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生涯かけてアイスよ

 去年決めたことが三つある。大袈裟かもしれないけれど、人生の目標というやつだ。
 一つ目は、なるべく、健康でいるようにつとめること。心身ともに出来るだけ元気でいて、肉も魚も、野菜も甘いものも、命尽きる直前までバリバリと、勢いよく食べたい。最近、カルビもポテチもちょっぴり辛いけれど、青汁と納豆と魚を頑張って摂取している。
 二つ目は、今大切だと思っている人と、たくさん食卓を共にすること。言葉を交わして、なるべく笑って、大事だよ、愛しているよと、外国人顔負けでたくさん言うこと。会いに行けるような世の中になったら、新幹線にも飛行機にも乗って、必ず会いに行くんだ。情熱的に。
 三つ目は、人生の最後にはアイスクリームを食べること。それはどんなタイミングだかわからないし、叶うことかどうかも、今の私には見当もつかないから、おほしさまにするお願い事みたいに夢見ているだけなのだけれど。できれば、あわよくば大切な人と「おいしいね、おいしいね」って、人生というコース料理を、アイスクリームでジャーンとしめたいんだ。

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 伯母がいよいよ危ないと聞いて、故郷のとある大学病院の病室に駆けこんだのは、久方のひかりのどけき春の日。ミニモニ。に加入出来るほど小柄な伯母だけど、笑い声は人一倍ばか大きくて、かなりの大食い。デパートの中華料理ビュッフェ店では、杏仁豆腐と胡麻団子を誰よりもたくさんお皿に盛っていた伯母。まだ五十代も半ばである。命のともしびが消えてしまう。舌癌だった。発見が遅かった。手術をしたものの、すでに全身に転移が進んでいて、あっという間にお別れのときがやってきてしまった。

 「食べられへんのが、こんなに辛いと思わへんかったわ。」

 口内に赤黒く忌まわしく宿る悪性の腫瘍はものを食べることそのものを阻み、伯母をたいへん苦しめた。苦しみのあまり、彼女は薬を大量に摂取して命を絶とうと試みたらしいが、すぐに家族が発見したおかげで一命を取り留めた。看護師には、「こんな量では死ねない。生命をなめるな。」と、本気で怒られたそうだ。強く反省した彼女だったけれど、骨になったのはそれからたった一ヶ月後のこと。

 長らく伯母に会っていなかった私は、そのような話だけは母から聞いていたので、彼女がいる病室に到着してしまうのが少し恐ろしかった。薄情な姪っ子だなあと思うのだけど、死の淵にいる伯母にどんな顔をして会えばいいのか、ちっともわからなかったからだ。ゆえに、意外にも病室の中からコロコロとした明るい笑い声が聞こえたときは、本当に本当に驚いた。

 「あ、ささちゃーん。ありがとお。うれしい。」
 伯母は、ベットに座って、笑って私を出迎えた。病室にはすでにおじちゃんと、祖父が到着していた。伯母は、以前会った時より痩せてはいるものの、頬はほんのり桃色。とても遠からず死ぬ人には思えない。南から入る陽射しが柔らかく部屋全体にさしこむ、やわらかい晴れの日。舌の一部を切除しているから、少し舌ったらずだけど、いつもと変わらない明るい声で私を出迎えてくれた。膝の上には、カップのバニラアイス。伯母の名をぽつりと呼んで、「そっ」とティースプーンを持つ右手に両手を添えると、アイスなんかすぐ溶けてしまうほどに熱くて、これまた驚いた。

 「あたしな、もう、寝たら死んでしまうねんて。今、熱があって。もう、最後やねんて。」

 せやから、先生に頼んで、大好きなアイス食べさせてもろてるねんな。おじちゃんが横から、そう補足する。伯父も痩せたけれど、その言葉尻は力があった。

 おいしいわ、おいしいわ。伯母は懸命に、震える右手で口元にアイスを運ぶ。運ぶけれど、その手つきはおぼつかなくて、ポトリと太ももの上に落ちる。ペーパータオルで拭いてあげようとすると、そっと制止されたので、手を引っ込める。

