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詩歌ビオトープ008: 釈迢空

はい、ということで8人目、釈迢空です。

そもそも詩歌ビオトープとは?
詩歌ビオトープは、詩の世界を一つの生態系ととらえ、詩人や歌人、俳人を傾向別に分類して、誰と誰が近い、この人が好きならこの人も好きかもしれないね、みたいなのを見て楽しもう、という企画です。ちなみに、傾向の分類は僕の主観です。あしからず。

この人は1887年生まれ、1953年に亡くなりました。大阪府出身で、本名は折口信夫です。民俗学者として有名ですね。

高校生の頃から短歌を始め、上京して國學院大学に入学、根岸短歌会に出入りするようになりました。大学卒業後は中学校の教師となる傍ら、アララギの同人として歌壇でも活躍します。そうして國學院大学の教授、慶應義塾大学の講師となりました。その頃、アララギを脱退して北原白秋らの創刊した日光に参加。処女歌集となる「海やまのあひだ」を刊行しました。

今回も、元ネタ本は小学館の昭和文学全集35です。

本書には、「海やまのあひだ」から55首、「春のことぶれ」から24首、「倭をぐな」から65首の合計144首が収められています。

で、僕の分類では生活詠が81首、自然詠が48首、社会詠が18首、思想詠、というか鎮魂歌が1首でした。

ただ、これはこっちの問題なんですが、「海やまのあひだ」は日本の様々な地方の人々のことを歌ってるんですね。その歌をどこに分類したらいいのかが分からなくて、とりあえず生活詠に入れた、という感じです。でも本当は、ある意味自然詠と呼ぶべきなのかもしれない。

まあ、そんなこんなもあって、位置はここにしました。

で、僕が本書に収められていた144首の歌を読んで思ったのは、この人は色んなことを試しているな、ということです。会津八一と前田夕暮や土岐善麿を足して2で割った感じ、というか。

普通ならこの人くらい古典に精通していたら、会津八一のように古代を現代に甦らせる、みたいな方向に行くと思うのですが、なぜかこの人の目はいつも現在や未来に向いていて、だから色んなスタイルの挑戦をしているんですよね。古きものの良さを、その素晴らしさを知り尽くしているはずなのに、まだあり得るかもしれない短歌の形を探してるというか。

それってつまり過去現在未来東洋西洋の全方向が守備範囲ってことですから、ちょっととんでもない知の化け物だなと思います。しかも、それでいて創作だけでなく評論もやるのですから、えげつないですよね。さらに本業の民俗学もやってるわけですし。いつ寝てたんだろう。

でも、逆に言うと、だからこそこの人は中心であってはいけないし、中心にはなれない人だと思います。三国志の諸葛孔明みたいな存在。斎藤茂吉とか、北原白秋の方が劉備には相応しいんですよね。

特に「海やまのあひだ」と「春のことぶれ」の頃は、技巧派って感じがしました。その分、面白い歌なのだけれど、否応なく身に迫ってくる感じではないのかなって。

でも、「倭をぐな」はむしろ逆で、読んでいてストレートに気持ちが伝わってくる歌が多かったです。

だから、この人はすごく遠い遠いところまで旅をして、色々なものを見て、色々な経験をして、色々遊んで、そうして最後に本来あるべきところに帰ってきた、みたいな、そんな感じなのかもしれませんね。

ということで、いくつか特に気になった歌をご紹介。

山々をわたりて、人は老いにけり。山のさびしさを われに聞かせつ

なき人の
今日は、七日になりぬらむ。
 遇ふ人も
 あふ人も、
みな 旅びと

斎藤茂吉氏の歌の くさぐさの、おもしろきを思ひ、ふと笑ふなり

一行の文字をだに なさざりしことを誇りて、命過ぎなむ

この人は斎藤茂吉のことを「茂吉っつあんは悪い人だよねー」と言っていたそうですが、僕はこの人もある意味悪い人だと思うなあ。

だって、きっとものすごく面白いことを考えているんだろうなあということは分かるのに、その面白さは、彼のいる場所は、難しすぎて、深すぎて、僕みたいな凡人にはきっと辿り着けない場所なのだもの。

ということで、9人目に続く。

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