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463カーボンニュートラル総論

『カーボンニュートラル』という本を読み始めた。同名の書がいくつもあるようだ。ボクが手に取っているのは『もう一つの”新しい日常”への挑戦』の副題がついた巽直樹さんの著作(日本経済新聞社、2021年)。「はじめに」を読んだだけなので、標題を「総論」としておく。全編を読み終えたらまた考えたい。
 著者が言いたいことは「日本には国益という戦略がない」の一点に要約できる。高い脱炭素化目標を国際公約して自らの手足を縛ることに前のめりだが、そのための手段であるはずの原子力発電を停止するなど行動がチグハグなうえに、再生可能エネルギー固定価格買取制度で消費税率1%相当以上の経済負担を自国民に課して、経済活動の足を引っ張っている。

①カーボンニュートラル(二酸化炭素を含む温室効果ガスの人的発生のゼロ化)を実現しなければならない、②しかも先進国が率先して地球温暖化に取り組まなければならない、は命題として正しいのか。
著者の巽さんは、日本が「カーボンニュートラルがすべてであるかのように取り組むこと、他の社会課題の優先順位など一切無視せざるを得ないような費用感を持ってこれに突き進もうとしていること自体が衝撃的なのである」と嘆いている。
日本の立場で論じても現実感が湧きそうにないので、他の国の立場でカーボンニュートラルを見てみよう。例えば中国の目に今の状況はどう映るか。
二酸化炭素削減努力は先進国が先行するが、そこに含まれない中国は当面削減義務を免ぜられる。工場稼働条件等で優位に立ち、世界の生産拠点としての地位を盤石にできる。生産コストが違い過ぎるから(競争相手の)日本などの企業は生産拠点(工場)を国内回帰させる見通しが立たず、国内産業の空洞化がますます進む。
途上国は温室ガス排出削減に関して先進国から財政支援を受ける権利がある。中国は自らの途上国と位置づけることに成功しており、他の途上国を糾合して先進国からの財政支援を増大させることで、自国の直接利益と途上国への影響力拡大という棚ぼたの位置にいる。
中国は世界第2位の経済力を駆使して、カーボンニュートラルに不可欠分野とされる太陽光電池パネル、風力タービン、バッテリー(蓄電池)などの主要テクノロジーにおいて産業基盤を構築し終えており、今後は電気自動車での世界席捲、さらに原子力発電所の建設でも頭一つも二つも他国を凌駕している。
カーボンニュートラルは中国の世界制覇に向けての天の配剤であると、同国の首脳が考えても不思議ではない。
もう一つアメリカの視点も見てみよう。温暖化ガスの排出量では中国が世界1位でアメリカが2位。アメリカのバイデン政権による意欲的な削減目標提示が歓迎されるが、これには裏がある。アメリカでは大統領(行政府)が国際的取り決めをしても、上院(立法府)が拒否すれば守らなくてもよい。これがアメリカ憲法の仕組み。第一次世界大戦後に国際連盟を提唱したのがウイルソン大統領であったにもかかわらず、アメリカが加盟しなかったことを中学か高校で学んだはずだ。
気候変動問題でもこの仕組みは有効である。「上院が反対」という印籠を使えるから、大統領はどのような削減目標でも国際約束できるのだ。そして著者によると日本人が理解していないこととして、温暖化ガス削減数値はターゲット(必達)ではなく、単なるゴール(目標)なのだという。つまりカーボンニュートラルも国際的な外交ゲームの一部分に過ぎないのである。
では第三極である西欧諸国(EU)がなぜカーボンニュートラルを主張し続けるのか。その真意はなにか。「はじめに」では書かれていない。本文を読むと分かるのだろうか。

日本では地球温暖化問題は「科学的に決着がついている」とされ、異説の開陳には猛烈なバッシングがあるようだ。しかしと、巽さんは言う。例えば新型コロナは指数関数的に感染が増え「日本国内で42万人が死亡する」との説が有力であった時点でも、感染の終息を予測するモデル解析はあった。マスメディアが大きく報道することはなかったが、どちらがより実態に近かったか。政府の専門家会議からはこのところ検証もコメントも出されない。無責任ではないか。
コロナを今世紀最大の危機と煽ることで、何らかの利権を得ようとする勢力はなかったか。あるいは無節操な扇動に乗る形で国策がゆがめられ、国費が浪費されている傾向はないか、一人の国民としても大いに心配である。カーボンニュートラルでも、同様のことがあるのではないか。
百年単位での国家的危機というならば、時期未定ながらも発生確実とされる東南海地震発生後に向けての復興資金の政府事前積立など、しなければならないのに手付かずの課題がいくらでも数え上げられる。冒頭で紹介した「日本には戦略がない」との著者の憤慨に同調せざるを得ない所以である。

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