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詩歌ビオトープ011: 明石海人

はい、詩歌ビオトープ11人目です。今日取り上げるのは、明石海人です。

そもそも詩歌ビオトープとは?
詩歌ビオトープは、詩の世界を一つの生態系ととらえ、詩人や歌人、俳人を傾向別に分類して、誰と誰が近い、この人が好きならこの人も好きかもしれないね、みたいなのを見て楽しもう、という企画です。ちなみに、傾向の分類は僕の主観です。あしからず。

この人は1901年生まれ、1939年に亡くなりました。画家を志望して上京したものの、ハンセン病になったため断念、長島愛生園に入院し、そこで短歌を始めたそうです。

改造社が一般に公募した「新万葉集」に11首が選ばれたことで大きな注目を集めましたが、その2年後に亡くなりました。

死後刊行されたのが「白描」という歌集で、この歌集は大ベストセラーになったそうです。「白描」は死に抗う哀切な作風であると同時に、幻想的な作品も多いと言われています。

今回もネタ本は小学館の「昭和文学全集35」です。

本書には、その「白描」から51首が収められていました。やはり闘病を詠んだ生活詠が多かったですが、一方で確かに、自然を幻想的に描いた歌も多い、という印象を受けました。

僕の分類では、生活詠が32首、自然詠が19首でした。なので、位置はここにしました。

Wikipediaによると、「白描」は前半の「白描」と後半の「翳」から成っているとのことです。そして

「白描」が療養所内で行われる儀礼行事の機会に読まれた儀礼歌を中心に構成しているのに対し、「翳」のほうは、制限があるながらも、海人の文学的感性によって選ばれた歌で構成されている。戦前は第1部の「白描」の方を高評価する論調が多かったが、戦後はむしろ、第2部の「翳」を評価する傾向が強い。

とありました。文学的感性、というのが具体的に何を指すのかはよく分からないのですが、僕自身が心に残った歌の多くは、僕の分類では「自然詠」になるものでした。

たとえば、次の歌。

鳴き交すこゑ聴きをれば雀らの一つ一つが別のこと言ふ

や、

路々にむらがる銀の月夜茸蹴散らせばどつと血しぶきぞたつ 

なんかは、音や景色が浮かんでくるようです。なるほど、画家の感性だなあ、と思います。

あとは、個人的にはこの歌が好きです。

コロンブスがアメリカを見たのはこんな日か掌をうつ蒼い太陽

何がどうなってコロンブルのことを考えていたのか、蒼い空ではなくて蒼い太陽って何なのか、よく分からないのですが、でも、読んだ瞬間、あ、これ好きって思いました。

この人は、もしも長生きしていれば、昭和を代表する歌人になっていたかもしれない、と言われているそうです。その言葉も、確かに分かる気がします。

次回に続く。

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