男が好きで、男が嫌いで #10 ーエロのモラトリアムー
乱交モノのAVのサンプルがTLに流れてきて、ふと自分がこの状況を楽しめるのか? と考えてしまった。
床下手を自負する身としては、自分のエロい姿を不特定多数に見られるなんて、少し恐ろしい。
まあ、AVを見ていて「こいつセックス下手だなあ」なんて思う前に、とにかく射精したい一心で目の前のエロを貪ろうとするのがほとんどだと思う。
もしもそういう審査員的な目を持てたとしても、それは賢者タイムというほんの一時。男たちがまともな判断を下せるのはあの時間くらいだろう。
男同士で共有するエロ
いつからこんなにエロに対して身構えるようになったのだろうか?
セックスに自信がないというnoteは以前書いているが、エロがずっと怖いものではなかった。若い頃そばにあったエロはまさに悪友であり、少年期・青年期の凌くんと青春をともにしてきた。
エロとの楽しい思い出の一つに、友人間での「エロの共有」があったと思う。男同士の外交手段で、これが手っ取り早くパーソナルスペースに潜り込めたのだ。
ホモソーシャル特有の「キャバクラ行こうぜ! 風俗行こうぜ!」みたいな嫌なノリは「エロの強要」であって、今ここで話したい共有とは少し違う気がしている。
AVやエロ本、動画サイトの情報交換など、文字通り「エロの共有」だ。
また、自分の性癖を吐露し合うのもこれもまた「エロの共有」だと思う。
一人の世界だけに没頭できるエロというものを、わざわざ他人に話すなんてしなくてもいいことを、男たちはなぜするのだろうか。
しかも、この共有作業にはめんどくさいステップがある。
会話のとっかかりの一つである場合もあるが、友人関係の初期にされるエロ話と関係が構成される過程で行われるエロ話は、質が全く異なってくる。
それはきっと「あのグラビアアイドル可愛いよなあ~」と「実は俺〇〇のことが好きで……」と話すのと同じくらいの大きな差がエロ話の中にも存在していると体感している。
男の子たちは、秘密として共有するエロとそうでないエロの線引きを知らぬうちに心得ているのだろうか?
まわりくどく書いたが、結局これは「秘密の共有」なのか。
隠語で話すだとか、俺たちだけの秘密基地だとか、とにかく、そのグループなりコミュニティに所属してもいいとされる証明、合言葉のような役割をエロ話が担ってくれることが多々ある。
しかもなぜか、エロ絡みのほうが、なんとなく男同士の絆を強めてくれるような気がする。
中高生時代のエロ話なんて、そりゃもう楽しかった。
おっぱいよりケツだよな、下着ずらして挿入するのめちゃやばい。とか。(あまりのバカさに書いていて笑ってしまった)
ーエロは孤独なものなのか?
「秘密の共有」と先述したが、エロを抱えるというのは孤独なことなのかもしれない。そもそもこの手の話はコソコソするものという頭がどうしてもあるし、これは自分だけしかわからないこと、誰にも言えない性癖、とにかく秘密にしなければならないこと。
世間一般でアブノーマルとされる種類のものはどこか罪の影が落ちる。
(実際に罪になるようなことと紙一重である場合も多々あるが)
性癖の是が非は一旦置いておいて、それぞれのエロを抱えるというのは、孤独なことだ。それに共感してもらえたら、人間関係がスムーズになるのは当たり前のことか。
男の自分に対峙するエロ
エロが楽しい悪友だった頃を思い出して気付いた。
いま、俺の周りにあるエロは、端的に言ってしまえば敵だ。
横に並んでゲラゲラ笑っていたエロは、童貞を卒業してから急によそよそしい顔をして、自分に向き合うようになってきた。
なぜ?なんで急に? 妄想が現実に変わったから?
よしわかった、めちゃくちゃミクロでお前のこと考えてやる。
ー友情のエロ、恋愛のエロ
ゲイ同士でも、こいつに話すエロ話とこの子に話すエロ話が異なる場合が多々ある。これが自分の感じている、共有と対峙の違いなんじゃないかと思っている。
ゲイだと、同じ”男”というグループ内で色恋沙汰が繰り広げられているから、どうしても先述したニュアンスのエロの共有がしにくくなっているのだろう。この場において、エロ話は笑い話にもなるが、大マウントにもなりかねない。
ありがたいことに自分が勃起せずに、気兼ねなくセックスの話ができるゲイの友人はちゃんといる。しかし、お高いことを言ってしまえば、欲情されたくない相手には線引きしたエロ話をしてしまう。
傲慢。書いていて、つい声に出して言ってしまった。
でも、中高生じゃないおじさんの自分が、男相手の恋愛市場にいるということは、男女の友情アリかナシか論争よろしく、そんな簡単に友情を手に入れることはできないということなんだろう。(友情が簡単でないなら恋愛は簡単によこせよ、バカ野郎。と叫ぶのを我慢してやるよ神様)
ーリピートしてもらえないかも
いけない、こんなことが書きたかったわけじゃなかった。
対峙するエロに話を戻そう。
ここでいうエロはそのものずばりセックスの話がメインになってしまうのだけど、冒頭に書いた乱交の動画を見て、何の琴線が触れたのか?
手繰り寄せたら、「リピートがないかも」という恐怖を引き当ててしまった。
セックスの場に自分がいても、またヤリタイと思ってもらえないかも、満足させられるだけのパフォーマンスができないかも、そもそも何もできないかも。
エロと対峙するということは、相手ありきのことなので、ほんとのほんとの信頼関係がない限りどうしても優劣の関係を感じてしまう。昔のようにガハハと笑って肩を組んではいられない……
「なんかさあ、お前の書くもの、毎度毎度童貞くせえ結論ばっかなんだよ。
ガタガタ言ってねえで、セックスなんてバコバコやっとけ。」
とも、正直思う。
ー童貞に戻りたい
ここまでめんどくさいことを考えてると、もうオナニーしてりゃいいや、ソロ活万歳。誰かに気を遣うこともないし、賢者タイムを繰り返していれば、理論上はずっと理性的でいられるわけだし。(そもそも傷つくことはないし)と、対峙することから逃げたくなる。
ただ、悲しいかなエロとは孤独なものだった。
対峙して共有できた時の嬉しさを、なまじ知ってしまっているから、独身アラサーの自分が、ほかの何かで埋められるとは到底思えない。
あー、童貞に戻りたい。みんな童貞に戻ればいいのに。
そして男の子たちとまた肩を組んで、親しい友人になってしまいたい。
甘っちょろいこと言ってるのはわかってるけど、たまに本気でそう思うのだ。
この男同士の恋愛市場で、それが叶うことはないだろう。
ただ、あんなに楽しい日々を過ごしていた男の子たちともう友達にはなれないのかと思ったら、心の底から悲しい気持ちでいっぱいになる。
俺はいつまで、エロのモラトリアムの渦中にいればいいのだろうか。
現状、童貞と引き換えに得られたものは、思い出してオカズにできるくらいの数回のセックスと、説明できないかったるい感情だけだ。