見出し画像

クラリネットに関する、個人的な思い出。


先日、彼女が吹くクラリネットを初めて聴くことができた。

といっても、場所はカラオケの店内。三人ほどしか座れない狭い部屋の中で、彼女の久しぶりの「音出し」に付き合わせてもらったのだ。

最初は彼女も渋っていた。初めて聴かせるならやっぱり「本番」のほうがいい。でも予定していたコンサートは延期され、アンサンブルの機会も当分ない。こんなことでもなければ彼女の音に触れることはできない。僕の半ば強引にお願いに最後は彼女が屈した形だ。

部屋の照明は明るいまま、カラオケの音は当然ゼロまで下げた。なんだか恥ずかしそうに彼女は楽器を組み立てる。リードを選び、何度も付けかけ、そしてついに息を吹き込んだ。

そこから出てくる音に、僕は正直、驚嘆した。

なんと滑らかで深い音なんだろう。「思ってたより、ずっと良かった」。そう言ったら彼女は笑っていたけど、本当にそう思った。ずっと聴いていたいと思わせる音だった。

クラリネット

僕が子どものころ、一回り上のいとこの修兄ちゃんがよく我が家でクラリネットを吹いていた。

高校生だった修兄ちゃんがなぜそんなに我が家に来ていたのか、その理由は定かではない。彼の家は小倉にあって、うちから決して近くはなかった。もしかしたら再婚した義理の母親とそりが合わなかったのかもしれない。そのころの我が家は僕の母親の人徳で、なぜか親戚中の駆け込み寺みたいになっていたのだ。

修兄ちゃんはそこらじゅうを歩き回りながら、ずっとクラリネットを吹いていた。おそらく練習していたのはモーツァルトのクラリネット協奏曲だったと思う。音大でも受験するつもりだったのだろうか。でも結局彼は国立大の経済学部に進み、当時付き合っていた彼女のために国のお役人になる道を選んだ。

この修兄ちゃんは、僕のあこがれの人だった。

小倉高校の(たぶん)吹奏楽部で、頭はいいし、クラシックはめちゃくちゃ詳しいし、それでいて学生運動っぽいこともやっていた。

アニメ「坂道のアポロン」で、佐世保に空母エンタープライズが入ってきて、その上陸阻止のために東京から学生たちが大勢やってくるみたいなシーンがあったけれど、まさに修兄ちゃんも佐世保入りして、放水を浴びせられてずぶ濡れになった、みたいな話をしていた。両親は眉をひそめていたけれど、僕にとってはかっこいい武勇伝としか思えなかった。

以来、クラリネットは僕にとって特別な楽器のひとつになった。

カール・ライスター

プレイヤーとして最初に思い起こすのは、やはりカール・ライスターだろう。

ドイツの黒い森を思わせるような深く憂いを込めた音。それが遠い空のかなたにどこまでも吸い込まれていく。最初に聴いたブラームスのクラリネット五重奏曲は彼のもので、まさにそんなイメージだった。

ベルリン・フィル時代はもちろんだが、初期のサイトウ・キネンでもトップを吹いていたのが記憶に新しい。彼女も大のお気に入りで、何枚組かの全集を持っているほど。

最近だとザビーネ・マイヤーかレ・ヴァン・フランセのポール・メイエといったところか。たぶんカール・ライスターより明るくて現代的なんだと思う。

あとクラリネット奏者というと、僕はなぜか、名前もわからないが、岩城宏之がいつも指揮していたころのNHK交響楽団のクラリネット奏者、あのもみあげのある細面の男性の顔が目に浮かんでしまった。

彼女は何度か音出しをした後、持ってきた楽譜の中から一冊を抜き出し、「試しに、初めて」吹いてみると言っておもむろにリードをくわえた。

それは、サン=サーンスのクラリネット・ソナタだった。

サン=サーンスの死の年に書かれた変ホ長調のソナタ、その第一楽章。桜が散った後の真っ青な空にゆらゆらと立ち上っていくような曲だった。

彼女は照れながらも最後まで吹き切り、そのあとはジブリやディズニーの曲をいくつか吹いて、「また今度ね」と言って笑った。

どんな形でもいい。この先何度でも、ずっと傍らで聴いていたいと本当に思った。

サン=サーンスのクラリネット・ソナタ。ステージの上で彼女が頬を上気させ、かすかに目を潤ませながら吹いている姿が、いま、僕には手に取るように見える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?