立野 獏

東京都内の音楽出版社勤務。小説やエッセイを書いています。2024年3月31日に、札幌市…

立野 獏

東京都内の音楽出版社勤務。小説やエッセイを書いています。2024年3月31日に、札幌市西区宮の沢に新しいホール「CREEK HALL」がオープン。ギャラリー、カフェ担当として新たな挑戦を始めます。

最近の記事

CREEK HALLに日常が戻る。

3種類のこけら落とし公演が終わり、今週はカフェのマスターと化している。 今日はまだ誰も来ない。たぶんこのまま誰も来ないような気がする。朝の9時にホールをオープンして17時に閉める。誰もいないときはひとり黙々とデスクワークをする。いまは6月に出版する『マーラーの姪』の再校戻し。仕事がはかどると思うときもあれば、売り上げが上がらないことを悔やむときもある。 3月31日にホールのオープンを迎えてから、僕の生活はある意味、シンプルになった。 毎日ホールを開ける。お客様がいらっし

    • 開幕公演を間近に控えて。

      気づいたら、2か月も書いていなかった。 ホームページをご覧になっている方は、クリークホールにすでにピアノが搬入され、「6911」という広報誌が出来上がり、實川風さんのピアノリサイタルが完売間近なのをご存じだと思う。いよいよあと十日で幕が開く。準備は万全、とはいかないまでも、精一杯のおもてなしができるようにはしたつもりだ。ぜひ楽しみにしていただきたい。 この間、3度ほど東京に行った。 通常の会議をこなしたり、次の新刊の初稿を戻したり。印象的だったのは、クリークホールのア

      • CREEK HALLのHP、始まる。

        CREEK HALLのHP(https://www.creekhall.com/)を1月22日に公開した。 昨年秋から準備を始めた。少しずついろんな要素を揃え、内観写真が撮れるようになってようやくオープンすることができた。 HPの構築とデザインは、Webデザイナーの畑中裕有さん。五月雨的に送るこちらの注文に辛抱強く、丁寧に対応していただいた。ホールの写真も彼が撮影した。きっちりと構図を決め、冷静にシャッターを切っていく。プロの仕事だった。 HPにちょこちょこ登場する「マ

        • 新しい年をCREEKHALLで迎える。

          CREEKHALLがついに完成した。 2023年12月24日に引き渡し。翌25日のクリスマスの日が引っ越し。ブラインドやカーテンレールの発注が遅れてしまい、外からは丸見えなのだが、なんとか寝泊まりできるように部屋は片付いた。 いま、音楽ホールの片隅でこれを書いている。二十畳ほどのなにもない空間。大小3種類のルーバーが縦に張り巡らされ、大きな窓枠が3つあり、壁は黄色に塗られている。ここにピアノが入り、椅子が並べられれば、僕らが夢見た音楽会が幕を上げる。 思えば、福岡で生

        CREEK HALLに日常が戻る。

          ベートーヴェンとマーラーの最後の曲について。

            9月から10月にかけて、「ちえりあ」という公共施設で「大作曲家、最期の日々」という講座を行っていた。 毎週土曜日の午後、自宅からいろんなCD やパソコンを持ち込んでDJさながらに曲をかけ、作曲家が残した最後の曲をメインに彼らの人生を振り返るという2時間。取り上げたのは、モーツァルト、シューマン、ショパン、ラヴェル、それにヤナーチェク。レジュメは書いて配布していたが、基本的には頭に浮かぶことを取りとめもなくしゃべりまくるというものだった。 受講生は17人。でも休む方もい

          ベートーヴェンとマーラーの最後の曲について。

          音楽シーンが様変わりしようとしている。

          札幌は短い秋の真っ盛りだ。 もうすぐ11月になるというのに、暖かい日が続いている。おかげで札幌市内では雪虫が大量発生していて、本当に雪に覆われたかのごとく視界が曇ってしまうほど。しかしこの雪虫、容赦なく顔に当たるわ服にまといつくわで、えらく迷惑がられている。白い分泌物がなければただの黒い虫なんだから、まあ仕方ないのだけれど。 東京はこれからベルリン・フィルやウィーン・フィルなど海外オケが目白押しで、愛好家は狂喜しているに違いない。札幌でも内田光子が指揮振りするマーラー・

          音楽シーンが様変わりしようとしている。

          CREEKHALLのHPを予告します。

          CREEKHALL(クリークホール)のホームページを制作中だ。 今週、ディザーページというものをアップした。ディザーは「予告」という意味。クリークホールのロゴと、オープンにあたっての宣言文みたいなものを公開している。 よかったら検索してみてください(https://www.creekhall.com/)。 ホームページには、3色に分かれた外壁や、音響効果を高めるためのルーバーを取り付けたホール内部の写真をふんだんに盛り込みたいのだが、なにせまだ建設中。いまは外壁工事と

          CREEKHALLのHPを予告します。

          Kさんという名物編集者のこと。

          夢の中にKさんが出てきた。 出版社時代の大先輩。ずっと芸能誌や男性誌畑で、髪を肩まで伸ばし、面長の顔はいつもどこか憎めない表情をたたえていた。無類の酒好きで女好き。日課のように競馬場に通い、夜は麻雀に明け暮れた。 全共闘世代特有のダンディズムを漂わせ、仕事はさっぱりなのに大衆団交になるとがぜん存在感を発揮する。そんな人はあの会社では珍しくなかった。僕が親しくさせてもらったとき、Kさんの髪はすでに銀色で、僕は販売、彼はムック編集部だった。 一度、詩人の正津勉さんに憧れ

