戦前から戦後の教育の変化

アフターコロナで教育がどう変わるかの予測の下地として教育の歴史を調べてみました。その備忘録です。

戦前

『「坊っちゃん」の通信簿』大修館
進学進路は「複線型」とも「分岐型」とも。
教員不足(明治前半)

『戦後教育の歴史』青木書店
P. 16 戦前の教育学理論の圧倒的な部分は、~植民地教育を含んでいる事態に対して、盲目的~
P.61 全教会見 (3)初等 半農奴的農民と半奴隷的労働者の再生産、~被支配教育。高等 官僚、財閥幹部、地主の養成をめざす支配階級教育

『教育は何を評価してきたか』岩波新書 本田由紀
水平画一化 「態度」の指導により、身体だけでなく心に対しても国家が望む「資質」の均一化が求められた→「能力」に応じて子どもの学級や進路を振り分けてゆくべき

P.68 国民に「徳目」を注入することを重視
徳目の中身は揺れ動く 維新当初は洋学⇒反動で儒教⇒女性版は西洋の価値観も⇒教育勅語(儒教・西洋・神話のつぎはぎ。建国神話を無理矢理普遍的だと説明)⇒神物化⇒排外主義と民俗差別意識の象徴となる

戦後

『戦後教育の歴史』青木書店
特徴:米帝国主義の対日支配の必要・対米従属的結合によって復活強化した独占資本の要求 P.127

P.42 最初の戦後教育の方針 保守的な姿勢と進歩的な姿勢の同居⇒P.51 「保守性」(天皇制の本来の姿の回復)の許容するなかでの「進歩性」⇒国はともかく、現場は民主教育を実践していった P.65
  →以前の体制で支配的だった人達は変わろうとしない。現場は変わろうとする

P.102 1950年代になると、反動で戦前のように戻る動き「逆コース」
  →昔から旧教育を信奉する政治家はいる

P.195 1958年、学校教育の内容に対する国の直接的規制が強められたことは、教育のあり方そのものとって注目される出来事
P.196 国はこの頃も、国民に「社会公共への奉仕」の思想を植え付けたがっていた(社会科改訂)
P.199 1958年、大改訂 道徳教育の徹底・科学技術教育の向上と、なんだか安倍政権と同じようなこと(柔軟性を示した部分もあるが)。

P.239 1960年代 国の介入→テスト主義へ 背後に所得倍増計画:農業・石炭業・中小産業は、重化学工業の犠牲に。⇒「大企業に就職が、本人・家族の幸せ」意識(塾が地方にも)

『教育は何を評価してきたか』岩波
特徴:戦前よりもはるかに強く広範に日本社会を「能力」という言葉が支配

P.103 「天賦の能力」は測る術がなかった。→習熟度「学力」を測るテストに向かっていった。

P.126 1980年代
子供の中にも、地位達成的な側面だけでなく、「近所の人から好かれる」といった人格的な側面も、勉強の得意・不得意で大きな差がつくと認識されている
 感想 日本は、学歴等の客観的な事実から数字にできない曖昧なもので評価される ただ院長も深さんも「能力ある」と言いながら、金銭的評価はしなかった。

P.138 2000年代
「ゆとり」から「学力」への揺り戻しはあったものの、「生きる力」の理念は撤回されなかった。

『教育社会学事典』大田図書館
P.19 個人の自由や責任に依拠した競争や市場を重視する改革→世界的、新自由主義の流れ

進路が複線型から単線型へ

『学校の戦後史』木村 岩波新書 大田図書館
P.63 米の支示(同じ敗戦国の独は米に従わなかった)

男女共学化

P.63 米軍地方軍部毎に差が出た。関東以北では実現できなかった所が多かった。

新自由主義

平等重視→⇒個人の自由と競争に主眼⇒格差の拡大
P.137 90年代~、教育の選択の自由。学校が自ら改革する努力を引き出す。
P.138 「伝統文化」「しつけ」「家庭教育」など、新保守的な改革と補いながら展開
  →「新保守的な改革」とは、言葉が矛盾している

P.191 学校統廃合で、近所に学校がなくなると、生活の場に学校というものが存在しなくなる。
  →確かに!いつも学校は側にあった

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