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ブルーグラスのベース弾きだった学生時代の日々。


学生時代のサークル活動のことを少し。

日本有数のマンモス大学に入学した僕は、つい日々の淋しさに負けて、優しそうな女子大生がたくさんいる学習会形式のサークルにふらふらと入部してしまった。

女の子はたくさんいるんだけど、なんかやっていることがきな臭い。子ども会と称して地域の子どもたちと遊んだり、学習会では政治的な問題を扱ったり。晴れて東京に出てきて、俺、なにやってんだろうと毎日思っていた。

そのうち、好きでもない四年生の女先輩に童貞を奪われたり、そのせいで別の先輩の下宿に呼び出されて説教を食らったり、なんやかんやで半年もたたずに辞めてしまった。

やっぱり俺は音楽をやるんだ! と意気込んで、次に入ったのがシャンソン研究会。ここも2か月ほどで先輩女子と馬が合わず、ばったり足が遠のいた。

見事に出鼻をくじかれた僕に救いの手を差し伸べてくれたのは、同じクラスのD君だった。

「ねえねえ、ブルーグラスって知ってる?」
「なにそれ?」
「カントリーミュージックの一ジャンルで、バンジョーとかフィドルとか、とにかくめっちゃ楽しいから、いっしょにやろうよ!」

本当はロックとかフュージョンとか、せめてクラシックの音楽同好会とかに入りたかったのだが、彼の熱意にすっかりやられてしまった。

で、一年の秋から入部した「アメリカ民謡研究会」で、僕はどっぷりブルーグラスという音楽にはまってしまうのである。

それにしてもこのブルーグラス、はっきり言ってダサかった。

ブルーグラス

メインのバンド構成はバンジョー、ギター、マンドリン、ベース。それにフィドルと呼ばれるヴァイオリンが入ったり、スチールギターのようなドブロが入ったり。音楽はツービートのいたってシンプルなつくり。メロディはどれも似通っていて、ほとんど歌の区別がつかない。ただ、インストだけの曲もあって、そこではバンジョーやマンドリンが大活躍することになる。

僕はウッドベースを担当した。ツービートのスリーコード進行だから誰でも弾ける。バリトンボーカルでコーラスを付けるのは楽しかったが、テクニック的には最低レベルだったと思う。

でも僕は、せっかくやるんだからと自分でウッドベースを買った。当時で約十万円。それをサークルの部室に置いていた。そんなことをするやつは珍しかったらしく、以来、僕はちょくちょくほかのバンドに呼ばれるようになった。

最終的には先輩たちのバンドに誘われて(D君、ごめん!)、そっちでライブハウスや夏のフェスに参加していた。バンドの名前は「プリティキャッツ」。略して「プリキャツ」はそこそこの人気を博していたと思う。社会人になっても数年はこのバンドでライブハウスに出ていたんだから、人生、なにが起きるか本当にわからない。

ダサくて嫌いだったブルーグラスだけど、そこで知り合った仲間はみんな気さくでいいやつばかりだった。僕はさっぱり縁がなかったが、最終的に結婚したり、後輩女子と付き合ったり、それなりにいろいろあった。昔はよく集まっていたけれど、ここ数年は僕がふらふらしているもんだから、ほとんど年賀状だけの付き合いになってしまった。

ときどき、あのころバンドでやっていたピーター・ローワンの「ザ・ホーボー・ソング」を聴きたくなる。デビッド・グリスマンのジャージーなマンドリンはいまだに健在なのだろうか。バンジョーの名手、ベラ・フレックは?

ほーぼーソング

僕がベースを弾きながら知ったことは、この世は素敵なリズムでできているということ。大きなベースを背中にしょって電車や地下鉄に乗るのは大変だったけど、どうにもいびつな社会の中でいまでもどこかバランスを取ろうと知らないうちにリズムを取っていたりするのは、このときの経験があったからかもしれない。

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