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417見捨てられる恐怖

同盟による安全保障のジレンマという理論がある。軍事的中小国家が大国と同盟を結ぶことで安全を確保しようとする場合、同盟締結後もずっと相反する二つの危惧にさいなまれることを避けられない。
一つは、相手国が始める自国の利害とは無関係の紛争に、同盟を理由に巻き込まれる危惧で「巻き込まれる恐怖」という。もう一つは、自国が危機に陥った際に同盟関係が希望しない危惧で「見捨てられる恐怖」という。
この国、日本の政治家の議論聞いていて感じるのは、アメリカとの同盟に関して「巻き込まれる恐怖」を説く者がいても、「見捨てられる恐怖」を説く者がほとんどいないことである。
今般の自民党総裁選において、有力とされる候補が、「日本が独自に敵地攻撃能力を持たなくてもアメリカに任せておけばよい」といった趣旨の発言をしていたが、これなどがまさに適例だ。万に一つでもアメリカが行動を起こさない可能性があるかもしれないと敵国が判断すれば、冒険的威嚇(いかく)行動に出ることは十分に想定される。

敵国にそうした判断をさせないためにはどうするか。NATO(アメリカ・カナダとヨーロッパ諸国の軍事同盟)では、加盟の一国に対する攻撃をすべての加盟国に対する攻撃とみなすと規定している。ロシアの侵略を怖れる国々にとってはNATOに加盟することが命の綱であり、ロシアもNATO加盟国には手を出さない。欧米一丸となっての戦争では勝ち目がないからだ。ウクライナもロシアの侵攻の意図を感知していたから、NATO加盟を模索していた。プーチンはその前に軍事行動を起こしたわけだ。該当地の人々にとっては締結の作業遅れが命取りになった。
 
前置きが長くなったが、最近なにかと話題になるトルコの話である。前身のオスマン帝国時代から、ロシアには領土を奪われ続けている。近隣のギリシャやバルカン一帯の諸国、南西で隣接するアラブ諸国からはオスマン帝国時代の支配への反発がいまだにあり、特にギリシャとはキプロスなど領土問題を抱えている。加えて国内には総数で2千万人以上の人口規模であるクルド人という異民族を抱えており、独立運動がある。
どうやって国家の存続を維持するか。およそ百年前1923年のケマル・パシャによる新国家創設以来の難題なのだ。現在のエルドアン大統領は、以上に加えて南隣の崩壊国家シリアからの難民の流入、サダム・フセイン以後のイラクでのISなど過激派の興亡などの課題も抱えている。
エルドアン大統領はときにロシアにすり寄る姿勢を見せてアメリカをいら立たせているが、実はトルコはNATOの加盟国なのだ。NATO創設は1949年。トルコは当初から加盟したかったが拒絶されている。それでトルコはどうしたか。翌1950年に始まった自国とははるかかなたの朝鮮戦争に、アメリカに次ぐ兵力を派遣したのだ。そして706人の戦死、2111人の負傷、168人の行方不明、219人の捕虜という損失を出している。これが評価され、1951年にNATO加盟が認められている。
ではそれで安泰になったか。1960年にソ連がアメリカの裏庭に核兵器を持ち込むキューバ危機が起きた。ケネディ大統領の核戦争も辞さないとの覚悟に屈してソ連がミサイルを引き揚げたことになっているが、実は裏取引があり、トルコに配備されてモスクワに照準を定めてあった中距離弾道ミサイル・ジュピターをアメリカに撤去させることに成功している。実態はフルシチョフの判定勝ちで、自国の安全保障に穴が開いたトルコが被害者。しかもトルコからのミサイル撤去は、トルコにいっさい通知されなかった。トルコ国民はアメリカに「見捨てられる」思いをしたわけだ。「アメリカにとってトルコの位置づけはその程度のものか」と。そのトラウマがトルコの行動に表れている。

同盟は関係者が絶えず、深化させようとの意識がなければ形骸化してしまう。「アメリカに守ってもらう」ためには、それ相応の努力を日本側もしなければならない。日本を敵の核ミサイルから防御するには、日本国内に対抗上、反撃用ミサイルを配備すべきだ。「三無主義=作らず、持たず、持ち込ませず」などのたわごとでは、国民の命を守れない。さらに自国製の長距離ミサイルの開発配備を急ぐことも不可避である。
しかるに自国防衛に無関心な者が少なくないのが現実。自国を守るという当然のことを理解しない政治家には、党派を問わず、退場してもらうべきだろう。

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