          Kさんという名物編集者のこと。

          言葉を失ったラヴェルの最期。

          おかげさまで、林田直樹さんのトークイベントは盛況のうちに終了した。 バーンスタインの魅力について、音源や映像を交え、まったく原稿を見ることなく熱く語っていただいた。まったく見事と言うしかない。バーンスタインだけでなく、林田直樹という人そのものの再発見につながったのではないかと思っている。 さて、次はいよいよクリークホールの建設が始まる。8月のお盆明けに発寒神社の神主さんをお呼びして「工事安全祈願」を行い、翌日に着工。完成は12月末の予定だ。内部のデザインはほぼ固まり、これ

          言葉を失ったラヴェルの最期。

          PMFが札幌に遺したもの。

          今年もPMFの季節がやってくる。 パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌。1990年にレナード・バーンスタインによって始められた国際教育音楽祭は今年で33回目を迎え、札幌の夏の風物詩としてすっかり定着した。 見どころはいくつもある。 なんといっても、厳しいオーディションを通過した世界中の若いアーティストの演奏が聴けるのが楽しみでならない。今年は22か国・地域の74人が選ばれた。こんな多彩な顔触れを持つオーケストラはたぶんどこにも存在しないと思う。 十数年前、初

          PMFが札幌に遺したもの。

          初夏のパリ、喧騒と音楽と誰かの想い。

          初めてパリに行ってきた。 彼女とふたりの五泊八日の旅。最大の目的は、辻仁成さんのオランピア劇場での単独ライブを観戦することだった。 エディット・ピアフもビートルズもステージに立ったシャンソンの殿堂で、辻さんは二時間近く、まさに熱唱した。会場はほぼ満席で、日本人だけでなく地元フランス人からも温かい声援が沸き起こった。 これほどまでに親密さに溢れたホールを、僕は知らない。まるで観客一人ひとりが辻さんの体のどこかに触れているような感覚だった。 終演後、近くのホテルで行われた

          初夏のパリ、喧騒と音楽と誰かの想い。

          舘野泉と祈りの音楽。

          舘野泉というピアニストに出会ったのは、僕が横浜の公共ホールに勤めていたころ、いまから6年ほど前のことだ。 舘野さんは世界的に活躍していた65歳のとき、ステージ上で脳溢血で倒れた。2年後、「左手のピアニスト」として復活する。以来、さまざまな作曲家に左手のための作品を委嘱し、再び世界的な活動を繰り広げていた。 その日は息子さんでヴァイオリニストのヤンネさんらとのアンサンブルを中心としたプログラムだった。 当時でも、足腰はかなり危なかった。でもピアノの前に座ると、いきなり左手

          舘野泉と祈りの音楽。

          CREEK HALL(クリークホール)とこの夏のプレイベント。

          新しいホールの名前が決まった。 「CREEK HALL」(クリーク・ホール)。「CREEK」とは英語で「小川」のこと。「入り江」の意味もある。 実際、ホールの近くに「旧中の川」という小さな川が流れている。それに、さまざまな人がひとやすみするための「休憩所」みたいな意味合いもある。僕らが目指すホールとは、まさにそういう場所なのだ。 ホールのステージ部分は築50年の住居に斜めに突き刺さっている。その外壁は黄色。カフェがあるあたりは青で、住居スペースは深いグリーン。屋根は赤い

          CREEK HALL(クリークホール)とこの夏のプレイベント。

          二年目の札幌の春を迎えて。

          いま、僕の中で三つのことが同時に進行している。 ひとつは、編集者としての自分。これがいちばん大きな部分を占める。 札幌で青春時代を過ごしたふたりの作曲家、早坂文雄と伊福部昭の若き日の苦悩と歓喜を描いたノンフィクション、『北の前奏曲 早坂文雄と伊福部昭の青春』は先週校了。4月26日には全国の書店に並べられる。発売された本を持って、札幌市内の各メディアを駆け回るつもりだ。若き日の早坂文雄は、どこか大泉洋に似ている。札幌のテレビ局が彼をキャスティングしてドラマ化してくれればと、

          二年目の札幌の春を迎えて。

          新しいホールと「左手のフルーティスト」。

          迷ったとき、なにかを選択しなければいけないとき、僕はいつも直感に頼ってきた。 これでも人並みに考えることは考える。でも、一定限度のラインを越えたら、気持ちが傾いているほうを選ぼうと自分に言い聞かせてきた。 それが正しかったのかどうか、よくわからない。ただ、過去に対して、あまり後悔をした記憶がない。もちろん失敗は山ほどある。それはそれ、仕方ない、次に行こうと絶えず切り替えてきたのだ。 そんな僕の人生は、多くの予期しない人たちとの出会いで導かれていくことになる。今回もまさに

          新しいホールと「左手のフルーティスト」。

          『そこにはいつも、音楽と言葉があった』のこと。

          前回の投稿からあっという間に1か月たってしまった。 この間、二度東京に行き、石田組の公演を聴き、新刊のトーク・イベントに立ち会った。 『そこにはいつも、音楽と言葉があった』と題したこの本は、林田直樹さんという音楽評論家の著作集である。以前、「作り手が注ぐ、あふれんばかりの愛について」(https://note.com/st0912/n/n9ba9cd972085)という文章で紹介したあの本が、ついに完成したのだ。 できたばかりの本を著者はとても喜んでくれ、イベントでも温

          『そこにはいつも、音楽と言葉があった』のこと。