 「ささちゃんも、食べよし。せや、みんなで食べよ。」
冷凍庫には、小さなカップのアイスクリームが、五つ。抹茶といちご。なんでよ、全部全部、ふくちゃんが食べたらええやん。そんなん言わんとってよ。全部、ふくちゃんが食べたらええねん。明日も、明後日も。言葉も涙もすぐに私の意志に逆らって、外に出ようとするから、困る。ぐっと飲み込んで、いちごの味を口に押し込んだ。こんな時なのに、甘さは必死に私を癒そうとするから憎らしい、いじらしい。おいしいなあ。みんなで食べると、おいしいなあ。やっぱり、たのしいなあ。伯母の小さくて大きな笑顔が病室にころころと転がった。途中、おじちゃんが「ちょっとトイレ」って病室を出たあと、しばらく戻ってこなかった。空になったカップが、ゴミ箱で嬉しそうにしていた。

 「はあ、笑い疲れた。ほな、ちょっと横になるわ。」
そう言って布団に潜り、小さな身体を丸めたと思うと、すぐにスースーと寝息をたて始めた。びっくりするけど、伯母はほんとに、次の日の夜にこの世からいなくなってしまった。
しづ心なく花の散るらむ。

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 この間、とても久しぶりにおじちゃんに会った。私の結婚の報告をするためにだ。もう五年ぶり、いや、もっと経っていたか。伯母の一周忌以来、初めて会った。これまた、どんな顔をして会おうかと迷ったけれど、会ってみると杞憂だった。すっかりふっくらとした体型に戻った伯父は白髪は増えていたけれど、実に朗らかだった。

 「いやあ、久しぶりやねえ。おめでとうなあ。」
そういえば、伯母抜きで二人で会うのは初めてだ。どこかに出かけるのも小学生の時に「千と千尋の神隠し」につれて行ってもらって以来だ。敬語だっけ?タメ口でいいんだっけ。あはは、と口元で笑うけれど、気の利いた言葉も出てこない。しばらく、無味のぬるいホットコーヒーをすすっていたけれど、おじちゃんが力いっぱい語り始めた。

 「おじちゃんな、たいがい幸せやねん。結婚してよかったで。今は一人やけど、ああ、これ食べておいしかったなあ、あそこ、一緒に行って楽しかったなあ。いっぱいいろんなところ行ったなあって、どこもかしこも、思い出いっぱいやろ。二十年も一緒にいたからなあ。思い出すから辛いって思ってたけど、なんも思い出されへんほうが、きっとよっぽど辛いわ。辛いこともいっぱいあったけど、なんやかんや過ぎてみれば大したことあらへんねん。それに、最後みんなでアイスクリーム食べたやろ。覚えてる?あのときのあいつの笑顔、嬉しかったなあ。最後にアイスクリーム食べられて、ほんまによかった。せやし、ささちゃんも、旦那さんと思い出いっぱい作りよしや。幸せ、かみしめて。おめでとうなあ。」

 「ありがとう、うん、そうする。思い出、いっぱい作る。ありがとう。」
おじちゃんの言葉を聞いて、本当はすぐにでも、おいおいと、さめざめと、わあわあと泣き出したいような気持ちだったけれど、ほどよく混雑する喫茶店では言葉を切れ切れにそう返事するだけで精一杯で、涙は家に持ち帰った。愛する人と暮らす日々は、とても楽しい。幸せ。だけど、少しだけこの幸せが怖いと感じ始めていた。いつか、伯母たちがそうであったように、突然、あるいはじわりじわりと失っていくんじゃないかと。ううん。違うわ。怖くなくなるぐらい、作っていくわ。わからない。正解なんてわからないけれど。おじちゃんが言うなら、それが幸せなんや。おじちゃんのゆるやかな目尻のカーブと、涙を押し込めたときのいちご味が、全ての怖さをあっというまに緩やかにしてくれた。

 もうすぐ、夫が仕事から帰ってくる。今日の夕飯は、手作りの麻婆春雨と、わかめと豆腐の鶏ガラスープ。ブロッコリーとミニトマトも添えよう。麻婆春雨は少々薄味だから、濃い味が好きな夫はマヨネーズあたりをかけたがるかもしれないな。デザートにいちごを出そう。そうだ、アイスも添えるとたのしいかも。ガラスの容器に入れて、うやうやしく。きっと喜んでくれるはず。愛してるも、たくさん言うよ。おいしいは、たのしい。

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