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芥川賞の発表を受けて


 
 つい先日、芥川賞の発表があった。受賞作は、市川沙央さんのハンチバックに決定した。
 この受賞を受けて、僕はいろいろな意味で驚いた。まず、この作品は文學界新人賞を受賞したデビュー作であるということだ。デビュー作で芥川賞を取る人は少ない。それに、著者の彼女は筋疾患先天性ミオパチーにより、人口呼吸器と電動車椅子を必要としている人なのである。
 僕が、この作品を読んだのは、今年の文學界新人賞の受賞作を読んだときだった。たしか、五月くらいだった。最初は、軽い気持ちで今年の文學界新人賞の作品はどのようなものかな、と思って読み始めた。いつもなら受賞者のプロフィールを読んでから作品を読むのだが、このときに限って理由はわからないが作品から読み始めた。
 小説を読んでいると、語り手が人工呼吸器が必要な人物であるという描写があった。この部分を読んだとき、よくこんなことを書けるなと思いながら読んでいた。障がい者施設に住んでいる語り手の〈妊娠して堕胎したい〉といった過激な語り口といった独特の価値観が作品のなかにあった。僕は、いろいろと関心しながら読み進めた。自分にはない感覚をもっている語り手だなと思った。もちろん、このとき作者については知らない。
 そして、作品を読み終えてページをめくり作者のプロフィールを見て驚いた。物語の語り手と同じような境遇にあると説明があった。そのとき、僕は自分ががとても軽い気持ちで読んでいた事に対して恥ずかしくなった。人生を賭けて、作者は小説を書いたのだなと思い知らされた。そして、この作品は芥川賞まで受賞することになった。それだけ力のある作品だったということになる。
 彼女は、自分を表現して受賞をしたと思う。受賞のインタビューの記事を読んでいると、受賞の会見では芥川賞を狙ってなかったと言っていたが、純文学の賞を出すと決めたときあとは頭のなかには芥川賞しかなかったらしい。しっかり、分析をしていたと言っている。
 このような境遇にいる人が芥川賞を受賞したことは、文学シーンの大きな転換点になると思っている。それに、僕自身にとっても驚きと変化を与えてくれた。
 なぜなら僕は、精神科に通って薬を飲み続けるということを二十二歳から十三年間続けている。薬を卒業したいと思うが、なかなかできない。メンタルの不調を抱えている。
 ずっとこのことを、noteに書こうか迷っていた。でも、市川さんみたいな状況のなかでも小説を書いている人がいて芥川賞まで受賞したことを知って、僕は自分自身の甘さを思い知った。世の中には、もっと大変な状況にいるひとがいて小説に向き合っている。そんなことを知らずに、僕は小説を書いていた。
 だから、僕はnoteのなかで自分がメンタルに不調があって小説を書いているということを公言しようと思った。これは、自分が作品を書くためだ。このことをネットで公言することによって自分の作品に影響を与えると思う。このことを書くと、もし新人賞を受賞して自分の作品が世に出ることがあれば、精神的な疾患が人間が書いた小説というレッテルが貼られる可能性がある。でも、それを承知でこの文章に残したい。このことを書くことによって、もっと自分のことを表現しないと思うからだ。自分に対する戒めとして書いている。
 そもそも、読者は書き手がどんな人であるか気にしないものだろう。作品が面白かったり文学的価値があれば充分だと感じるものだ。でも、書き手としては自分がどのような状況でどのような作品を出すということが作家人生にとって重大なことになる。僕の場合、予め自分のことを公言しようと思う。もっと、自分を出さないといけないという気持ちが出てくる。
 だから、今回の芥川賞の受賞は僕にとっても大きな出来事だった。
 そして、僕はいま書いている作品を書き進めていきたい。もっと、よりよい作品を目指していきたい。

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