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さとり世代の若者とヤンキー思想 『ヤンキーは絶滅してしまったのかーさとり世代に現れたヤンキーたちー』

はじめに、昔のような盗んだバイクで走り出すヤンキーたちを目にしなくなったことを話しましたが、「ヤンキー風」の人たちを目にしなくなったわけではありません。ましてや、ヤンキーが思想であるという定義に従えば、その思想が脈々と受け継がれていってもおかしくはない話です。

(『さとり世代ー盗んだバイクで走り出さない若者たち』原田曜平著)の中で、原田氏はさとり世代の若者について論じています。この中でまず、さとり世代とは1992年以降生まれであると大きく定義されます。この年代の限定から、さとり世代は物心ついてから好景気を一度も経験していないのです。

このことがさとり世代特有の人格形成に大きく関わっています。

・物欲があまりない
・お金を稼ぐという意識がそこまで高くない
・恋愛に淡白
・コストパフォーマンスを重視する
・マイナスはないかという見込み損失でものを考える

と、このようにさとり世代の物欲、及び所有欲はあまり高くありません。

さとり世代の中で低下した物欲・所有欲の代わりに高まった欲求は「共有、共感したいという欲求」や「つながり」に対する欲求でした。これは上で述べた不景気とSNSの登場が理由として挙げられます。不景気により格差が生じ、高価なブランド品は努力をすれば誰でも手に入るものではなくなりました。

つまり物欲は、共有欲の妨げにすらなるのです。そして若者世代を席巻するSNSはさとり世代に強く「空気を読む」ことを求めました。共有、共感をつつがなく享受するためには、波風立てずに「空気を読む」というスキルが何より重要視されてたのです。

そしてもう一つ、さとり世代の特徴に「イタい」と形容されることを極度に嫌がるという特徴があります。この「イタい」とは空気が読めていない状態、特出して目立ってはいけないということが言えるでしょう。

「イタい」の好例に挙げられるのが「意識高い系」です。「系」と付くことからも分かるように「意識高い系」という呼び名には、(笑)のような嘲笑の意味が込められています。この「意識高い系」とは、やたらと学生団体を立ち上げたり、やたらとプロフィールを盛ったり、やたらと人脈を自慢したりなど、自己表現を過剰に行う人々のことを指します。

さとり世代の若者たちから見れば、自分たちと同じく「イタい」という価値観を共有できるはずなのに、このような過剰にアイデンティティの模索に躍起になって、他と自分をむやみに差別化しようとして輪を乱し、空気が読めていない人たちを「イタい」人として見るようになるのです。

私は、この「意識高い系」の”イタさ”がヤンキー思想の「コミュ力とキャラ」文化に通ずるところがあるのではないのかと考えます。先ほども述べたように「コミュ力」とは「キャラ」に依存したコミュニケーションであり、「キャラ」によって円滑化された会話は更に「キャラ」を加速させる。この構図が「意識高い系」が過剰な自己表現をしてアンデンティティを確立させようと躍起になる姿と重なるのです。

「意識高い系」の他に、さとり世代にはもう一つヤンキー思想が受け継がれている層が存在します。それが「マイルドヤンキー」と呼ばれる若者たちです。

マイルドヤンキーは、旧来のようなヤンキーのことではありません。「ヤンキーは思想である」の中でも述べたように「非行少年」「不良」「チンピラ」としてのヤンキーは、もはやほぼ存在しないのです。これら旧来のヤンキーと、現代を生きるマイルドヤンキーは一線を画した存在であるということです。

マイルドヤンキーたちには、旧来のヤンキーたちのような不良性は見られません。むしろ、暴力や違法性からはかけ離れた存在です。では、もっと具体的に「マイルドヤンキー」とはどのような存在なのでしょうか。

大きな特徴の一つに、上京志向があまりないというものがあります。地元で強固な人間関係と生活基盤を構築しており、地元から出て行こうとは決してしません。この点は旧来のヤンキーと異なる点でしょう。旧来のヤンキーにも、もちろん地元志向はありましたが、彼らの中には上京して一旗あげてやるという”成り上がり”の意気込みも同時に存在していました。

マイルドヤンキーが地元に固執する理由は、地元に住む昔からの仲間との関係、コミュニティを抜けていきたくないというものです。彼らマイルドヤンキーは、地元で育まれた絆意識、家族と地域を基盤とした毎日の平穏な生活を、何より価値あるものとしているのです。ここで勘違いしてはいけないのが、彼らは決して”故郷”として地元が好きなわけではありません。自分をよく知り、相手も自分をよく知る、中学時代の仲間たちと地続きな「居心地のいい生活がある場所」として、キープしたいだけなのです。

その環境をキープする努力を彼らは惜しみません。それまでの環境や、自分たちのグループの関係性を変えないために、自らが変わろうとする姿勢が見られます。

例えば、彼らに結婚や出産という人生の転機が訪れたとします。地元を離れることなく、地元の友達との関係の変化を迫られることもあります。それでも彼らは、関係の変化を望みません。彼らにとって家族単位、子供ありきでの地元付き合いは、想定の範囲内で織り込み済みなのです。ただそこには、「複数の家族が仲良くご近所付き合いをしている」というほのぼのした理想のイメージなどではなく、それまで自分が培ってきた”環境”や”仲間”との関係性を全く変えることなく、自分たちの人生を中心に考えた生活に家族を巻き込んでいるという側面を孕んでいるのです。

マイルドヤンキーは、「つながり」と「関係」という思想を大いに受け継いでおり、所有に対しての欲求ではなく、共感などのつながりを求めるというヤンキーの「女性性」に強く結びついている存在だということがわかると思います。


※本論文は2016年3月時点でのものです。

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