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「レジデンス・ゴースト」がいたホールでの日々。


横浜の公共ホールで働いていたころのことを、ときどき思い出すことがある。

朝当番の日は人より30分早く出社する。事務所の鍵を開け、金庫を開けてレジにお金を出す。ポットにお湯を入れたら鍵と布クロスをもって楽屋へ。ピアノの鍵盤を拭き、空調が入るか、電灯は切れていないかをチェック。棚の中に忘れ物がないことを確認して鍵を閉める。

次は客席500のホールの点検だ。

まずホワイエの電動カーテンを巻き上げる。晴れた日は朝日がさっと差し込んでめちゃくちゃ気持ちがいい。次にホールに入ってフットライトの確認。これがけっこう切れていることが多い。座席の下に落し物がないかを再度確認して客電を消す。

この朝の儀式が僕はすごく好きだった。

まるでホール全体を独り占めしているような感覚。愛着がひしひしと湧いてくる。「音楽ホールは最も大きな楽器である」と僕は本気で信じていた。ホールが楽器なら僕らはプレイヤー。一瞬たりとも気を抜いてはいけない。そのことをこの朝の儀式で再確認していた。

いまにして思えば、とても自由にさせてもらっていたと思う。

僕は貸館担当だったのだが、主催公演のときでも下手の袖でいつも本番を聞かせてもらえた。お客さんが少ないときは人数合わせで客席に入ることもあった。リハーサルももちろん自由に聴けた。ミニスカート姿の仲道郁代がそのままの格好でスタインウェイの前に座るところなんて、そうそう見られるもんじゃない。

仲道郁代

貸館公演のときは、一応僕が担当者なので、面白そうなものはこっそり客席で聴いていた。「アヴェ・ヴェルム・コルプス」、「ヨハネ受難曲」、「トリスタンとイゾルデ」、いくつか心を揺さぶられた公演があった。「左手のピアニスト」舘野泉さんの一音一音祈りを捧げるような演奏も忘れられない。高校生や音大生の定期演奏会も楽しかった。

本当に、毎日、すぐそこに音楽があふれていた。

このホールでは年に数回、事務所のスタッフやレセプ、カウンタースタッフを入れた全員で、ホワイエを使ってささやかな親睦会を行っていた。

近くのお惣菜やでおつまみを買って、ビールやワインを飲みながらワイワイ騒ぐ。これがめっぽう楽しかった。

それもこれも、陽気で世話好きな館長の人柄なんだと思う。興が載ると館長はひとり舞台に上がり、口トランペットでアドリブのフレーズを盛大に鳴らした(彼はジャズ・トランぺッターとして社会人バンドで活動していたのだ)。

僕も館長に一度だけ舞台に引きずり出されたことがある。なにか歌えという。後ろの席にはレセプの女性陣が横並びでこちらをじっと見つめていた。

僕はもちろん酔っていた。酔った頭で必死に考え、当時合唱団で練習していた「見上げてごらん夜の星を」を1コーラスだけ、アカペラで歌った。

けっこううまく歌えた。女性陣も盛大な拍手をしてくれた。だからだと思う。僕がすっかり味を占めて、ソロでも歌おうなんて思い始めたのは。

フィリアホール

あるとき、スタッフの女性が眉をひそめて話し出した。

「昨日、ついに出たのよ」「出たって、なにがですか?」「あれよあれ、ここにずっと住み着いてるあれよ!」

遅番で最後に楽屋のチェックをしていたら、ケラケラと笑うおばさんたちの声が聞こえたという。「あたしも知ってる!」「あの人たち、昔ここで働いていたんだって」「うっそー!」

僕は密かに彼らを「レジデンス・ゴースト」と呼ぶことにした。歴史のあるホールならどこだっている、あの「座敷わらし」のような人たちのことだ。

あの「レジデンス・ゴースト」は今日もホールを見守っているだろう。そこで奏でられる音楽がいつでも極上であるように、そこに集う人々がいつでも幸せであるように。

もはや僕もそのゴーストのひとりになってしまったことが、残念で仕方がない。

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