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奴隷を生み出す工場

こんばんは。せやかて工藤です。

今日は「生き方」について話したいと思います。

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学校というのは"知識"を教える場所ではなく、

歪みきった"常識"を植え付ける場所です。

「知識」と「常識」の違いですが、

知識というのは、原則として「ファクト」を取り扱うものです。

主観の一切入り込まない事実に基づくもの。

これが知識です。

反対に、常識とは「解釈」のことです。

主観の入った、その時代、地域、組織の中でしか通用しない決まり事。

これが常識です。

要約すると、

「ただそこに存在するのが知識であり、
 誰かの手によって作られるのが常識というものです。」

なぜ、学校は常識を人に埋め込もうとするのか。
その常識によって、人間をどうしようというのか。

一言で言うなら【従順な奴隷】を作る為です。

学校はそこに通う人間を、"規格"通りに作り上げようとします。

今の社会、特に旧来型の企業は従順な働き手を常に求めています。

口では「個性を尊重しよう」「のびのび育ってほしい」
などと言いますが、

「ただし常識の範囲内に限る」という本音が隠れています。

養成段階である学校では子ども達は常識をたたき込まれ、
学力という形で「従順さ」に点数が付けられます。

受験のため、
卒業のため、
就職のため、

どんな理不尽なことにも耐えてひたすら情報処理能力を磨いていく。

それが受験社会の言う「学力」です。

企業からすると高学歴の人間は、
理不尽な作業への体制が強いという判断材料になります。

つまるところ「従順さ」と「理不尽への我慢」が強いと見なされています。

子どもたちに同じテキストを暗記させ、
同じ問題を解かせ、同じルールで採点していく。

赤点をとったり問題行動を起こした子は、

どうにか「規格内」になるように矯正する。


さらには現実を見させ、

夢を語る者が馬鹿にされ、
辱めを受ける環境を作り、

子供たちから夢を奪う。


大人になったら良い企業に勤め、
従順に働き、家を持ち、家庭を築く事が、

"幸せ"であると洗脳する。

『そして社会へと納品されてゆく。』


学校は奴隷を生み出す工場である。

大人達が押しつけるつまらない"常識"に従うか従わないか。

あなたの人生です。

自分の意思で生きましょう。