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ベルリーニの「ノルマ」を観て、愛の何たるかを知った。


マリア・カラスにしろ、アンナ・ネトレプコにしろ、古今東西のドラマティック・ソプラノの名歌手たちが避けて通れない難曲がある。

イタリア・ベルカントオペラの最高峰、ベルリーニの「ノルマ」の中の一曲、「清らかな女神よ」だ。

ノルマ

第一幕第一場、ローマ帝国に支配されたガリア地方の森の中、ドルイド教徒の巫女であるノルマは、支配者であるローマ提督ポリオーネへの密かな愛を歌い上げる。「密かな」と言っても、ノルマはすでにポリオーネとのあいだにふたりの子どもを設けている。なのにポリオーネはノルマの部下である若いアダルジーザにうつつを抜かす。古典的な三角関係の始まりだ。

最終的にノルマは身を引き、ポリオーネとの関係を懺悔して民衆の怒りを買う。子どもたちを父親に托し、自ら火刑台に向かうという壮絶なラストシーンとなる。にもかかわらず、そこに付けられた音楽の美しいことと言ったら。「歌を味わう」ことに徹底的にこだわった美しいメロディと超絶技巧のパッセージの数々。このベルカント・オペラの罠に、小学生の僕はまんまとはまってしまった。

当時、来日したイタリア歌劇団の「ノルマ」をテレビで見た。ノルマを歌ったのはカラスの再来と言われたエレナ・スリオティス。アダルジーザはフィオレンツァ・コッソットだった。

エレナ・スリオティスは将来を嘱望されたソプラノだったのだが、病気か何かですぐに引退してしまった。来日時の歌唱もかなり不調だったらしい。でも僕にはコッソットの魅惑的な容姿と相まって、このときの「ノルマ」は強烈な印象を受けた。

幸いなことに、このふたりが歌う「ノルマ」の録音が残されている。ポリオーネを歌うのは往年の名テノール、マリオ・デル・モナコだ。

スリおてぃす

以後、僕はオペラの世界にどっぷり浸るようになる。

全曲盤のレコードを持っていたのは、ヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」と「仮面舞踏会」、レオンカヴァッロの「道化師」にマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」。そしてモーツァルトの「魔笛」。「魔笛」以外はどれもどろどろの三角関係の末に主人公が命を落としてしまう最悪の結末。だけど僕は「なんてロマンティックなんだろう」と思いながら、毎日レコードに耳を傾けていた。

いまにして思えば、ノルマがいったいどんな気持ちで愛する男の子どもをふたりも身ごもったのか、自分を見捨てて若い女に走った元カレをどうやって許す気持ちになったのか、皆目見当もつかなかった。いまだってはっきりわかっているわけではない。そんなこと、自分が体験してみなければわかりようがないではないか。

それでも、そんな主人公たちが自らの心情を歌い上げるアリアの数々は、「どんなことだって起こるよ。だってそれが人生なんだから!」と明るく歌っているように聞こえる。「なにがあっても、また明日には新しい幕が上がるさ」とでも言わんばかりに。

それこそがまさにオペラの魔力なのかもしれない。僕らは明日を夢見て、またどろどろの愛憎劇に足を運ぶのだ。

P.S.
そういえば、ウィーン国立歌劇場の新シーズンがようやく9月7日に始まったという記事を見た。約6か月ぶりの公演だとか。プログラムは「蝶々夫人」。ブラボー禁止のお約束なのに、後半になるにしたがって「ブラボー」はみるみる増えていったらしい。本当に心温まる話だ。

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