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入れ換え〜健康でいたい私〜

ヨガをしています、陽香です。

最近のことですが、
8月から今までにないくらい
酷いニキビがおでこ中に広がり、

9月上旬に少しおさまったかと思いきや、
中旬に全顔に広がり、
鬱々とした日々を過ごしています。

原因に関しては思い当たる節もありつつ、
でもどうしようもない感じで。

とりあえず対症療法で皮膚科に処方してもらった塗り薬で様子を見ています。

今まで、
こんなに肌が荒れたことがなかったので
今回のことは自分的にかなりショックで、


何をするにも気力が40%減みたいな感じで、
機動力の低い自分にもさらに落ち込む悪循環。

投稿頻度高く続けていたnoteも、
書き出しては言葉が乗って来ないし、


1,000文字位書いては、
まとめまで行きつかず。


そして何だか、
そのトピック自体も面白くない気がしてきて、
計5,6個そんな感じで下書きに溜まっていました。

ただ、例外としてヨガをしている間だけは、
本当にそのことを忘れられて
楽しく没頭できていると感じていて。



ヨガを人生の中に取り入れててよかったなあと
自分褒めポイントを見つけては、
少し機動力を回復させながら暮らしています。

世の中みんな、その大小に関わらず、
身体の気がかりを抱えながら過ごしているのだなあと思うと、みんな本当にすごいなあと感心せずにはいられません。


というような感じで、
今日も終わりまで上手くまとめることができそうにはないのですが、
こんな感じで機動力が低い日の記録としても
今回の記事を通して残しておきたいと思いました。


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「完璧でなければ意味がない」
「不調が何もない状態でなければいけない」
「病気がない状態でなければだめだ」

最近は、そんな意識自体が、
"真の健康" から逸脱しているような気がしています。

医療系の仕事をやってきたことや
また現在、ヨガをお伝えしていることもあって、


“いわゆる一般的な健康”として、
身体の不調や病気などを防ぐことも
もちろんもちろん大事だと思っていますが。


“身体の不調”というものは、


身体的なものにとどまらず、
精神的なものや観念、
ライフスタイルや環境の変化など、

さまざまなものに対する

「入れ換え」

のサインになっている気がします。


「入れ換え」すること自体に、
良い悪いということはなく、

“ただそれが起こっている”だけであり、


その「入れ換え」を、
結果論として善きものにするのかどうかは、
“本人の意思に完全に依存するのだ” と思っています。

ただ、「入れ換え」自体は、
身体の内側で起こっているミクロな部分でも、
身体の外で起こっているマクロな部分においても、
絶えず起こっている事実であるから、

「入れ換え」は、
人生そのものでもあるとも言えるし、


それを善きものとしたい気持ち自体は、
人生をそう捉えていたい気持ちと
同義でもあると思います。


少し話を戻そうと思うのですが、


“「入れ換え」を全肯定しながら、「入れ換え」を善きように捉えたい希望を持ち続ける”
(人生を肯定的に捉えていたい状態を保つ)

ことの方が、
“真の健康”に、より近いのではないかと今のところ思っています。


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ニキビという皮膚炎症は、
もしかして?もっとひどくなるかもしれないけれど、


それを治すために変えた生活習慣が、
実はもっと身体の他の部位に善きように働いて
生命活動としての致命傷を避けたかもしれないし、

また、自分の苦しみに留まらず、
他の人ももっといろんなことに向き合っているのだと、
人が生きること自体への尊さを考えるきっかけになった点において、


今回の一連の出来事は、
「いろんな入れ換えを善きように捉えたいと思っている」
そんな自分を見つけることができた出来事でもあります。

そして、そんな自分を客観的に見て、


「不調はあるけれど、健康だなあ」とも思ったのです。

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補足を書いておきますが、
身体的な苦しみ(痛みや痒みなど)の渦中、真っ只中にいる間は、

その苦痛を忘れて客観的にそれを捉える、
なんてことはまずできないと思っています。
本当に、渦中にいる方、大変だと思います。

そんなクリティカルな時は、
やはりその苦痛を除去することが大事だと思いますが、


今回書きたかったことは、

「身体の不調が何もない状態でなければならない」
この意識自体が、

真の健康からは、逸脱しているのではないかということです。


不調はあっても、
健康ではいられるかもしれません。

そんなことを
少しだけ意識に上げながら暮らすことが、
今の私の生きやすさに繋がっています。


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