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限りなく眩しい今になるように カタールワールドカップ観戦記①

プロローグ

今年の2月、世界的にもうそろそろコロナウイルスの収束をみてもいいという風潮が起こり始めていた頃、僕は友達との旅行で北海道に来ていた。北海道大学に進学した友人に会いに行くのが目的で、小樽、釧路、阿寒湖をそれぞれ順番に満喫した後、さあ帰ろうと空港に到着したその日は、不運にも新千歳の観測史上最大の大雪があった日だった。報道局のリポーターたちも急いで空港に集まるほどの事態で、人生で初めて空港で足止めを食らった僕たちは、こんなこともあるかとインタビューを受けたり大富豪をしたり、明日には帰れるという心持ちでその貴重な体験に浮かれたりしていたのだった。新千歳は24時間空港ではないため、どこかに宿泊する必要があるのが面倒だったが、かく豪雪の事態を予測してつくられたのであろう、空港の三階に併設されていた搾取魂胆丸見えな温泉宿に仕方なく宿泊することにした。(宿とあるが言ってしまえば浴場のあるネットカフェで、マッサージチェアに宿泊客を詰め込むようなお世辞にも宿とは言えないような施設であった。)

空港泊3日目に飲んだビール

翌朝になって事態が思ったよりも深刻であることを知る。昨晩飛行機の欠便を確認した後今朝の飛行機を取り直したのだが、どうやらその降雪は一晩で収まることはなく、さらに激しさを増していたのだ。結果、チケットの取り直しと欠便のサイクルをその後5回繰り返すことになり、最終的に3日間新千歳空港の硬い床で寝泊まりする始末だった。

空港での3日間、僕はコンセントとカウンター風の椅子があることろに陣取ることにした。近くにあったコンビニは、スタッフが帰れなくなるからという理由で夕方の5時には閉店してしまっていた。そのため、夜は昼間に買い込んだカップ麺とおにぎりを食べることにした。ケータイを見たり映画を観たり、読書をしたりして時間を潰す中で、帰るという目的を失った今、僕は次の旅について考えを巡らせていた。

サッカーと長い間付き合ってきた僕は、14年たった今でも日頃からボールに触ったり試合を見たりしていたし、2022年である今年はサッカーワールドカップ開催の年で、4年間という歳月の長さは身体にプログラミングされているように染み込んでいる。

昔からフットボールというのは僕にとって、自分に宛てられた手紙のようだったと思う。初めてサッカーを父から教わったこと、プレーをしたり、観戦したりするその横にはいつも友達がいたこと。そしてしつこいくらいに僕の今であり続けている。

特にワールドカップは格別だった。2010年南アフリカワールドカップの対デンマーク戦、本田圭佑のフリーキックで僕のワールドカップは幕を開け、2018年ロシアワールドカップの対ベルギー戦、ロストフの14秒に至るまで片時も僕の身体に傾倒し続けた大会、気づけばまたそうして4年が経っているのだ。

開催地に実際に足を運び、現地で観戦する夢がいつか叶えばいいと思い続けてきた。そして今年がチャンスかもしれないと少しでも考えよぎったのは、この時が初めてだったかもしれない。物事の始まりはいつも打ちつけで、長い間息を潜めていた欲望と急に対面することになった今、飛行機の決行を祈る傍らで僕は次の旅の計画を具体的に立て始めた。こうなると3日間というのはあまりにも短い。僕は自分自身に手のひらを返すようにわがままを言い、新千歳空港での残りの時間を過ごした。


それからの9ヶ月間は本当に一瞬だ。航空券は6月に、ホテルは7月に取った。試合のチケットは合計で6枚、9ヶ月間毎日FIFAのサイトに張り付いていた甲斐があって少々寝不足になりながらも狙っていた試合が揃った。

チケット争奪戦の待機列。ここまでで1時間くらいかかる日もあった。

僕がワールドカップに行こうと思った理由はとても単純だ。

サッカー人生の原点に立ち返ること

自分がこれまで熱狂してきたその全てに立ち会うこと

どうしても行かなければいけない気がしていた。サッカーW杯というのが僕にとって一体何なのかをこの目で確かめなければいけない気がしていた。そしてやっとツキと時間が巡ってきたのだ。

気楽な旅になればいいと思う。だけどそれと同時に、消費して、消耗してサッカーを考える旅にしたい、そうも思う。

どうかこの旅が、限りなく眩しい”今”になりますように


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