読書という趣味が楽しめなくなってから回復への一歩について

読書をしているとき、私という意識は限りなく薄まっている。例えるならば、コップになみなみ注いだ水の中に色水を一滴たらした時のように。物語という、現実から水面を隔てた”あちらがわ”にどぼんと飛び込み、次第に自分というものが境界を失ってふよふよと溶けて消えていく。そうしているとき、私は、水の中にいるはずなのにとても息がしやすいような気がする。

物語というのは、私にとってひどく中毒性があるもので、現実逃避のためのアディクション的要素がとても強い。こういうところは、夢見がちと言われる魚座らしい素質なんだろうなあと思う。体への悪影響無くお手軽に”あちらがわ”へ行けるんだからとてもいい中毒であろう。しかも知的なイメージも作れてお得な趣味なのである。

このところ、この現実逃避を思う存分にできない状況が続き、どうも精神的なバランスを崩しがちであった。陸に揚げられた魚がパクパク苦しむように、私も現実を乗りこなすのに四苦八苦していた。

それに折り合いをつけるには、失ったエネルギーを充てんしなければならなかった。どぼんと行くのには飛び込む体力がないとできないのだ。でないと、思考が突如として「こんなことをしている場合かぁー?」とか「本を読んでいる自分を意識しちゃう呪いをかけてやるぞぉ(水曜どうでしょう風)」とかちょっかいを出してきて、ゆっくりふよふよしていられないことになる。もっと端的に言えば、楽しかったことが楽しめなくなる。つまり抑うつの始まり、第一症状。

いろんな人に、話を聞いてくださいとヘルプを出して、愚痴を言う予定を週に2回ずつくらい入れて助けてもらえる見通しを立てた。1か月先くらいまで。そうしてやっと、自分の状態を落ち着いて捉えておけるようになり、それだけでちょっぴり失ったエネルギーを補填できた。

私が”あちらがわ”で再び息ができるようになるまで、もう少しかかるだろうが、やっとすこし、余裕が出てきたかなと思う。

趣味を楽しみたいときに思う存分楽しまないと、こうなるんだなぁという反省である。

これを読んでくださった奇特な読者の方におかれましては、くれぐれも楽しみをほったらかして家事だの育児だの仕事だのにうつつを抜かされませぬように(笑)

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