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現代を生きるスキル

キンコン西野さんのブログが話題ですね。

昨今の情報格差、そして経済格差は明らかなのに、見えない所では見えず、見えないからないものとなる。

「無知の知」と言う言葉を放ったソクラテスの偉大さがほんのり分かる気がします。

でもさすがに、もう見えないフリも出来ないし、見えないなんて嘘じゃない、ってとこまで来ましたね。

情報の取捨選択

まもなく5Gも導入されようと言う2020年において、まずは自分がどの程度

信用性のある情報にアクセス出来ているか

と言うことが前提にあります。

ネットでどんな情報も手に入るとは言っても、信憑性のあるものはその中にどれほどあるのか。基本は人から人、しかも、その情報源となるソースが確かな筋からであることが、有用な情報を得る最短距離だと思います。

そして価値ある情報はお金を出して知る価値があると言うこと。

これは私もメンターがよく仰るのですが、

「タダほど高いものはない」

本物も偽物もうまーく作り込まれた本物っぽい偽物も、タダでは判断基準にならないし、かつ有用な情報を有用と扱うことが難しいからだ、と仰います。

情報リテラシーをあげること

そして、情報が手に入ったならば、その中から必要なもの有用なものを選びとれるかも大事な要素です。

垂れ流されるあらゆる情報も取捨選択は受け手に委ねられていると言うこと。

しかも“流されている”情報には、こちら側を誘導しよう操作しようとする目論見が少なからず混入されていると言うこと。

自ら混乱の渦に飛び込むことにならない為にも、反射的に情報を取り込むのではなく、裏付けやさらに深い検索や、意見を交わし合って、自分の情報を確立させていくしかないなとおもいます。

結局「何を言っているか」より「誰が言っているか」

信じる人の言葉が一番すんなり受け入れられるのは人間なら誰しもな感情です。

あとは“受け入れがたいが事実である”と直感的に感じることを否定せず、拒絶せず、まずは情報として受け入れること。

そして匿名の情報に基本的に価値はないと気付くこと。

私はこれだけでスマホやテレビ、ネットの情報に右往左往する事もなくなりました。

何を知っているか、より

誰を知っているか

何を言っているか、より

誰が言っているか

まずは信じられる誰か、を見つけられる事が出来れば少しは救われるなぁとおもいます。


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