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読書家じゃなくても、作家じゃなくても

 ウーバーイーツドライバーとして働く合間、どうしても暇な時間が続いてしまうことがある。平気で30分くらいマクドナルドの前で、ボーッと配達リクエストを待っていることがある。これが、俺が他に働いている居酒屋やテレビ局のバイトならば、ボーッとしていても時給が入ってくるからいいのだけれど、配達リクエストが来ないウーバードライバーはニート同然だ。ただただボーッと、何を考えるわけでもなく、商店街の一角に佇み、特に俺はスネを掻いたり、尻を掻いたり、いろんな部位を掻いている。今俺の斜め前でリクエストを待っている同業者もまた、ボーッとしており、横にいる同業者はスマホを触っている。なんか虚しい時間だな、と気づいた。

 ふと、本でも読んでみようかな、と思った。みようかな、というのも、俺はほとんど本を読まない。集中力がないから。人生で読んだマトモな本なんて、両手両足両キンタマで数えられるほどしかない。マトモな本かどうかは読む人の主観ではあると思うが、なんとなく、挿絵が少なくて、ハードカバーで、細い紐の栞が付いているような本。中学校の読書週間に、家から持ってきても恥ずかしくない本。少なくとも俺は漫画とラノベ、青い鳥文庫とかいけつゾロリくらいしか読んでこなかった。ラノベなんか半分エロ本みたいなものだと思って読んでいたし、かいけつゾロリに関してはほとんどオモチャとして触れていた。

 本を、読みたくないわけではないのだ。むしろ本を読むことに憧れがある。経験上、読書家な人間との会話はだいたい面白いし、表面からでは分かりづらいはずの俺のことを、読み解くように理解してくれるから好きなんだ。読書に憧れる、というよりこれは、読書をする人自体に憧れがあるのかもしれない。それに、近ごろ俺は文章を書くことにハマっているわけで、その際に自分の語彙力の無さとか、表現力の乏しさに、度々がっくりくる。俺が難しい言い回しをしている時は、だいたいグーグルを開いて「〇〇 意味」で検索している。笑ってくれ。これはどう考えても、読書から逃げてきた俺の限界が見えてきている。

 しかしやはり、どれだけ本を読もうとしても、集中力が全く続かない。現代人スマホ依存症の悪いところの一つだな。10ページ読んではスマホ、また10ページ読んではスマホ。そして諦める。同じ理由で、映画を見ることも苦手だ。良いシーンを大体見逃す(流石に映画館でスマホは触らないけれど)。そして特に読めないのが小説。俺は一冊の本をゆっくりじっくり挑戦と諦めを繰り返しながら読むから、久しぶりに読み進めた時には、登場人物も覚えていなくて、その上に読解力もないので情景が浮かばない。小説を読むのは生まれ変わってからにしようと思っている。

 そんな俺が、唯一と言ってもいいくらい、好きで読めるのがエッセイだ。人様に威張れる程、多くのエッセイを読んできたわけでは全くないけれど。エッセイって良いよな。他人の考えること、見えてる世界なんて、文字にしてもらって、ゆっくり読まないと理解できるはずもない。それを楽しめるエッセイが好き。小説とは違って、喫茶店とか居酒屋で、気の使わない相手から話を聞いているような感覚になる。

 初めて読んだエッセイはさくらももこの『もものかんづめ』。小学生の時だった。書き方が分かりやすいし、まる子が主人公なんだと思うと、アニメみたいで笑えた。『ももこのいきもの図鑑』も読んだ。これを読んでいなかったら、今ほど生き物を好きになっていなかったかもしれない。

 西原理恵子のエッセイも面白かった。「毎日かあさん」の作者やな。中学生の時だった。『この世でいちばん大事な「カネ」の話』、生々しい現実と、生きるための執念を感じさせられた。西原理恵子の書き口は、冷静で力強くて、安心感がある。コミカルだし。『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』、当時俺に仲の良い女の子なんていなかったから、女の子ってどういう生き物なんだろう、と興味を惹かれて読んだ。西原自身の壮絶なエピソードも、息が詰まりそうな衝撃で面白かった。西原理恵子が娘に当てたメッセージのようなエッセイ。

 オードリー若林の『完全版社会人大学人見知り学部卒業見込』は2回読んだ。俺が大学1回生の頃、周りの大学生が嫌いで、誇れるものもないくせにトガっていて、偉そうにしていた時。高校からの友達に「人生が変わると思うよ」と言われて読んだのが1回目。大学を卒業して芸人になって、下積み時代を経て売れて、だけどどこかトガってひねくれていた若林が、人見知りを克服して、だんだん大人になっていく。ひねくれた思考が笑えて面白かった。でも、俺の人生は本で変えられるものじゃないんだよな、と少しだけ思った。
 
 2回目に読んだのは大学4回生の秋、つまり先月。昔と全く見え方が違った。愚かだった自分が、少しだけ大人になれたけど本質は変わらない自分が、嫌と言うほど重なって見えた。「もっと早く、この面白さに気づきたかった!」とは思わなかった。俺のくだらない意地にまみれた大学4年間がしっかり積み重なったからこそ、見え方が変わったんだと思えたから。大人になるためには、人それぞれの助走が必要なのだ。ようやく、あんな野郎だった俺にこの本を勧めてくれた友達の真意が伝わった。ありがとう。続編があるので読むつもり。

 俺がエッセイを好んで読む理由がもう1つ。散々と有名な作家ばかり挙げた割に、身も蓋もないが、エッセイって誰が書いても面白いから好きだ。芸人が書いてももちろん面白いし、友達が書いても面白いし、近所のおばさんが書いてもきっと面白いだろうし、幼稚園児が書いたって面白い。さっきも書いたけれど、他人の見えてる世界というのは、文章にすることではっきり分かる。普通の人間が書いたようななんでもない日常でも、そんな見方してんの?そんな書き方すんの?という発見があるから面白い。

 小学校の頃、始業式と終業式に、先生からの指名で選ばれた各クラスの児童達が作文を書かされ、全校生徒の前で読まされるという地獄の文化があった。小学校6年間で、誰もが一度は指名されるようになっていた。今でこそ文章を書くのが好きな俺も、当時は自分の番が回ってくる事にビクビクしていた。だけど、人の作文を聞く時間は割と嫌いじゃなかった。いつもゲームばっかりしてるアイツや、ケンカも気も強いアイツが、そんな作文を書くんだと思ったら、なんか可笑しくて面白かった。発表する作文だから、多少は小綺麗な内容にはなっているが、それでも他人が見ている世界、と思っただけで不思議な感覚になれる。そういう興味が、エッセイに対してはある。

 そんなこんなで話を戻すと、ウーバーイーツの合間時間に本を読もうと決めたところ。Apple booksの電子書籍で読むことにした。若林のエッセイの続きが読みたかったが、一冊目を紙で読んだから、続きも紙がいい。そういえば星野源のエッセイが面白いよ、と聞いたことがあったので『そして生活はつづく』を購入した。指でスワイプして表紙をめくると、目次が現れた。サラッとまたページをめくり、タイトルページが現れた。それをめくると、画面の上の方から「おめでとうございます、1日の読書目標を達成しました。」とバナー通知が降りてきた。まだ何も読んでねえよ。アプリに舐められようとも、俺は、本を読んでみる。

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