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あの冬の日の朝に見たダイヤモンド・ダスト。


九州で生まれ育ったのに、僕はなぜか冬になると北の国に思いを馳せるようになる。

ただし、寒がりではある。雪に埋もれた暮らしも経験がない。でも、ピンと張り詰めた空気の中を白い雪が舞う景色に無条件に憧れてしまうのだ。父親が樺太で生まれ育ったのも関係しているのかもしれない。とにかくどこにも嘘がないというか、哀しいくらいにロマンティックだと思ってしまう。


まだ前の雑誌社の販売部にいたとき、海千山千の先輩とふたりで北海道出張に行ったことがある。一週間ほどの出張の途中で直木賞の受賞が決まったから、たぶん一月十五日前後。真冬の行程だった。

札幌と旭川の老舗の書店さんへのあいさつ回り。ゆるい仕事だった。いつもはひとりで出かけるのだが、たしか僕の担当を先輩に引き継ぐみたいなことでふたり旅行になったのだと思う。

これが見事に愉快な旅だった。

昼間はそこそこに働き、夜に精力的に活動する。毎夜書店さんを接待してすすきのに通った。接待と言っても、地元の書店さんがあそこに行きたいという店に僕らは黙って財布を握ってお供をするといった具合だった。

旭川に行った日はわざわざ層雲峡の温泉街に宿を取った。携帯電話の電波も入らない雪深い場所。温泉にゆったり浸かった僕らは素っ裸で雪の上にジャンプした。そんな馬鹿なことをやったのは後にも先にもこのときしかない。

翌日の朝、富良野に向かう駅のプラットフォームで、生まれて初めてダイヤモンド・ダストを見た。なんて美しんだろうと思った。こういう景色を毎日見て生活している人たちは、どんな人間になるんだろうと想像した。

その後出会った北海度の女性は、やはり心の中にダイヤモンド・ダストを隠し持った人だった。なにがあってもブレずに光り輝く、芯のある生き方。北海道の自然がそんな彼女を作り上げたのかと思うと、僕は見知らぬ誰かに向かって思わず頭を下げたくなってしまう。


本当は二月の終わりごろに北海道に行きたいと思っていたのだが、このコロナの情勢ではなかなか難しそう。なので冬になると必ず聴きたくなる曲を挙げて、遠い北国にエールを送ることにする。

シベリウス

まずはシベリウス。ヴァイオリン協奏曲と交響曲第二番は外せない。どちらも見事なまでに北欧の自然の荒々しさや物悲しさをドラマティックに表現している。ヴァイオリン協奏曲はアイザック・スターンが弾く盤を愛聴していた。交響曲第二番はバーンスタイン。これでもかっていうくらい泣き落としにかかってくる。

同じヴァイオリン協奏曲だけど、なぜかブラームスのものもこの季節によく聴く。第一楽章を貫く雄大感が冬の季節に合っているからなのだろうか。いろんな演奏者のバージョンを持っているけれど、じつはまだこれというものに出合っていない。どれもほんの少し早かったり遅かったり。実は超難曲なのかも知れない。

ウィンストン

とっておきなのは、ジョージ・ウィンストンのソロ・ピアノによる「ディセンバー」。一世を風靡したウィンダム・ヒル・レコードの代表作だ。有名なのは「オータム」のほうで、もちろん僕も大好きなのだが、この季節はやはり「ディセンバー」に限る。

カヴァティーナ

スタンリー・マイヤーズが映画「ディア・ハンター」のために書いたギター曲「カヴァティーナ」もおすすめ。これほどシンプルで胸を打つメロディを僕は知らない。静かに降り積もる雪の日の朝に流れていたりすると、不覚にも泣いてしまいそうだ。


冬の寒さはごまかしがきかない。厳しければ厳しいほど、人の心の温かさが身に染みてくる。

おそらく今度の冬は僕にとって、とてつもない重みを持つものになるだろう。

自分がなにを求め、なにを与えることができるのか。いつも以上にコートの襟を立てながら、白い雪の空に向かって問い続けていきたい。

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