


よく言われるように、「魔笛」にはフリーメンソンの思想や秘儀が散りばめられている。たしかにそれまで丁々発止でやりあっていた者たちがいきなり正面を向いて教訓めいたことを歌ったりすると「ははあ、これがそうか」と納得がいく。

第一幕のパパゲーノとパミーナの二重唱「愛を感じる男の人たちには」はフリーメンソンの友愛感に満ち溢れた名曲だ。のちにベートーヴェンはこの主題からチェロのための「魔笛の主題による変奏曲」を作曲する。ベートーヴェンはもう一曲、第二幕のパパゲーノの有名なアリア「娘か女房がいれば」もチェロのための変奏曲に仕立てているが、二曲ともパパゲーノが歌う曲から取られているのはなかなか面白い。

エンターテインメントのあらゆる要素が含まれているオペラ、それが「魔笛」だ。だから途中で主人公の善悪が逆転してしまうのだ。そうすることで喜劇が悲劇になり、悪者が善人になる。

三人の侍女と三人の童子による見事なハーモニーに酔いしれ、パミーナとタミーノの試練の恋にはらはらし、パパゲーノとパパゲーナの無垢の愛に腹を抱えて笑う。王侯でも貴族でもなく、庶民に愛されたオペラの傑作。どこを切り取っても、そこには必ず「愛」がある。あるいは「愛」の別の顔がひっそりとたたずんでいる。

モーツァルトは死の床にあっても、今夜の「魔笛」の出来を心配していたという。僕にとっても初めて買ったオペラ全曲盤であり、初めて観たオペラの舞台だった。


この九月、僕は初めて人前で第一幕のタミーノのアリア「なんと美しい絵姿」を歌う。絵の中のパミーナに一目惚れしたタミーノが「君は永遠に僕のものだ!」と勝手に盛り上がって歌うアリア。単純で頼りなかったタミーノだが、第二幕で火と水の試練を潜り抜けるとなんだかいっぱしの王子様に見えてくるから不思議だ。

先生には「また難しい曲を選んで」と呆れられたが、かまうもんか。自粛の日々、誰もいない部屋の中で朗々と歌っていた成果がどこまで出せるのか。怖くもあり、楽しみでもある。

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