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<まっしー運命学研究所>内なる自分と出会う5:教え

ども、所長のまっし〜でございます。
昨日、note作品コンテストがあることを知り、書くと面白そうなテーマでしたので、いつもと違う風味の投稿をしました。
媚びていると思われるかも知れませんが、その通り媚びていくスタイルを決め込みました。
めちゃめちゃ面白かったです。
元々次章から創作ストーリーを30〜40くらいあげていくつもりでしたので、貴重な体験になりました。

では、行きます。

教えとは価値観の継承と考えております。
どのように伝え、伝わるかは様々で、POPなものもあればCOREなものもあります。
一昔前の教えはスパルタが主流だったと思います。

ここでドキュメンタリー番組で観たスパルタVS自主性の話をします。

あるスポーツの高校日本一が決まる試合にて

超スパルタ監督に叩き上げられたチーム
VS
選手自身らによる自主性を重んじたチーム

互いに名門校。
自主性チームが勝ちました。

選手ら自ら練習内容を決め、自分達に足りないものを特訓し、チームメンバーの個を活かす考え方。
人はそれが一番のびのびと成長出来ると思います。

スパルタが染み付いている人は、余程でないとスパルタで教えてしまう。
その教えを受けて育った人は、その教えを継承していくということです。

少しずつ変化を重ねて継承されていくかとは思いますが、
どうせなら自由を継承して行きたいものです。

自主性には、内観する価値観が育つと考えられます。
外から来る指示よりも、内から湧いて来る意思を汲みとるわけですから。

確かにスパルタは強制的に能力を高めるには、手っ取り早い方法ですし、ある程度教える側との信頼関係が無いと成り立たないことでもあります。

厳しい目線を持たないと得られない能力もある。
厳しい鍛練を積まないと得られない目線もある。

教えをなぞるだけの感覚では、その教えの能力を超えることはありません。
身体能力が飛び抜けて高くても、ある程度超えることはあるかも知れませんが、言わば教え手のコピー。
超えられない壁が出来る事でしょう。

コピーは劣化していく法則があります。

そこにオリジナリティというエッセンスが加わることで元になっている教えを超えることが出来るのです。

内観は、個性を見出してくれます。
個性こそがそのエッセンス。

心に傷を作るコピーを繰り返すことが、悲しみを産み出す。

悲しみがあるからドラマは生まれるし、感動も起こる。

どれが良いでも悪いでもなく、物事の側面を把握した上で決めれば良いことですね。

全ては繋がっています。

それでは、次回は感動について語らせて頂きます。

因みに、改善には当たり前ですが意図がある。
掃除もそう。
勝手に片付けられる意図を感じると人は警戒します。
意図を発し続けることはいつか人の心を打つことになると信じております。

ありがとうございます。

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